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Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

このブログについて

たまに更新します。
最近はnoteに記事を書いていますので、Earth Spiralのnoteもご覧ください。
note Earth Spiral
星々のことば/猫の言い分/Plant Medicine/白魔術研究所ほか

人間嫌い

2011-04-02 | 3.11
子供の頃から我が家には猫がいました。
猫は好きだけれど、人間は嫌いでした。

だんだん、人間にもなれてきたときに、
アロマの勉強して、なぜかアロマセラピストになってしまった。
人間のことをいろいろ勉強した。

人間の持っている可能性って凄いことにも気づかされた。

たぶん、その体験がなかったら、自分は
「人間なんて地球上からいなくなってしまえばいいんだ」
と思っていたかもしれない。

自分を植物たちや動物たちに同化させると、
今でも人間に対する怒りや憤りがわいてくる。

しかし、植物や動物って、そういう感情抱くのだろうか?
たぶん、そういうのは無いんじゃないかなと思う。
人間に対する怒りとか憤りは、
私の中から出てき来るのだと思う。

植物たちも動物たちも、淡々としている。
太陽に向かって嬉しそうにしている。
人間が矛盾したことをやってるのを、
笑ってみているような気もする。
アホか、って。
また、あんなことやってるよ、
可愛そうにって。

この期に及んで、安全な原発作れますとか、
科学技術によってこんな惨事が起こってしまったのだから、
これは、科学によって何とかしなければならないとか、
言う人がいる。

人間の可能性って、
仕事を通してずっとみてきたけれど、
そういうところで発揮されるもんじゃないと思うんだよね。

やっていることが自然界の法則に沿っているのかどうか、
中国の思想で言うとタオっていうことになるのかもしれない、
その時に、人間のポテンシャルが引き出される。

原発どうするこうするっていうのも、
そこにそって考えていったら、自ずと答えも見えると思うんだけど。

まあ、その「道」を見出すことは、
自分の気づきでしかないし、マニュアルは無いからな。

地球にいる限りは、何事も自然界に学ぶべし、と思うのだけれど、
自然をコントロールしようっていうのが、今までの文明の根底にあるわけじゃん。
そこからして間違ってると私は思うので、
やっぱり、その間違いに気づかない人間は嫌いなのです。

でも、窓の外では磐梯山も、木や鳥たちも涼しい顔をしています。
嫌いだ!と怒る前に、磐梯山のまねをして
涼しい顔をして眺めてみたらいいのかもしれないです。

最期まで見届けなければいけない

2011-03-22 | 3.11
原発の事故が明るみに出てから1週間あまりがたった。
原発リテラシーが低いため、情報を集めて、自分で判断するのには、
相当なエネルギーを使う。

原発事故処理のニュースがあるたびに、一喜一憂する。
いずれにしても、ここから離れないことは決めているけれど、
だからこそ、最小限に汚染をとどめて欲しいと思うと、
よけい、一喜一憂する。

そして、原発近くで農家や酪農を営む人たち、
自然と共に生きてきた人たちを思うと、
余計に、国や東電の対応に腹が立ってくる。

ここ数日は、国や東電の対応のあまりのひどさに、
郡山市長も県知事も、 怒っている。
全福島県民の代弁と考えてもいい。
現場の人はがんばってるんだから、東電さんがんばってる…
とは、決して思ってはいけない。
現場は現場。応援こそすれ、彼らを批判するのはお門違い。
全力で、事態を収束させようとしている現場の人々、
一方で、福島原発の廃炉の決断すら出来ない東京電力。

そして、多くの人が今、危惧し始めているのは、以下のことだ。

世の中は日常生活に戻ろうとしているという。
それは結構なことだし、仕事だって滞ってるから
一日も早く復帰したいのはわかる。

私の住む裏磐梯は微妙な位置。
半径90キロなので、まあ、大丈夫だろうという感じ。
見えない敵だから、それもどうなのかも分からない。
そんな状況にあると、だんだん疲れてきて、
もうどうでもいいです、という気持ちになる。

