浄心庵・長尾弘先生「作善止悪」

「作善止悪」
三世の諸仏、過去の仏も未来の仏も現在の仏も
悉くこの法門を説き給う
良き事を行い悪しき事を止めよ

作善止悪

2019-11-17 23:46:20 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省


先の続き・・・

反省の必要なんかないと言われる方は、ただ気が付いていないだけのことです。
心がさわやかで澄みきった青空のようであったり、
反対に重苦しく不快だったりするのは、毎日毎瞬、
自分自身の思うことや行うことに原因があります。
過去、現在、未来とその時々で変化変滅していく心の状態が、
毎日の心の生活のしかたにかかっているということに気づかない方は、
天気のようにたまたま晴れたり雨が降ったりするだけなんだから
どうしようもないと堅く信じていらっしゃるかもしれません。
あるいは、
あの人が私の平安な心を乱してくれたと思うこともあるかもしれません。
しかし、責任はすべて自分自身にあります。
自分の運命も自分でつくっているのです。

なぜ、気が晴れないのか。
よく反省してみると、必ず自分が原因をつくっているはずです。
自分の言動、自分の思い方・・・。
たまにこんな人がいます。
誰に対してもよく気配りができ、
ニコニコした明るい雰囲気で思いやりが深く寛容な人です。
そんな人に出会った時にどう感じるか。
まるで、自分みたいと感じるか。
あるいは、素敵だな、私もあんな人になりたい―――そう感じるか。
それとも、「自分もあんなふうになれたらいいけど、
とてもじゃないけど無理だ。

実行は難しいな」などとあきらめてしまうか。
人格の素晴らし方に出会って、その人に憧れるだけでなく、
その人の生き方や態度を手本にして、
自分の魂を高めようと努力することに喜びを見出だせるか方は
なかなかいらっしゃらないと思います。
たいていは自分とはまったく違う他人と見てしまい、
自分がそのように立派で魅力的になろうとはしていないでしょう。
しかし、
実は誰でもそんなふうになれるのだと知ることが反省に向かう第一歩です。
反省に心を向けられる方は、
それによって自らの心を磨き高めることができるはずだと
いう希望と自信の持てる方です。




作善止悪

2019-11-17 02:22:48 | 日記

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

先の続き・・・

赤ちゃんの顔を見るとかわいくて安らかです。
心に曇りがないからです。
オギャーと生まれた時には私たちの誰もがあのようなきれいな顔、
安らかな心だったのです。
それがいつしか世の中の風に当たり、
様々な人との出会いや色々な出来事の中で苦しみを
経験して心を曇らせ、顔の表情を曇らせ、
顔つきまでも変えていってしまうのです。

そして、
ついには元来の自分というものの心がどれほど
綺麗で平安に満ちていたかも忘れてしまうのが、
多くの人間のこの世の生活のならいです。
自分に不都合な出来事が起きるや、清らかな心は汚され始め、
顔も苦しみを表現し出します。
しかし、あくまでも心の本性は明るさであり、光だったのです。
なぜなら、心は神様から分け与えられたものですし、
これ以外に心はないからです。
闇の心というものは本来実在しないものです。
どういう運命や状況の中にあっても、この真実は変わりありません。
私たちが心から苦悩を取り除く方法を素直に実践していけば、
わるい運命や状況さえも好転してまいります。

私たちはもっと自由な存在なのです。
これは体験してきたことですから、嘘はありません。
では、どんな方法によって、心の本来の姿を現すことができるのでしょう。
毎日の反省ということによって、
私たちは心の曇りを掃除することができます。
では、なぜ反省の必要があるのでしょう。

それは、
知らないうちに心にたまっていく塵や埃がだんだんと積もることによって、
いつの間にか心が重く、暗くなってしまうことのないように
反省を行なわなくてはならないからです。
不眠症の方が今日一日の反省をすると、よく眠れると言われます。