(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

震災の陰で

2012年02月29日 | ▲EF62・EF64▲遥かなる山の呼び声▲甲信越・中央東線▲
あんまり語られることもなかったんで、ずっと何処かで語ろうかと思って切り出した中に、こんなのがある。
 1995年1月28日の回9327レ。「シュプール妙高志賀5号」の回送。
 スハフ12を両端に連結して、あとはオハ14が6両、しかもオハ14はみな同方向(切り出して初めて気がついた)そういう編成で走ったのを1回だけ撮影した。
 阪神大震災が発生した1995年のシーズンも客車列車のシュプール号が、大糸北線と信越線に土休日を中心に多数運転されていたが、その震災当日の朝の山陽本線上に14系リゾート車6連によるシュプール号の編成があって、宮原に回着できない事態が発生した。
 その直後の最初の土曜となった1月20出発分はなんとか全て運転されたが、翌週27日出発分になって大糸北線に向かう「シュプール白馬栂池」分の車両が不足。急遽、信越線向け「妙高志賀5号」に充当する予定の下関所の14系座席ハ・ハフ車12両のうちのハ・ハフ6両が充当されることになり残されたハ車6両は宮原区のスハフ12形2両を連結して予定通り「妙高志賀5号」として走った。
 俺は友人と一緒に、まず雪の関山で身の丈以上もある雪の壁にアタックしたが、「8両しかない!」と友人が言うのを聞いて、嘘だろ?と思った。何せ雪が強か降ってて脚回りも見えない関山での撮影なんで、何両あるかまでちゃんと数えられない。なら北新井まで下って、直江津行きの回送撮った時にちゃんと確認しようということにして、俺らは関山を後にした。
 朝っぱら降っていた雪も午前中には上がり、北新井の空は次第に晴れてきて「逆光」状態に。雪の反射拾えるから、メーター通りでいいよと友人にアドバイスを貰いながら露出を決めローアンで待てば、EF64 1053+1051牽引の回9327レが1時間余りの遅れでやって来た。


↓左に斑尾
右に妙高がうっすらと背後に見える


「ホンっトに8両しかなかったね」

 短縮編成での運転はこの土曜(と、日曜発の回送・営業運転)だけ。その後2月以降は14系ハ・ハフで走っていた大糸北線の「白馬栂池」を1往復運休にしてJR西日本は激動のシーズンを乗りきった。
 撮影後、誰か何処かに揚げるだろうと鉄道雑誌の投稿欄をめくってみたが、この話題は事が事だったせいもあり何処の雑誌にも載らなかった様だった。(後にどっかの客レデータベースサイトにチラリと上ったが、現在閉鎖中)
 以来十数年経って自分の発表の場をこんな形でもつようになったので今回の更新。手前の雪の影に惹かれてこんな撮り方になったが、普通に立って撮ってもよかったとかもう少し左で撮ればよかったとか、今なお色々反省している。


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