今日の放射能はどうかな?って予報して、
ああ、またか、と慣れっこになっていく。それも怖ろしい。

震災から10日。メディアでしか伝わってこないと、
だんだん、自分の日常とかけ離れて行き、
だんだんと、過去のものになっていく。

しかし、ここでは何も終わっていないのです。

ひとまず、現在3月22日時点では、山場は過ぎ去り
あとは、冷却されるのを見守っていくばかりかなと思うが、
予断は許さない状況。

このブログを読んでくれているみなさんも、もしかすると、
もう日常生活に戻りつつあるという人もいるでしょう。
それはそれで、バランスを取り戻す作用なので、自然なことだと思う。

問題なのは、東電や自衛隊や消防庁の放水作業を
遠くから劇場で行われているもののような感覚で見て、
なんとなく、大変な出来事だったね、でも被害が少なくてよかった、
とか、そういうもので終わらせないことだ。

ここで何が起きているのか、真実をきちんと知るべきだ。
そして、正しく怒るべき。
現場の人はがんばってるんだから、応援しなきゃ、
って言う人がいるけれど。それとこれとは話しが別。

真実を知り、正しく怒り、その怒りを社会を変える内的力と変えよう。
それは、単なる怒りではなく、自分の中に点火される、
生きるための力であり、燃やし続けなければいけない魂の力なのかもしれない。

この度の震災と原発事故で気づいたことはたくさんある。
その中でも、大事なことに気づいた。と思ったのが…

人は、それぞれ守りたいものがあるということ。
子供、大地、家族、権力、富などなど。
子供を守りたい人は、東京より先へ避難する、
大地を守りたい人は、その場に留まる・・・。

この人は、これを守りたいんだな、というのがよくわかった。

東電や政府はいったい何を守りたいんだろう。
最優先が、命を守ることではないんだ、ということはよくわかる。
どうしてそうなったのか、そして、そういう社会でいいのか?
そういうことを、この原発事故から読み解いて真実を知るべきだと思う。

今知らなくてどうすると思う。

そのために、原発君たちが安全に冷却されるまで
見届けることが大事なのだ。

多くの人が。そう書いているけれど、

今まで、私たちの豊かな成長や高度経済成長を支えてくれた原発君。
本当にありがとう。もう、働かなくても良いからゆっくりお休み。
原発君には、そう声をかけてあげたい。

そして、その恩恵にあずかってきたすべての人が、
きちんと、原発の最期を看取らなければいけない。

雲たちに祈る

2011-03-14 | 3.11
この写真は朝の裏磐梯。ふわふわ天使のような雲が浮いてました。
今日は暖かく、小鳥の鳴き声も多く聞こえていた。
普通なら、春の喜びに満たされ始める時期なのに。

そして、福島第一原発三号機の水素爆発の直前、
緩やかに吹いていた風が、家がきしむほど(余震かも)吹いて、
外に出てみると、木々がゴーゴーと音を立てていた。

でも、風は温かく優しい感じ。
空を見ると、朝よりも増えた雲が東に向かって流れている。
ヴェールのような雲、さらにもくもくした雲の列。





まるで、海の近くで起きている原発事故、そこからばら撒かれる放射線の害をとめるために
雲さんチームが向かっているように見えてしまう。

私たちは、自然と共に生きていかなくてはいけない。そうじゃないと生きられない。

今まで、大切にしてこなくて、ごめんなさい、ゆるしてください、愛してます、ありがとう。

大地も海も、汚染が最小限にとどまるよう、磐梯山と共に、そう祈りたくなった。

これを見た皆さんも、一緒に祈っていただければ嬉しいです。

今も、いろんな雲たちが海のほうに向かって、どんどん流れています。

ここで生きる決意と覚悟

2011-03-12 | 3.11
昨日3月11日に東北地方に大地震が発生しました。
私の住む、裏磐梯も凄い揺れでしたが、被害も無くライフラインも途絶えることなく過ごしています。
近くの道路が崩落している箇所が数箇所あり、スーパーに買い物にいけないというぐらい。
しかし、食糧と薪は冬に備えてある程度の備蓄はあるのでしばらくは大丈夫でしょう。

