やがて伝説になろうとしている定期夜行列車。
思い起こせば、電関人が躍起になって夜行列車を追いかけるようになったきっかけは
撮り始めた頃のごった煮形式の急行列車編成。
「ハ」のみで編成されるモノクラスと違って「ロ」が燦然と輝く豪華な編成をした列車。
丸太んぼの車体に嵌め殺しの窓の中にプルマン形式の寝台車とゴツゴツの車体に角ばったクーラーのキセ、
ずらりと並ぶ銀縁の窓にモケットの上に掛けられたパリッと糊の効いた純白のカバーと足載せ。
たった1両ずつなのにロネとロザが付くだけで格段にグレード感が上がる不思議な魔力を感じた。
有効長の関係からここ出雲市の塒では、だいせんの寝台主体の長い編成のうちロネ、ロザが分離されて上り仕業まで一休み。
1976年8月 米イモ区構内 急行だいせん編成
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まだ客車による普通列車もあった当時、特別な存在だと主張していたんでしょうね。
車両の興味が薄く、というよりあまりに当たり前過ぎて特別関心無く車窓に見送った日々は遥か遠く。
斜光線のコントラストが、あの頃に誘いますね。
出雲市駅はホームの北側に並行して留置線があり、客車が良く見えましたね。
バックには西寄りに大きなビルがあったと記憶しています。
この写真はホームの東端辺りからの撮影でしょうか?
この風景にはあまり覚えが有りません。
雑多な編成の中でこのコンビが繋がれた編成には、何度となく鉄ゴコロを擽られたものでしたね!
そして20系。あの頃は良かったと爺さん発言をしちゃいます(爆)
戦争を跨いできた兵どもも混じりゾロゾロ繋がれた中に、
矍鑠とした老紳士のように存在感を主張していたロネとロザが好きでした。
これにオシ16や17が付いていれば言うことなしなのですが、
若干生まれるのが遅かったようでして・・・(笑)
今でいう西出雲側にレンガ庫があってその脇をオリンパスペンF+100㎜にパナトミックXパンで切り取っております。
煉瓦庫が入っていないので解りずらかったと思います。。。