歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

「小さき声」WEB復刻-第17号について

2005-12-04 |  文学 Literature
土曜日は、東大(駒場)で「アインシュタインの相対性理論100年記念シンポジウム」がありました。三人のパネリストの一人であったので、ここ一週間くらい、その準備で忙しかったのですが、漸く、時間的に少し余裕が出来ました。

先ほど、「小さき声」のWEB復刻版第17号をアップしました。

17号に登場するはS氏は、松本さんと同じく、盲目で手足の不自由な六十歳の老人ですが、(9号によると)四年がかりで、マタイ伝二十八章の暗誦を終え、次にロマ書の暗誦にとりかかったという記事があります。

一日に一章、あるいは一節づつ、太股に手で書きながら覚えていったけれども、頭の中がもう満杯になったので、マタイ伝を「故郷に移す」ことにしたという箇所が印象的でした。

わたし自身が相対性理論の話をしたせいでしょうか、時間というものの不思議さを改めて感じました。

Sさんは、東北の出身者です。故郷を追われて三十年、家族も離散していますが、その一度も帰ったことのない故郷を思い出しながら、Sさんは、「神の言葉」を記念碑のように建て始めるのです。故郷の山の入口にも、山道の要所要所にも、谷底にも、そして、遙か遠くから望んでいた故郷が眼前に展開しはじめると、記憶に甦る懐かしい光景の中にSさんは入っていき、そこに聖書の言葉を建てていくのです。

「Sさんの暗誦が続けば続くほど、故郷は神の言葉で埋められていく」

私は、この箇所を決して譬喩としては読まなかった。むしろまざまざとしたリアリティをもつ出来事と思った。三十年前の故郷は、決して消えて無くなってしまったのではなく、不滅のものとして甦る、そしてSさんが聖書の言葉をひとつひとつ覚えて行くと、その都度の言葉の働きによって、Sさんの過去が新しい形をとるのです。
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