浄心庵・長尾弘先生「作善止悪」

「作善止悪」
三世の諸仏、過去の仏も未来の仏も現在の仏も
悉くこの法門を説き給う
良き事を行い悪しき事を止めよ

「作善止悪」~心の扉~

2018-12-15 00:44:29 | 日記

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:感謝の心を持つ時間は
          安らぎの時間

 
先の続き・・・

自分が物を買えるだけの
お金を持っていて、
しかも買いたいものを
売ってくださる人がいる。

こうした世の中の主張は
人と人との出会いや
約束事に対する
感謝の気持ちは
大事なことです。

お金を払ったからと言って、
済むことではありません。
誰もが私利私欲だけで
動いていれば社会は混乱し、
破局を迎えます。

心ある人が心ある仕事を
してくださるから世の中は
動いていくのです。

いくらお金を持っていても、
多くの人々の力なしには、
生きていけません。

そこに感謝の心が
生まれるのです。
人の心は不思議なことに、
一度に一つのことしか
思えないのです。

私は器用だから
一度に二つ思える、
と言われるかもしれませんが、
そんなことはありません。

ああ、楽しいな、悲しいな、
とは思えません。
腹が立つな、幸せだな、
とも思えません。



「作善止悪」

2018-12-15 00:32:21 | 日記

恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三

           聖書に説かれた深い意味

「汝の隣人を愛せよ」と、イエスは説かれました。
隣人とは隣家と違います。
家庭の中で、或いは職場の中で身近な隣にいる方達です。
その方達の為にたださせていただくことです。
なぜ愛さなくてはならないかというと、
それは愛することによって、
自らが愛されることになるからです。
愛さない者を誰が愛してくれますか。

イエス様の説かれる愛とは、「私たちが幸せになる為に、
他を愛しなさい」ということです。
そうすることによって、自分が幸せになるからです。
なぜ「汝の敵を愛せよ」なのかと言うと、
愛することによって敵がなくなるからです。
相手という対象を通して自らを愛することになるのです。
イエスは言っていられます。
「他の血をわが内に受け入れることなかれ」と。

聖書の中にあるこの言葉の表の意味だけをとって、
聖書研究会の方は、輸血を断っていとしい我が子を
亡くしてしまったという例がありました。
又、輸血をすれば助かるものを、
「聖書にはこう書いてあるから、輸血は拒否します」と
言って、死んでしまった方もありました。
とんでもないことです。
イエス様がそんな馬鹿なことを
おっしゃるはずがありません。

しかし、「血」とはその方の因縁、宿業、
その人のカルマのことで、欠点、悪い癖を、
自分の心に受け入れてはならないとおっしゃたのであり、
それを「血」という言葉で表わされたので。
間違えば命とりです。
ですから、血液と書かないで血と書かれてるはずです。
旧約聖書の中に次のような話があります。
アブラハムが神様と話された時、
神様から「あなたは私を信じることができますか」
と尋ねられて、「私は信じます」と答えました。

「では、どのようなことがあっても信じますか」と
念を押されて、アブラハムが「はい、信じます」と言うと、
「それではあなたの子イサクを、
私の生け贅として供えなさい」と神様が言われたと、
そのように書かれています。
神がこんなことをおっしゃるはずはありません。
アブラハムが、もう七十、八十歳になってからできた、
そのいとし子を殺して私に供えなさいなど、
そんなことを言うのは、神でなくて悪魔です。
しかし、聖書には言葉としてはそのように書かれています。

それは、自分の可愛い子供より以上に神を信じる、
それほどの思いをもって神様を信じなさいという譬えです。
丸呑みをしてはいけません。
しかし、それを信じて堂々と説いている指導者もありますね。
とんでもないことです。
盲信、狂信の世界に人を引きずり込みます。


        ~ 感謝・合掌 ~