(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

あぁ。・゚・(ノД`)・゚・。江ノ電・・・

2005年09月25日 | 5ch】続・今日のおまいら【SNS各所
さて、アレのほう
(管理人注:avexと展開中だった「のまネコ問題」)も
まろゆきの対抗処置が発動されて
いよいよ向こうの対応を待つばかりとなったわけですが。

一方、こんなストーリーも隠れている訳でありまして。

http://www.geocities.jp/dampflok75/2ch/1126102228321_321.html
(保存先url)

321 :お前名無しだろ :2005/09/25(日) 10:42:44 ID:Iy4FiaYR
松平健に比べれば地味な勝野洋だが、太陽~放送当時の人気は凄いものだった。
昭和51年、テキサス刑事殉職は40%を超える視聴率を取り、勝野は慰労のため、
「メキシコにいるプロレスラーの友人に逢いに」旅行中、
急遽日本テレビに呼び戻される。「俺たちの朝」製作開始のためだった。
俺たち~は鎌倉を舞台に設定したため、江ノ電の協力が不可欠。
だが局が江ノ電にその事を申し入れると、「一年の放送では無理だ」という。
何でも自家用車の急激な普及のため、乗客数が激減し、あと半年ほどで全線廃線の予定だというのだ。
局はそれでもいい、いや廃線するならその事もドラマに使えると計算し、頼み込んでOKを貰った。

放送開始した「俺たちの朝」は前作「俺たちの旅」を上回る視聴率を獲得し、
休日には全国から若者が鎌倉に殺到した。そして、事もあろうに江ノ電は、
開通以来初めての大幅黒字を計上し、すっかり立ち直ってしまった。
半年後の廃線予定も霧散し、ドラマが終了しても乗客は途絶えることなく、
今度は車の渋滞が鎌倉市の深刻な問題となり、かえって江ノ電は市民の足として無くてはならなくなってしまったのである。

このドラマ出演以来、すっかり鎌倉という土地が気に入ってしまった勝野は、
後年そこに別荘を買い、現在は夫人のキャシー中島がそこで店をやっている。
勝野はこの地を訪れるたび、地元の人々に、「あんた、鎌倉の歴史を変えたねぇ」と感慨深げに話しかけられるのである。


江ノ電・・・
そんな話があったんかい。
まさか2ちゃんのプ板でこの話を見るとは思わんかった。・゚・(ノД`)・゚・。

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