(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

伝説のもう片っ方。

2018年06月16日 | ★★★┃ ロ┃ED75総合 |★★★
 あの落書き事件がなければ怒りの復活はなかった、という129と136の2両のうち、あんまりサルヴェージの俎上に載らない136を今回久々に。

4085レを牽く。 09.10.'05

 ダッパラでも何でも129は撮った回数は多いんだが、136は何故か俺からすると、明後日の方向の仕業入ってるか動かないかどっちかで、タマに人寄せで129と組ませればそっちが前に来て136は後ろ、ってことが多かった印象がある。尤も、中越地震のワム迂回列車には少なくとも2回入って会津若松まで出掛ける活躍も見せてるので、一概に「仕事していない」とは言えないが。
 そんな中での05年10月、日曜日着の4085レに136が入ると聞いて、いつもの装備で出掛けた。成増発初電で池袋まで出て、4085レにECO-LINER 31が載ってるのを確認してから大宮から「なすの」利用で黒田原駅へ。
 相方は1021。前の年に「新更新色」2号ってことで大宮を出てきたP型が次位につく。果たして編成は?とみれば、池袋で見てて知ってたけれど、3077レで盛岡タまで行く分8両がスッカスカで、残り宮城野止まりの12両が満載というイビツなもの。まぁタンコンやトランシーも載ってるからいいのか・・・と妥協しながら見送ったけれど、載れるものならその後ろのコンテナ、どおせ水沢かどっかまで行くんだろうから盛岡タ行きの方に載せりゃいいのにと、内心そう思っていた。
 翌年2006年秋に2両はめでたくお役御免となったが、129が10月下旬の2670レ牽引で終わったのに対し、136はもうちょっと長く走って11月上旬まで頑張っていた。最後に撮ったのは11月何日だかの2079レで、聞けばその後直ぐ仙貨に戻ってきて休車になったらしい。

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