電報略号で長町(ナチ)機関区(キク)だから、ナチキク。長町駅周辺の再開発のため東仙台駅の北に移動した後、仙台総合鉄道部(仙貨)に変わる。
↓128+93が牽く4086レ。 '93年春
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/4c/fc0dba29e75192db4f2a25837a700fef.jpg)
この列車の牽引は両方とも同じネグラの所属機が担当。ナチキクはヤネガマも多く所属していたが、高速貨物A列車を重連総括で黒磯~青森信間を通しで牽く「P」型運用の多かった盛岡区(通称:モカキク)と違い、ここに所属するナナゴは「M型」と呼ばれた一般型が多かった。
後に「腹巻き」になった128も、この頃は東北本線の交流電化区間ならどこにでもいる原色M型の1両だった訳で、この時は毎年「恒例(予定@当時)」の船岡の花見でたまたま重連前機に立ったのを撮っていた。花は盛りを過ぎて花吹雪状態だったから、せめてもう少し早くに来られたら良かったと思った。
因みに右手奥にある三色の看板は地元宮城の自動車学校のモノ。平成2年(1990年)以来、内外の鉄ちゃんから嫌われていたが、つい数年前に看板自体が腐食して倒れて今は無くなっている。
↓128+93が牽く4086レ。 '93年春
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/4c/fc0dba29e75192db4f2a25837a700fef.jpg)
この列車の牽引は両方とも同じネグラの所属機が担当。ナチキクはヤネガマも多く所属していたが、高速貨物A列車を重連総括で黒磯~青森信間を通しで牽く「P」型運用の多かった盛岡区(通称:モカキク)と違い、ここに所属するナナゴは「M型」と呼ばれた一般型が多かった。
後に「腹巻き」になった128も、この頃は東北本線の交流電化区間ならどこにでもいる原色M型の1両だった訳で、この時は毎年「恒例(予定@当時)」の船岡の花見でたまたま重連前機に立ったのを撮っていた。花は盛りを過ぎて花吹雪状態だったから、せめてもう少し早くに来られたら良かったと思った。
因みに右手奥にある三色の看板は地元宮城の自動車学校のモノ。平成2年(1990年)以来、内外の鉄ちゃんから嫌われていたが、つい数年前に看板自体が腐食して倒れて今は無くなっている。
どうもすいません、また恥ずかしながら歳をとってしまいました。
見かけた機と同じのが鉄博にいたりします。恐らく盛岡でみたのはレール輸送でチキとか牽いてきたやつでしょう。