25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

霧の旗 山田洋次

2016年05月23日 | 映画

 松本清張の「霧の簱」は映画やテレビドラマでなんどもリメイクされている。この前もテレビで見たような気がする。昨日、日曜日、TSUTAYA でレンタルビデオ見ていたら、市川雷蔵の「殺し屋」というのがあり、珍しいものを見つけたと思い、手に取ってカバーを読んでいた。すると、「霧の旗」、倍賞千恵子、山田洋次、橋下忍という字がカバーの向うにある棚から僕の目に飛び込んできた。おや、これなら「砂の器」のコンビではないか。山田洋次はこんなのも撮っていたんだ、と興味が引かれ、「殺し屋」と「霧の旗」を借りることにした。

 おそらく舞台は昭和30年代だと思う。戦後の雰囲気がまだ道路や横丁などに残っているが、経済成長真っ只中で、どこのスナックやバーもいっぱいという時代である。現代版の「霧の旗」を見てももうひとつピンと来ないのは、時代背景の風景が違っているからか、と思う。すでに東京では車の渋滞が始まっている。成りあがっていくもの、失敗するものの差もつき始めている。飲み代は接待で落とされる。

 現在では「お金を持たない人でも弁護士が雇える制度」があるから、この時代にはまだ整備されていなかったのだろう。昔、弱者のために闘っていた弁護士は、経済成長に伴い、ブランド力のある法律事務所になっている。そこへ熊本から「兄が無実なのに死刑を宣告された。助けてほしい」とやってくる。女性はこの弁護士ならきっと味方になってくれるかもしれない、と思ってやってきたのだ。弁護士費用を事務所で聞き、「私たちは貧乏人だから80万円も払えない」という。「弁護士は熊本にもいるだろう」と言って、諭されるが、女性はこの弁護士でないと、と頑固なほどにこだわりを見せる。結局、その弁護士は一度の面会で、忙しさを理由に断るのだが、その女性が言った、「先生は弱い人の味方をして、有名になったんでしょ」という言葉が残り、一審の資料を取り寄せ、真剣に読んでみるのだった。そしてある事実に気が付く。犯人は左利きであることに気付くのだ。しかし、それで、熊本からやってきた女性の要望をきくことはなかった。

 一年後、熊本の女性(倍賞千恵子)は、ある思いを持って東京のバーで働き始める。

 ところが皮肉にも気づかせてくれた弁護士(滝田修)の愛人(これが新珠美智代であった)が偶然ある殺人現場に居合わせてしまう。そしてまた偶然、殺された男の後をつけてきた熊本の女性(霧子・倍賞千恵子)が弁護士の愛人が殺したのではないことを知っている。そして彼女は遺体現場にまた出向き、犯人の残した証拠品のライターを取ってしまう。代わりにその愛人のものである手袋を落としてくる。彼女の復讐の絶好のチャンスが来たのである。

 山田洋次の映像には、意図的に、新しく登場してきたコンクリート風景が作る陰影などを織り込み、大都会の陰影をメタファーっぽく風景にしている。橋下忍の脚本には、「霧は音をたてる」というセリフによって、「霧子がなにかをしでかすかもしれない」という予感を感じさせる巧みさがある。

 考え尽くされた映画だった。思わず、3時からの相撲中継を観るのも忘れて、観たのだった。終わるとちょうど4時だったので、相撲中継を観た。東京の観客は応援コールも慎ましく、白鵬の圧倒感で終わった。体のどこかが悪いときは他のどこかを傷めないよう、それなりに勝つ方法を考える。白鵬は違う次元にいる。

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