もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

外交と「囚人のジレンマ」 日本外交は、合理的で科学的、かつ国際的に通用するものであるべきだ!

2012-10-15 21:41:58 | 政治
個人でも集団でも国でも、二者間の関係は常に利益を巡る争いと協調の連鎖である。その代表例が外交であるが、この問題をどう捉えるべきかについての一つの答え、それもかなり有力な答えが、ゲーム(対戦、勝負)理論の一つである「囚人のジレンマ」理論の中にある。これは二人の当事者がいて、相手に対してどういう行動(戦略)に出た方が、自分の利益を最大にすることができるかという問題である。ここで二人が採り得る戦略は、「協調」と「裏切り(=出し抜き、非協調)」の二種類である。二人の間には信頼関係はなく、両者は単に自分の利益だけを考えて行動する。お互いに「協調」し合えば、共にそこそこの利益を得ることができる。しかし、相手が協調行動に出てきたときに、相手を「裏切る」(=出し抜く、非協調)行動をとれば、相手は虚を突かれて総崩れになるから、相手の利益までも奪い尽くして、自己の利益を最大化することができる。双方が協調することによる利益はそこそこであるので利益が少なく、それゆえ相手を出し抜いてでも自分の利益を増やしたいという誘惑が常に働くことになる。また他方では相手から出し抜かれることへの警戒心、不安も湧いてくる。それゆえ、人はなかなか協調行動に出ることができない。そこで、「裏切り」=「出し抜き」に出ることになるが、相手も同じように考えて「裏切り」に出るだろうから、そうすると、お互いに傷つけ合ってともに損をすることになる。だからといって一方的に「協調」行動に出ても、相手がそうしないなら馬鹿を見るだけに終わる。「協調」か、それとも「裏切り、非協調」か? 思考は、この両者の間を行き来し、いつまでも結論が出ない。これが「囚人のジレンマ」と呼ばれる状況である。

これはたとえば、販売を行っている競合二社間で、相手の販売価格が常識的線(協調路線)であるのに対して、こちらも常識的線で臨めば、対立に至ることなく両社ともに棲み分けができる。しかし、こちらが安値攻勢をかけて、一気に相手の顧客を奪い取ってしまうような戦略(裏切り、出し抜き、非協調)も一つの選択肢にはなる。しかし、相手も同じことを考えるかもしれず、その場合は相手も安値攻勢に出てくるから、両社ともに安売り合戦となって、相手の顧客を奪うどころか、売れば売るほど赤字という惨憺たる結果になる。これを防ぐためには、話合ってこういう事態を回避する合意を作れば良いのであるが、お互いに自己の利益を少しでも増やそうとするし、また価格カルテルは禁止されているし、消費者の監視の目もあるから、両社が協調することは容易ではない。
この「囚人のジレンマ」問題には、どうすれば良いのかの一応の答えが与えられている。すなわち、このゲーム(勝負、対戦)が一回だけの場合は、両者ともに「裏切り」行動に出るしかないし、どうしてもそうなってしまうということである。その詳しい理由説明は省略するが、その概要は上述の通りである。これは望ましい結果ではないが、ゲームが一回だけしか行われず、しかもお互いが信頼関係を持てない状況では、こうならざるを得ないのである。
しかしながらこれは、あくまでも基本の特殊モデルであり、現実のモデルは、これとはかなり異なる。すなわち、現実はゲーム(勝負、対戦)が何回も繰り返される過程であり、この場合は結論が違ってくる。なぜなら、ゲームが何回も行われるので、相手の出方によって、こちらの出方を変えることができるようになる、すなわち「協調」と「裏切り」を組み合わせて使うこと(混合戦略)が可能になるし、また何回もやるので双方の出方が一つのメッセージとなって、お互いの意思疎通が可能になる。更に、現時点だけでなく、将来にわたってもゲームが繰り返されることもわかっているので、「未来志向」の「共存共栄」関係を目指す余地が出てくるからである。