そうは言っても余震が続き、実家のある福島市のほうも心配でしたが夜にやっと電話が通じて
家族の無事は確認されました。しかし、停電がまだ続いているとの事。

被害はどんどん広がっているという情報をインターネットやラジオから得ていました。
夜は余震も続いていましたが、家族にも連絡がつき一段落したので眠りにつきました。

しかし、朝方4時ぐらいに目が覚め、どうしても眠れなくなり布団の中でごそごそしていたら、
背筋に寒気を感じ、なんか嫌な感じがして、大きな地震がまた来るのではと思い、
起きる事にしました。直後には、新潟・長野のほうでまた、別な地震が発生しました。

朝方まだ暗い中、ふと、外を見てみると、星がたくさん出ていて磐梯山のシルエットも見えます。
こんな大変なことがあったという、こっちの気持ちとは関係なく、
今日の磐梯山は、すかっと晴れそうな雰囲気。
人間界で何があろうとも、自然は悠々としているなと思いながら。

また、起きたらインターネットとラジオから情報収集。
ツイッターで友だちが東京で職場から家まで歩いて帰ったとか、
いろいろな状況を確認したり、励ましたり。

それから、心配してメールなどをくださった方もたくさんいた。ほんとにありがとう。
昨日の地震発生後は、いつもどおり、とは行かないけれど、わりと普通に生活できています。

こんな良い天気だったら、かんじきでも履いて、雪の上に遊びに行くところなんだけれど、
そんな気分にはもちろんなれずに、情報収集。自分は一体何ができるのかを考えてみたり。

どんどん、津波の被害の情報が入ってくる中、
原子力発電所の冷却ができなくなっているという情報が
徐々に大きな出来事として取り上げられるようになってきた。

子供の頃に、学校の先生から、
「福島には原子力発電所があるけれど、東京に送っているんだよ」
そんな話しを聞いたときに、なぜ、東京に送らなくてはいけないんだろう、
そんな風に思っていました。

東京から福島に戻ってきて気づいたのは、
ラジオでは、「原発をいかに安全に管理しているか」ということや
「危なくないから遊びに来てね~」的なCMからどんどん流れてくること。
こうやって洗脳するのか?って思った。

その原発が、この大地震で危ない状態になっている。
そして、どんどん危険な状況に向かっていることがわかります。
周辺住民にも避難勧告がでている。
これが、スリーマイルやチェルノブイリ級の事故になれば、
周辺だけではなく、実家のある福島市、そして裏磐梯まで
被害が及ぶことは必死です。

原発の事故については、その危険性と対策を情報として多くの人が、
ツイートしたり、ミクシィやブログに書いたりメールしてくれていた。
しかし、被害地に近いものとしては、
「それはわかるけれど、今、既に被災して不安に思っている人たちに、
そんなことを言ってもパニックになるし、不安を煽るのはデリカシー無いな」
と思ったりしました。

でも、それが役立つ時がやってくる可能性も高まってきた。
3月12日、福島第一原発で爆発があり、そこで一体何が起こったのか、
政府も原子力保安院も、東京電力も、何も情報を持っていない。
持っていてもはっきり言わないのかとも思う。

まず、福島市内にいる自分の家族を心配する。
でも、電話をして情報がちゃんと聞けているのか、
どんな状況なのかを知ることも出来ない。

そして、またいろいろな情報が入ってくる。

その繰り返しが続いたけれど、
ふと、窓の外の磐梯山の美しい風景や、
うちでマイペースでゴロゴロしている猫たちを見ていたら、
突然、涙が出てきた。

こんなに美しい自然が汚染されていくんだな、とか、
これから汚染されてしまう大地で食べるものを作り、生きてきた人たちもいるんだろうな、とか、
私たちも、自分の近くで食べるものを作り、
この地と共に生きて生きたいと思って裏磐梯に住むことを決めたんだよな、とか
考えていたら、なんだか泣けてきた。
悲しい、悔しい、むかつく・・・などいろいろな感情が入り混じったもの。

