狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

ED72試作機

2010年04月23日 23時34分24秒 | 車両形式写真
いつも乱文で失礼します。今日は週末ということで臨時増結です。

今朝はED72の運用について書きましたが、肝心な罐のことにあんまり触れていなかったので
補足しながら・・・。
 
朝の写真は50.3改正の翌年撮影したものでED72の3号機牽引の33レでした。

この3号機は量産型のトップナンバーで、ラストナンバーの22号機まで外観は一緒です。

この量産型に対して1、2号機は試作機で、その外観も前照灯は真ん中に寄ってケースに

収まり、サイドの明かり取り窓はエアフィルターと交互に正方形の窓でした。

この33レ牽引が私が見た試作機の特急運用の最初で最後の姿で、1~2年のうちに運用から

2両とも運用を外れ廃車になったようです。

その1号機は、見事に復元されて現在は九州鉄道博物館に展示されています。


撮影;1975年(ゴーマルサン直後の3月か4月です。)鹿児島本線 博多駅8番線 33レ
    OLYMPUS-PEN F ZUIKO38㎜f1.8 NEOPAN SS

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝の定番

2010年04月23日 07時49分44秒 | 昔の写真

今は当たり前のようになった「朝練」ですが、当時はまだそんな言葉さえありませんでした。
自分たちで沿線で定番の場所を探し、なんとか編成が入る場所だったり、風景が良い場所
だったりと・・・。私の場合大体6時半ごろに現場に着いてこの33レ明星・あかつきを皮切りに
581系なは、14系ハザ雲仙西海・・・という感じで撮影していきます。
中でも、この下り33レは、ED72が牽いてくるので必ず押さえていました。
最近になってネコパブリッシング社発行の国鉄時代VOL.21昭和50年の記事を読んで判明
したのですが、実はこのED72の特急運用は50年3月改正で久々に復活したようです。
ゴーマルサン以前は、ED72、ED76といったSGをもった罐は限定運用で桜島・高千穂といった
旧型客車で編成された急行の運用に限定され、またED73、ED761000番代はブレーキの関係
で20系の限定運用がありました。これが九州の20系は当改正であさかぜのみになり、また
旧型客車による急行列車が全廃された関係で、機関車の限定運用が基本的に解消された
ようです。
結果的に、ゴーマルサン改正以降わずかな時間でしたが罐の廃車まで特急運用に復活した
ED72をしっかり撮影できたことは私の鐡人生の中で貴重な1ページになりました。

撮影;1976年5月頃 33レ 鹿児島本線 南福岡~白木原(現 春日~大野城)
          OLYMPUS OM-1 ZUIKO 50㎜ f1.8 TX(ミクロファインにて自家現像)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足尾線の頃

2010年04月22日 07時51分36秒 | 徒然鉄ネタ
3セクになる前の足尾線は大きな鉱山を抱える鉄道でありながら沿線風景は渓谷鉄道然とし
好きな線区でした。その足尾線にまだ腕木式の信号が残っていた頃(確か1983年だと・・・)
足尾駅の朝の風景です。奥が足尾駅だと思いますがキハ40系が止まっています。
構内のはずれに停まっていたDE10は若番の55番でかわいいつらら切りを装備しています。
いろいろ調べたのですが、おそらく回転式ではなく四角い大型のデフロスタを付けてしかも
つらら切り装備はここ足尾線にしかいなかったのでは??と思うのですが・・・。

撮影;おそらく1983年 足尾線足尾駅 NikonF2 PhotomicSB Nikkor50㎜ f2 TX
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪晴れの国境

2010年04月21日 07時29分21秒 | 昔の写真
この3月改正で、貨物の運用がEH200で統一された上越貨物。

ほんの束の間でしたが、昼間の撮影可能な時間にEF641000番代重連の貨物が復活して

我々国鉄ファンを喜ばせてくれました。

中でも、上越国境を超える重連貨物は山男の真骨頂といえる仕業だったと思います。

写真は、1981年春まだEF16に代わってデビュー間もないころの新シェルパEF641000番代。

作業灯もないスッキリしていた頃の1009号機ほかです。この頃はまだ本務機にEF15が

活躍していました。

撮影;1981年3月 上越線土樽付近 NikonF2 PhotomicSB Nikkor50㎜ f2 TX
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秩父の足長おじさん

2010年04月20日 07時39分50秒 | 徒然鉄ネタ
先日秩父鉄道に久々の撮影に行き、懐かしくなったのでED38をアップします。
このED38は確か1000という形式で阪和鉄道で新生された罐です。腰高なスタイルから
足長おじさんの異名を持っていました。阪和のモタ・クヨ同様に窓の上部がアールで独特の
エクステリアと凸型が主流だった電機の中で箱形なのが気に入っているポイントです。
高校2年の夏休みに上京した際に池袋から西武レッドアロー号で撮影に行きました。
残念ながら走行写真やパンタが上がっている写真が無いのですが、確実に現役の姿を
撮影できました。この後車体を青に塗られて暫く活躍しましたが、結局走行写真を撮れない
まま引退してしまいました。現在も三峰口の構内に静態保存されています。





撮影;2枚とも1978年8月 秩父駅構内 NikonF2 PhotomicSB Nikkor50㎜ f2 コダカラーⅡ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする