(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

ボロは着てても

2012年12月01日 | ぎゃらりぃ「チラ裏」
寝ても覚めてもひと手間、hitotema…


2004年1月下旬の4055レ
2002年の12月1日改正前までは3051レを名乗っていた列車でもある。
今日はその改正から丁度10年。
当日の改正で隅田川発のエース、3065レに3051レの列番を譲り渡し
従前の3051レは代わりに4055レを名乗って
越谷タ~札幌タ間を走ることになったが
以前からの八戸貨物~東青森間60分走行は
相変わらずのままだった。
すなわち上記の区間の表定速度…

88.5km/h

今でも3059レなど一部の列車で
キンタに受け継がれている高速度運転。
下りのナナゴ重連列車で昼間に見られたのは
「八戸開業」改正でこの4055レだけになっていた。
尤も当初は2053レもその中にあったけれど
こちらは2003年6月末の運用改変でキンタ牽引になって
P型重連(すなわち殆ど"ハラマキ"だらけ)で疾走する姿は
既に見られなくなっていた。
なお東北本線の1000トン列車の最高速度は
現在でも95㎞/hのままの筈。(850㌧で100km/h)
「Bじゃねぇか!」と思われるだろうが
後続列車が特急列車とかの理由から
ブレーキ扱いがとてもシビアなので「A」指定を受けているとの事。
そして、実際高速貨物「A」列車らしくとても速かった。
(後続がガンダム485系「白鳥3号」ならむべなるかな)
狩場沢や西平内とかで何回も対峙したが
前者の場合、坂を登りきったら最後
駅手前の左カーヴまではもうあっという間。
また所定よりも1分から2分くらい
早く通過する事もしばしばあって
シャッター切りながらその速さに驚かされたりした。
P型限定運用じゃなかったというのもあったろう
その辺りは機関士の腕次第、だったようだ。

この日2004年1月20日
1029+109の3083レとかでお腹一杯にナナゴ重連を堪能した俺は
名取の駅で入れ換えに励む原色機131を見た瞬間
仕事場に急きょ「明日、やっぱり代休にして!」と電話を入れた。
履いてた靴が夏物のトレッキングシューズで
長靴でも買おうか、どうしようか考えたが
暖冬だし、あっち(青森)いっても何とかなるでしょ、と
仙台市内で靴屋を探すのをあきらめて
「はやて」で宿のある八戸に向かった。
翌21日、西平内は午後まで晴れ。
道路はアスファルト丸出し状態で
日向では乾いてる所もあった。
南風が強めに吹いていたが日差しはまぁそこそこ。
4055レは西平内、1132時ぐらいが所定。
だが思った通り、同レは若干早めの1131時に通過。
次ソは前日岩沼で寝ていた1004が務める。
前機131の外版はボロボロで、とても気の毒に見えたが
「ボロはぁ着ぃててもぉ、心ンのぉ~錦ぃ~♪」
とコブシをふるうように高々と
モーターを唸らせて去っていく姿がとても印象的だった。
今でも脳裏に浮かんでくる1シーンのひとつだ。

後にこの列車は3063レを名乗って今に至っており
積載されるコンテナも今とさほど変わりはないようだ。
近年別の列車が4055レを名乗って
山手貨物線→東北本線を走るようになった時は
「ぃやな列車が2代目を襲名しちゃったなぁ」と
貨物時刻表を手に苦笑いした。
人はその2代目を「トヨタ・ロングパス・エクスプレス」
略して与太号と呼ぶ。

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