この場合、何回やっても協調行動に出る戦略は、相手が裏切り行動に出てきて、毎回損をする戦略だから、採用すべきでないことは明らかである。逆に、毎回裏切り行動を採れば、相手にもそれなりの知性があるわけだから、「裏切り」という対抗行動に出てくるだろうから、両者ともに損をし続けることになってしまう。だから、これまた現実的な戦略とは言えないだろう。そこでもっともよい戦略の一つとされているのが、「しっぺ返し」戦略と呼ばれるものである。これは、まず協調行動から出発し、もし相手が裏切りに出たら、次回は自分も裏切りに出る、もしいずれかの時点で相手が協調に変われば自分も協調に変えていくというものである。つまり、「協調」を基本としつつも、相手が協調に出ればこちらも協調に出るし、「裏切り(非協調)」に出ればこちらもそうするという和戦、硬軟の「両ニラミ」戦略である。これは、「こちらは基本的に協調を望んでいるが、そちらが「裏切り(非協調)」に出ればこちらもどこまでもそうしますよ。しかし、それはお互いに損をする路線だから、協調した方が良いと思いますよ」というメッセージの発信であり、相手が馬鹿でないかぎり、このことの道理を理解するだろう。かくして、「協調」、「共存共栄」関係が成立して、お互いがそこそこの利益を得る体制ができるのである。
この「しっぺ返し」戦略のポイントは、「協調を基本としつつも、相手が「裏切り」=「非協調」に出れば、必ずこちらも裏切り=非協調の行動に出る、言い換えれば「報復」、「制裁」を行うと言うことである。この「報復」措置は、相手に対して、「裏切れば、必ず報復される(裏切られる)から、裏切り行動に出ることは得策でない」と考えさせるための牽制、制約を与え、協調行動に向かわせる動機を与えるのである。二者関係が協調的なものになるためには、このための断固とした「報復」が必要なのであり、それでこそ、お互いが相手に一目を置くようになり、相互に尊重しあう機運が生まれ、それが良い関係に結びつくのである。それゆえ、実際にこれを有効なものにするためには、最低でも次のことはクリアされなければならない。
第一に、常に具体的行動で双方の考えがメッセージ化され、発信される必要があることである。つまり、空虚な言葉や、具体性のない抽象的な観念、理念は役立たないものとして排除されるのである(言うまでもなく、正しく、そして具体性のある理念、常に強い意志を持って志向される理念は重要である)。ここに示されているのは、二者関係は、言葉や、観念的な理念で動くものではなく、現実的な利害関係で動くものであるということである。確かに「信頼関係」というものは重要ではあるが、それは、両者の利害対立の調整がうまくいっていることの別表現なのである。
第二に、これは「我慢競べ」、「忍耐勝負」でもあるので、断固たる意志を持って行動することが不可欠になる。この戦略では、相手が裏切りに出れば、それに伴って裏切り行動をするのであるが、相手が比較的短時間で「協調」行動に変われば問題は少ない。しかしもし、相手が容易に態度を変えないとなれば、こちらも非協調行動を続けることが必要であり、その間は両者ともに損失を生み出しているからそれに耐え続けなければならない。それは「我慢競べ」となるので、これに耐え切れなければ、たとえ「一時的な報復」をしたにしても効果は薄いものになってしまう。下手をすると、「どうせ、口先だけのものだから、そのうちに根を上げ、白旗を上げるだろう」と、ますます相手を勢い付かせることにもなりかねないのである。「断固とした意志、そして行動」が求められるゆえんである。
第三に、「報復」が効果を持つのも、ゲームが以後も何回も繰り返され、双方が常に未来の利益を考えていく余地があるからである。したがって、未来のない関係、たとえばいずれか一方が、没落してしまうだろうことがはっきりしている関係においては、相手は「協調」行動に出る理由がなくなり、「裏切り(非協調)」行動に出るだろうということである。「気の毒だ」と同情し、手助けするどころか、「水に落ちた犬は叩け」とばかりに、徹底的な略奪戦略が採られることだろう。二社間の安売り競争においても、相手が容易にはつぶれないということがお互いに理解されて初めて「協調」の機運が出てくるのである。一方がつぶれそうな状況に至れば、この方は「協調」を提案してくるだろうが、まだ余力のある側は、「協調」に応じないだろう。それよりも、相手をつぶす方の利益がはるかに大きいからである。「しっぺ返し戦略」が有効であるのも、双方が自己主張のために対峙し、双方に未来があればこその話なのである。したがって、主張をせずして相手の顔色を窺ってばかりいるようなことでは、最初から勝負にならない。ここでは、自分の利益は自分で守るという断固とした、自立した姿勢が求められるのである。

