一部再掲ですが、昭和50年3月改正の想い出を。
この改正により、山陽新幹線は岡山から博多まで一挙に延伸しました。
かもめ、つばめ、はと、しおじ・・・など名列車が山陽路から姿を消してしまいましたが、
電関人にとって唯一嬉しかったのが、小郡(現 新山口)からの山口線経由山陰連絡特急おきの新生でした。
もちろん、かもめの廃止により捻出された82系を転用した列車です。
さっそく改正直後のGWにこの列車の撮影小旅行に出かけました。
新車ではないものの、真新しいヘッドサインを掲げて出発待ちをしている82系はやはり風格があります。
当時の特急列車はやはり高嶺の花で普通列車で益田駅に出て近くのオーバークロスから
新特急おきを狙います。
無煙化間もない益田駅構内は煤けたモノトーンで、そこへ颯爽と入線するDC特急は
とても華やかに見えました。
1975年5月 山陽本線小郡駅(上)、山陰本線益田駅(下)にて
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しかし中学生で山陰まで詣でたとは羨ましい。
まあ、その頃写真のシの字も知らなかったから
しょうがないけど。
>無煙化間もない益田駅構内は煤けたモノトーン
て、そんな煤けた風景見たかったなあ。
間に合ったのに間に合わなかった時代は、少し悔しく、少し憧れる存在です。
電々公社のアンテナ塔に目がいったことを自己批判します。
両方ともあの頃の地方都市のステータスシンボルでしたからね。
懐かしいです。
キハ82系時代は言うに及ばず、キハ181系時代も結局乗れずじまいでした。もっとも、ウチから行く場合山口にせよ徳佐にせよ津和野にせよわざわざ特急に乗る程の距離でも時間でもなくその必要が無かったことも影響しています。
現在キハ187系のスーパーおきが県内唯一の在来線特急列車として走っていますが、国鉄時代からは想像出来ない短時間で線内を走っています(新山口~津和野間、SLやまぐち号は9521レの場合2時間要しますがキハ187系だと約1時間で走破します)。
おきはやまぐち号を撮影した時に撮った記憶があります。
また山陰本線ではまつかぜも82系で走っていましたね。
もう一年早く、親が許してくれていたら
博多を午前3時半頃発車する急行屋久島で下関に
でて山陰本線のD51が撮れていたのですが(笑)。
おっしゃる通り、益田の構内は結構渋かったです。
DF50の姿も見えていますがこの時はカメラを
向けていませんでした(汗)
それと、ダブルルーフのオル31(?)が居ました。
キハ187系二両編成…
車販無し(>_<)
鉄道の旅も淋しくなりました
うーん、確かにキロの位置がかもめ時代と
変わっているようですね??
編成ごと向きを変えたのでしょうかねぇ?
82系まつかぜも大好きな列車で、まつかぜは
全線完乗いたしました。
187系はなんだか無愛想な顔をしていてしかも
2両編成というのが・・・トホホですね。
確か急行石見も基本が2両だったような。