6月に入りいよいよ梅雨も秒読み状態。
その梅雨に撮ったナナニを一枚、相変わらずの早切りマックだが・・・。
今でも電関人にとっては、シゴクにゴハチにナナニが好きな急客機三羽烏なのであるが
そのナナニとの蜜月時代は75年頃から5年ほどだっただろうか。
ちょうど天下の改悪ゴーマルサン(50年3月改正)で九州島内の旧型客車による急行列車大量廃止と共に
ナナニの暖房用ボイラー使用が終焉となり、その運用も僚機73、75300、76と共通化され華々しい限定運用終了後だ。
共通運用の中で特急列車の先頭に立つこともあれば、貨物を牽くこともあった。
D級機でありながら水タンクに付随中間台車、それに特徴の鳩胸で長いボディがカッコよかった。
彼の雄姿を少しでも多く記録すべく雨の中でも、チャンスがあれば線路端に出かけたのだった。
薄暗い梅雨の中を下っていくナナニはSSが稼げずブレてナンバーが読みづらいが15号機だろうか。
この頃の組成としては珍しく、後ろ半分がコンテナで地域間急行か何かだろうか。
低い吊掛音が聞こえそうな在りし日のナナニは電関人を写真の世界に誘ってくれた最右翼の形式。
1976年梅雨 南福岡~白木原
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ナナマルとある意味兄弟機ですからね。
私も北陸本線のナナマルは一度だけで終わりました。
その後九州に転籍になった彼の機は入れ替わりに電関人が東京に行ってしまい、一枚もその写真がありません。
転籍話といえば、ナナキュウ50番代はそんなに改造費用が高かったのでしょうかね?!
九州に第二の人生を送るナナゴ族ナナキュウを見たかったですが・・・。
そのサイドビュー、このナナニに似ており、鳩胸か洗濯板(失礼!)かの違いはあれど、エアフィルター周りは似ていました。
小倉門司界隈で、数枚しか記録していないのが今もって悔やまれます。
地味ながらも、この両機が君臨した時代の鹿児島本線は楽しかったです。
一度でいいからナナニがスチームを濛々と噴き上げながら旧型客車の急行を牽く姿を見たかったです!
前にもブログに書いたことがありますが、就学前の電関人が父親に連れられて
鹿児島本線で見たブルトレの先頭に立っていたC59、かっこ良かったです。
そして小倉工場でも九州鉄道記念館でもC591号機には逢ってます。そして、山形へ行くときに東京まで乗車した20系
みずほの牽引機は、門司までC59だったはずなのです。
鳩胸スタイルのED72に73は私も大好きな機関車でした。
特に72の重量級の長い車体は貫禄がありました。
晩年、“はやぶさ”号の先頭に立った姿が思い出されます・・・
鹿児島本線熊本電化が65年。呉線電化が70年。一時期、小倉工場に1号機が保存されていました。
ゴハチは下関まで出張れば撮り放題。ナナニは例の東芝製で、SGのお蔭で中間台車付の長尺ボディ。
先日、門司港の九州鉄道記念館でシゴクとナナニの1号機を見ましたよ。
実は門司港駅が保存修復中のため、仕方なく記念館の方に。事前の調査不足でした。
時代が時代でしたからね、でも上り線の車両限界には侵入していません(笑)
このストレートも、現在途中に最寄りの駅ができてます。
王、大鵬、卵焼きじゃなくて、シゴク、ゴハチ、ナナニでした(爆)