遂に禁断のへろへろレールのジャンルの庫開き。
その記念すべき第1回は米麹を作っていた店の屋敷内のへろへろレール。
それは、電関人が実物を見てみたかった九十九里鉄道の起点である東金の街の中にあった。
訪れた時は、予期せぬ雪に見舞われて肝心の専用線は開店休業状態。
屋敷の門をくぐると線路が唐突に始まり、坂を駆け上がって裏山の室へと通じている。
途中作業場への支線(?)の分岐もある。
屋敷の大きなの木の下にターンテーブルを擁する作業場があって線形も美しく、大きめの台車には手動ブレーキも見える。
作業場の分岐の上には大きな蔵もありその横を本線が室に向かっている。
室は数か所に分かれていてその一つにこの専用線唯一の動力車がしまわれていた。
手押し耕運機を改造したベルト駆動の屋台型をした動力車はもちろん店の主人のお手製。
麹作りの準備を見せてもらう。
小型の台車に、木枠の中に蒸し米(?)を入れたものを幾つも積んで室へと運んで行く。
動力車は、重い資材を坂を上って室に上げるためのものだという。
かつて九十九里鉄道が走った町で奇しくもナローゲージの鉄路を見る事が出来たのだった。
1983(?)年 東金 伊勢孫本店にて
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電関人にとって第二私鉄(「私鉄とは、身近な鉄=わたくし鉄」という意味でそれ以外を他鉄として区別)である近鉄。
その理由は、叔母一家が近鉄車庫がある高安駅の近くに住んでいて電関人は物心ついたころよりその魅力の虜になっていた。
近鉄の魅力は何と言っても営業キロ数が長く、有料特急が多くの路線を走っていることである。
電関人世代にとってその憧れの特急車両の最右翼が10100系ことビスタ2である。
そしてエースカー、スナックカーという順序。
今日から不定期に数回にわたってアップすることに。
その1回目、10100系。
写真は、高安駅の南で定点的に撮ったものでやっと高校に上がる頃の電関人の腕なので質は不問で(汗)
上本町行堂々7両編成の後寄りにC編成がついていた、電関人唯一のカラーのビスタ2。(1976年頃撮影)
最晩年に10100系のA+C+Bで走ったその雄姿を拝んでみたかった。
そして、10100系といえばやはり非貫通のコイツ。
難波行のA編成。当時の国鉄のボンネット特急形に引けを取らないカッコよさ!!
今度は賢島行で折り返してきた。前方のビューを考慮して貫通ドアと右側のパノラミック窓を大きくした近鉄のサービス精神が
感じ取れるデザインが好きである。
今度は、乙特急(名阪ノンストップ)運用。
好く見ると、南海こうや号のズームカーと色んな共通点がある顔立ち。
最後は、当時の電関人としては気合いのビスタ流し!!
エイッとカメラを振る。
そして、最後尾も追っかけ流しで・・・
アングルはさておき、当時の一発勝負で前後ともになんとか止まってくれた!!
次回のエースカーに続く。
モノクロは1977年頃の撮影 近鉄大阪線 高安駅付近
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