明けない夜はない

膣ガンステージ、肝臓に遠隔転移あり。只今経過観察中。そんな私の心の叫びと、乗り越えて来た事、あれこれ。

RFL芦屋とある夜の出来事

2007-07-19 13:37:51 | 現在日記や、つぶやきとか

皆様こんにちは
いよいよ夏本番。
我が家近辺では、セミらしき合唱が、朝から聞こえてる。
彼らには悪いけど、ちょっと暑苦しい。正直ね。

さて。
お気付きの方も居られたようですが、私のトップページの欄に、
「リレー・フォー・ライフ芦屋」のバナーが貼ってあります。

RFL(リレーフォーライフ)とは、(以下、公式サイトより引用)

1985年にアメリカ・ワシントン州シアトル郊外で、
アメリカ対がん協会のゴルディー・クラット医師が始めたイベントです。
マラソンが得意なクラット氏が大学の陸上競技場を24時間回り続けるなか、
友人たちは30分間だけ医師と一緒に回るごとに25ドルずつ寄付しました。
その結果、1日で2万7千$が集まりました。
参加者を増やすために翌年からは医師、患者やその家族、
友人が数人ずつのチームを組むリレー形式になりました。
24時間歩き続けるなかで、参加者の間にがんと闘う連帯感が生まれたのです。

単なる資金集めのイベントとしてではなく、
地域社会全体でがんと闘うための連帯感を育む場として
リレー・フォー・ライフは大きく広がり、現在では全米4000カ所以上、
世界20ヶ国以上で行われるようになりました。

開催方法は様々だが、共通するプログラムとして「サバイバーズ・ラップ」
(がんと闘う人たちの勇気を称え、がん患者やがんを克服した人たちが歩く)、
「ルミナリエ」(がんで亡くなった人たちを偲び、
一人ひとりの名前を記した紙袋の中にろうそくを灯して並べる)などがあります。
ほかにバンド演奏、ゲーム、バーベキューなど様々なイベントで盛り上がります。
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何やら、大きなイベントで、ちょっと怖気づきそうな私だけど、
でも、一つどうしてもやらなければならない事があった。
それを果たす為にも、絶対参加しなければならない。私は。

去年、初めてこのRFLと言うイベントが筑波で開催された。
それを知ったのは、mixiと言うSNSサイトからで、
mixiを始めたばっかの私に、いろんな方々が助言をくれ、
そして仲間として沢山の方が繋がって下さった。
その頃治療中だった私は、どんなに励まされた事か。
そして、大半の方が始めた1年前と変わらず、今も仲間として繋がっている。

その中の1人の女性に去年、
「是非、一緒に筑波RFLに参加してみない?」
と、誘って頂いた。
当時の私は、まだまだ治療中。副作用もあったし、髪も丸ハゲ。
それより、自分に自信が無くて、外で人と会うのがまだまだ怖かった。
だけど、そんな彼女も、闘病中であり、治療中で辛い状態だったのに。

私は、筑波は遠方だし、治療中の為参加する事が出来ませんとの旨を伝えると、
その彼女と他の仲間の方は、快く承諾して下さり、そして私に、

「当日、同じ時間に、空を見てね。空はずーーーっと繋がっているわ。
 同じ空の下に、私達は居るのよ。忘れないでね。私達はクランベリーさんを、
  その時間空を見ながら想うわ

と言ってくれて。とってもジーンとストレートに来た。
その当日、とても良いお天気だったそうで、こちらも良いお天気だった事もあり、
空に向かって、私も皆を想った。
そして、来年は、必ず会いましょうねと願った。

mixiに書く私の日記には、調子が良ければいつもコメントを下さり、
そして、いつも

「ベリーちゃんの記事は楽しみよ~だって、美味しい物が載ってるからね

と、喜んでくれて、いつも励ましてくれたし、気に掛けてくれた。

次のRFLが関西で開催と決まった時、絶対彼女に会うんだ、
去年、いっぱい励ましてもらった御礼を、直接言うんだ!そう思ってた。
なのに、もう会えなくなっちゃった。
直に御礼を言えなくなっちゃった。

私はあなたが大切に大切に、温めてきたRFLと言うイベントに、
今年は夫婦で参加し、歩きます。心にあなたを想ってね。
旦那様の素敵なアノ言葉、今も覚えています。

「癌は、愛情に弱いんです」

あなた達夫婦を、とても尊敬していたし、私達もいつかそんな夫婦になれれば良いな、
そんな風に、思っていました。まだまだ理想に追い付けないけど。
だから、一緒に歩きます。

各々に、想いはあるけど。
皆さんも、私達とRFLで一緒に、同じ時間、同じ場所で過ごしませんか?
一緒に、歩いてみませんか?

