名優 樹木希林さんが亡くなった。
昭和、平成と芸能界を歩んできたその存在感たるや圧倒的だと思う。
自分の鉄道人生における存在感といえば、581(583)系か。
夜行に昼行にと車両基地に居ることがないほど働きまくって、
最後にはタウンライナーなどその身を切り分けてでも活躍し続けたという意味においては、
何だか通じるものがあるように思えた。
1977年 博多駅
名優 樹木希林さんが亡くなった。
昭和、平成と芸能界を歩んできたその存在感たるや圧倒的だと思う。
自分の鉄道人生における存在感といえば、581(583)系か。
夜行に昼行にと車両基地に居ることがないほど働きまくって、
最後にはタウンライナーなどその身を切り分けてでも活躍し続けたという意味においては、
何だか通じるものがあるように思えた。
1977年 博多駅
フジカラーのCMはまさに正月の顔でありました。
「お正月を写そう!」を、「デジカメで写そう!」に変えたら一気にデジカメ時代が到来すると揶揄されたのも、
その影響力の証しであり。
583東北行き夜行特急は高峰の花、その後のドサ回りも含め、昭和の顔の割には縁の薄い車両でありました。
国鉄特急エンブレムとJNRマーク。この二つは、ザ・国鉄特急の証ですね。キハにも付いてます。
どちらも、こだま型登場の際の1958年の一般公募ですが、良いデザインが出てきたものです。
この車両、東日本では「はつかり型」です。何で長寿になったのか疑問多き形式です。
その昔、座席夜行急行の「津軽」で乗って、座席の使い勝手の悪さに散々苦しめられました。
戦後世代の昭和の文化を築いてきた人々が一人また一人と。
自分が歳をとったこと以上に、昭和が遠のく感をひしひし感じるのであります。
エンブレムとJNRマークに特急の威厳を感じたものでしたが、
今の特急はほんとうに威厳が無くなってしまいましたね。
581系の中段は収納構造から寝台面がくの字で平面が狭く、
小学生の自分ですら寝づらかったのを未だに覚えてますよ。
43.10から始まったこの顔も、残すは長野の189系と「やくも」の381系くらいですかね。
この顔と東海顔は永遠に無くならないモノだと思っていたので、残念というか不思議な感じです。
何時までも色褪せないデザインこそが、鉄道車両には不可欠なんだとお写真を拝見して感じました。
国鉄時代における定番のデザインにはそれなりの鉄道工学的理由も
色々あったはずでしょうし、
それを外に丸投げしてつくられる最近の車両には何処となく
信頼性が薄いように思えてなりません。