ようこそ! 『栄子ママの箏だより』にお越しいただきありがとうございます。
今までお世話になった方たちに近況報告のつもりでほぼ毎日更新しています。
<坂の上の雲>の街に住んでバタバタと暮らしている<栄子ママのこと>を書き加えていきたいと思っています。
春のお彼岸に作るのはボタモチ(牡丹)、秋のお彼岸にはオハギ(萩)
祖母の話や母のつくる餡が大好きでした
阪神大震災のあと春分の日だけにしていることがあります
今まで・・・話したことも見せたこともないのですが・・・【写経】です
今日も、これから心をこめて・・・。
11日・15時03分
川内から雪の石鎚山
昨日は、浅海からの帰りに
作品展に並んでいたM子さんの【木彫り】をみました
展示はされていなかったのですが、同じ図柄の油絵も描いたそうです
SNS : Social Networking Service
人と人とのつながりを促進・サポートするコミュニティ型Webサイト
2003年頃、アメリカで次々と誕生したと聞いています
(映画は見ていないのですが)
【Facebook】に子どもたちが登録していたので
ニュージーランドでお世話になった方とも連絡がとれて
今回の災害のことも気にかけてもらっています
音楽サイトでご縁のあった方には【My Space】を教えてもらいましたし
私も2006年に【mixi】に登録しました
ご縁を嬉しく心強く思います
5円玉のこと、詳しくはWikipediaで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%86%86%E7%A1%AC%E8%B2%A8
18日金曜日・午後2時46分・・・
浅海で黙祷しました
夕方、K君とK君のママに会えて久しぶりにお喋りしました
【計画停電】で節電に協力していると
知らせてくれたお友だちに
直接関係ないかも知れないけれど・・・こちらも節電していますと話したことなど・・・。
K君は、私がバッグに入れて持ち歩いていた小さな懐中電灯が気に入った様で
「アッ! オ~!」と言いながら光の先を見ていました
その後は、
プーさんの通帳ケースをパタパタさせて大喜びでしたネ・・・また会いに来てね
<何もかもたりない>と・・・救援活動に関わられた方の報告をきいていました
ビニール袋を切り開いて簡易オムツにしたり・・・防災用具に一輪の手押し車を備えている話も
聞きました
東京の友人から
「あたりまえのように便利に利用していた車も
ガソリンが無くては、タダの鉄くずになってしまいます」とメールが届きました
長い待ち時間を並んでいたのだと思います
手荒れがひどいのを気にかけてくれていたアイさんがニトリルタイプの
ゴム手袋を持ってきてくれました
叔母と義母の二人分の汚れものの始末と三人分の食事の用意をしていた時は
JMSビニールグローブを使っていました
・・・今日も通って行けることをありがたく思っています・・・
「ウエスでしますから・・・」とヘルパーさんの言葉、
数年前には理解できなかった言葉です
ウエスは、Waste [wéist] :無駄・くず・ぼろ・廃棄物から、訛ってウエスと呼ばれるように
なったようです
古着や古布を再利用して雑巾がわりにするのですが・・・
オムツ交換のときに古いタオルを10センチ角くらいの大きさにカットしたものを
使っています
響演 春の海♪
昭和6年発売♪箏:宮城道雄 尺八:吉田晴風
昭和7年 ♪箏:宮城道雄 ヴァイオリン:ルネ・シュメー
昭和30年 ♪箏:宮城道雄 フルート:吉田雅夫
昭和47年 ♪箏:宮城数江 フルート:ガッゼローニ
昭和53年 ♪箏:砂崎知子 ケーナ:ウニャ・ラモス
昭和54年 ♪箏:宮城喜代子 尺八:青木鈴慕
昭和54年 ♪箏:砂崎知子 ビクター・オーケストラ
七通りの<春の海>を聞きました
メル友第一号のエスさんが見つけてくれたCDです
義父母のところから帰って
3人の中学生と お箏をひくつもりです
【コンフォートクリニック】の
http://www.comfortclinic-hm.com/foot/index.html
シューフィッターさんに
きちんと計測してもらって、外反母趾(その上、右・左で大きさが違っています)の
私の足に合う黒のパンプスを買いました
地震の規模を示すマグニチュードは9.0だったそうです・・・
7年前、インド洋大津波を引き起こしたスマトラ島沖の巨大地震にほぼ匹敵する規模・・・
CNNチャンネルではメルトダウンという言葉を聞きました
炉心溶融・・・原子炉の炉心にある核燃料が過熱し燃料が溶けること
過熱を防ぐための水で満たされているはずの原子炉の水が減って核燃料が露出すると
過熱して溶けだす・・・この状態が続くと・・・
とても怖いです。
3月11日(金)
「お義父さん、今日は、遠くからの友人が会いにきてくれているので
3時の便で帰りたいのですが・・・」
「ハイハイ、お疲れさん、遅れんように帰りなさいよ」
15時47分:東京にいる長男から
<無事です!!かなり揺れました。>とメールが入ったので、近くにいたデパートの店員さんに
震源は何処ですか?と尋ねて、そこで初めて三陸沖での未曾有の規模の地震を知りました
待ち合わせの友人に伝えて・・・近い将来に想定される南海地震の話にもなりました
16時29分:夫から
<大変だ!大地震M8・4だって!仙台は海岸から数キロまで津波が押し寄せています。
宇和海周辺には津波警報がでています。>とのメールを受信しました。
仙台で仕事をしているNさんはどうされただろうかと気になって松山市内のお母様のところに
電話をかけたのですが、携帯電話は繋がりませんでした。
18時38分:東京の友人から
立っていられないほどの揺れでした・無事です・とのメール。
21時20分:公衆電話から長男の声
「立川にいたんだけどね・今、歩いてるところです。またメールします。」と。
先日、処分した長男のスポーツシューズです・・・夜道を皮靴で歩いているのかと思うと
気がかりでしたが
テレビで伝えられる恐ろしい映像に言葉もなく・・・阪神大震災の時と同じように・・・
苦しい時間を過ごしました
スカイツリーを見に出かけたお友だちは
家に帰れたかしら・・・
3月12日(土)
0時33分:長男から
<荻窪まで歩いて、丸の内線が終日動いているので、三丁目まで乗って帰ります。
無事帰れそうだよ>とのメールを受信。
1時50分:長男から無事に帰りついたと電話連絡がありました。
6時50分:夫と浅海へ出発
義母の身体は、ますます動きにくくなって・・・各関節の可動域も狭まるばかり