詳しくは、コチラ、RFL芦屋のサイトより、見る事が出来ます。      

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その日は、とても朝から電話が沢山鳴る日で、しかもその大半が、セールス。
もう、うんざり~って思いながら、留守電をセットし、居留守を使った。
夜になり、相方が戻ってきて、又鳴り響く電話を、おもむろに彼は取った。
どうせまた、セールスか選挙の事でしょー?って私が言ったら、
相方の面持ちが、急に恐縮したように、おじぎしたり、慣れない敬語使ったり
してて、電話の向こうの相手は、誰なんやろ?うーむ・・・
ひとしきり、妄想してみた。
『親戚か?いや、違うな。主治医?いやいや違う、昔の社長?上司?
 一体誰なんだ・・・』
そう妄想してると、妻に代わりますと相方は言い、私に受話器を渡した。

その電話の相手は、5月に旅立った、Iさんのお父様だった。
私は、心の準備も出来ないまま、お父様とお話した。
わざわざ、前まで住んでた実家に電話し、今住んでいる電話番号を、
母から聞いて、連絡下さったらしい。
覚えて居てくれていたって事が、嬉しい。

「元気そうやね~(^_^)vあの時は、いろいろありがとう、
 悲しい思いをさせてしまって、ごめんな。でも、あなたが元気で居てくれるのは、
わしにとっても、凄く嬉しいんやで。これからも、ずっと元気で居ってな」

と、私の病態を心配しながらも、励まして下さり、なんだかちょっと温かくなった。
聞いてみると、お父様、Iさんが居なくなってから、かなりの喪失感に耐えられず、
ショックで倒れてしまって、ついこないだまで、入院中だったそうだ。
そして戻って来た今、あの時お世話になったからと、私を探して電話して下さった。

Iさんの入院中には

「わしは、もう年やからエエんや。代わってやれるものなら、
 娘と代わってやりたい」

とっても、優しい素敵なお父様の気持ち。
父親と交流の少ない私にとって、Iさんとお父様との関係が、少し羨ましく思えた。


電話の最後には、

「家族一緒と言う時間は、とても大切やで。離れて暮らしててもたまには、
 ご両親に、ちゃんと顔を見せに、帰るんやで」

と、お父様らしい言葉で、電話を切った。
この日、この時、もし留守電のまんまにして、出なかったら、
話が出来なかったかも知れない、そう思うと、この電話を取った相方に、
お礼を言わなきゃね。夫よ、ありがとう☆

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週末に食べた、おやつでも。どーぞ。

男のテラミスですか・・・。
ま、私戸籍上は女ですけど、食べても良いわな。
って言うか、食べますし。

結構、本格的に層が美しいです。
でも、強いて言うなら、洋酒をもうちと利かせて欲しかったかも・・・
普通に美味しいです。あ、でもBIGサイズなので、1人じゃ無理かも。
もちろん、お1人で食すのもOKです。(って私が言う事じゃ無いね

私は、マンゴー狂ですから、見つけたら即トライです。
しかし、果汁果肉5%・・・。

おぉーっと、やっぱ果汁果肉5%のお味です・・・
ハゲのとは、味わいちゃいますね。ま、お値段もちゃいますけど(・3・)ハイ!
ただ、冷たいだけでした。ごめんなさい。ま、食べましたけどね。

CM見て、食べたくなりました。イチゴソース入りのヤツです。
カップも、夏仕様

脳内イメージと、少し違いました。
イチゴソースは、前もって混ざっている模様
上に掛かってるタイプと思っていたのに・・・。ま、結局は混ぜて食べるんだから、
エエんですけど、自分で混ぜ混ぜしたかったのです(・3・)ハイ!

しかし、このストロベリーのフルーリー、結構ヒットかも
ジャムのような甘ったるさは無くて、ちゃんとの果肉も確認出来て、
甘酸っぱくて、美味しかったです
期間限定らしいから、もう一度は食べておきたいな~

普段は、粗食ですから、おやつのデザートは必須です
ま、粗食じゃ無くても、食べてますけどね~