その時点の情報では、冷却はうまくいったような報道だったので、
だんなさんから、大丈夫だと窘められ、少し落ち着いた。
私もあまり、ネットの情報で不安を煽られるのは嫌だったので、
状況を見守ることにした。

この大地震が起きる日には、味噌仕込みをしようと思って用意していた。
だから、大豆を煮て準備をしてあったので、これ以上はおいて置けない。
自分の気持ちを落ち着かせるために、味噌仕込をすることにした。

麹を混ぜながら、いろいろ思った。
うちの家族にも何も伝えられないし被爆してしまうかも、
でも、被爆したり、仮に癌になったからといって、それで人生が終わるわけではない。
ひどい事故が起きたからといって、それですべてが終わるわけではないという気持ち。

だから、万が一、そうしたことが起きてしまったら、
家族に限らず、だからといって、すべてが終わったわけじゃないという気持ちで、
寄り添っていける自分になったらいいんだと思った。
そして、それは自分だけじゃなくて、美しい自然も手助けしてくれるはずだよ。

もしかすると、最大級の事故だったら、裏磐梯だって被曝する。
でも、ここでなんといか生きていくんだよ。
そういう気持ちがわいてきた。

土が汚染されたら、食糧自給しようというのも出来なくなるかもしれない。
それを考えるととても悔しい。
私の悔しさは、私の問題だけではなく、
これから汚染されるかもしれない人々の悔しさでもある。

なぜ、消費文化、石油依存症の東京に電気を送るために犠牲にならなくてはいけないんだろう。
この期に及んで、シャネルで買い物をしているバカ東京人もいるとツイッターで見た。
そんなことのために、なぜ、この美しい場所が犠牲にならなくてはいけないのかと思うと、
また、憤りと悲しみと涙がでてくる。

でも、自分自身も今までそういう社会の恩恵を受けてきた時期もあるわけだ。
こういう社会や経済のシステムに加担していたときもあったわけだよ。

ここ数年、それがおかしいということをはっきりと自覚したから、
持続可能な暮らしに移行するという選択をした。
だから、自分だって、東京に住んで消費をしている時があったわけだ。

結局、自分に返ってきているということだから、
その憤りは、過去の自分にも向けなければいけないことになる。
それはもう、認めて、許して、受け入れるしかない。

何はどうあれ、私は裏磐梯というこの地が好きでここに移住してきた。
何があっても、ここでできる事をやっていくんだ。

味噌をつくりながら、そんなことがどんどんわいてきた。

今、このブログを書いていたら、ヒーラーのユイワンさんのツイートを
友だちがリツイートしてくれていた。この言葉からも力をもらった。

「日本の人々の集団深層意識を支えるために:
自分の中で大地へのつながりを深め、大地への信頼を維持すること」

そう。自分が今までやってきたことの流れは、今ここのあり方に繋がっているんだ。
ちょっと前に見た夢や、いろいろな出来事、それは全部ここにつながっているんだろうと思う。
今ここで、自分がどういうあり方が出来るのか。

どんどん流れてくる原発の状況や、
それにまつわるいろいろな情報、専門家の話、
被爆した場合の対処法など、それも聞きたいし、大事だけれど、
自分は自分の中で、今ここでの自分のあり方を整えなければいけない。
それが、今やること。

だから、私は、ここで生きる決意と覚悟をしたいと思います
(磐梯山が噴火したら逃げるかもしれませんが)。

そして、多くの人が「自分はここで生きる」という覚悟とその場への責任をもてるように。
そして、未来の地球がこんなことが起きない美しい場所になりますように。