さて、このような「囚人のジレンマ」モデルは、日本を取り巻く外交の戦略にもほとんどそのまま当てはまる。外交は上に述べた「しっぺ返し戦略」で臨んでこそ「未来志向」の「共存共栄」関係を作り出すことができる。ところが戦後日本の外交はただひたすら「協調」路線であったため、協調しては裏切られ損害を被り、それでも協調して裏切られ損害を被る…、ということの繰り返しであった。つまり、ここには、国益をめぐる駆け引きも、勝負も戦略もない、外交とは呼べぬ摩訶不思議で特殊な「外交」があっただけである。たとえば、対韓国外交であるが、1952年に竹島を略奪され、竹島近海で日本人漁民が拿捕されたり殺されたり、教科書問題で歴史を歪曲され、「慰安婦」問題で国の尊厳を貶められ、「韓国起源説」で「日本文化」を略奪され、不公平な文化交流で国内に「親韓、反日」勢力を増やされるなど、さんざん「裏切り」の限りを尽くされても、まだ「協調」路線、言い換えれば「利益贈呈」路線を採り続けた。すなわち、「竹島」を棚上げしてまで日韓基本条約を結び(65年)、膨大な資金援助、技術支援、宮沢談話、河野談話、村山談話、韓流の受け入れ、朝鮮王室儀軌の返還など、あらゆる面で、贈与に次ぐ贈与、協調に次ぐ協調の路線を採り続けた。これに対して韓国は常に裏切り路線、非協調路線を採っているのである。確かに表面的には「日韓友好」、「共存共栄」で装ってはいるが、実質は、「反日」と略奪行為の一色なのである。これは上記「囚人のジレンマ」理論からすれば、日本にとって最悪の戦略であり、韓国にとってこの上もない望外の結果である。ゲーム理論からすれば、また世界の常識からしても、このような一方的な「協調」路線は、日本が勝手に思っているような「高度な理念」でもないし、「高度な倫理性」や「心からの誠意」の発現でもなく、単なるエゴの発現の一形態にしか過ぎない。それは、自己の利益を考えた上で選択された戦略の一つでしかない。ところが、こういう状況での「協調」は理論的には、最悪の選択になっているので、外部から見れば、「日本は利害の計算すらできない馬鹿な国、変わった国」ということにしかならないのである。また、日本が「協調」路線を採れば採るほど、それは「報復」、「制裁」=「しっぺ返し」をする意志がないことのメッセージを発信していることだから、韓国は安心して裏切り=「略奪」の戦略に出てこれたのである。
結局、対韓外交は、「囚人のジレンマ」ゲームの状況にすら至っていないのであり、ただ日本が一方的に略奪されるだけの関係になっている。それと言うのも、日本は戦争の贖罪意識の「くびき」から脱却できていなかったからである。また、口では「平和主義」を言いながら、その内実は、対立に伴う紛争を厭い、「事なかれ主義」、「先送り主義」に流れてしまったことも大きい。日本は敗戦がトラウマになって、「羹に懲りてなますを吹く」という状況に至ってしまっていたとも言える。しかしながら、もう日本の戦争責任は、これまでの日本の努力によって完全に解消し、日本は贖罪を済ませ、「くびき」からも解放されている。また、外交・安保は、口先だけの「平和」を唱えていればよいというものではなく、自ら決意を固め、平和を脅かすもの、不正義と戦っていく中で得られるものであるので、このことを理解する必要があるだろう。これは、上記「囚人のジレンマ」が教えることでもある。
日本は、これまでの「懺悔の外交」から、「国益のための外交」、「戦う外交」に復帰しなければならない。そうでないと、日本は韓国に食い尽くされてしまうし、また、こういう外交こそ本来の外交であり、国際標準の外交なのである。
今回、李大統領の「竹島への不法上陸」、「天皇への侮辱」発言という「裏切り」行動をされて、ようやく「竹島のIJCへの単独提訴」という報復、制裁に出ることになった。しかしながら残念なことに、この正しい方針がぐらつき始め、まだ「協調」路線を採ろうとする動きがある。これは「囚人のジレンマ」理論からしても、全く非科学的な対応なのである。未来志向の日韓関係のためには、断固とした「報復」、「制裁」が必要なのであり、それでこそ、韓国のこれまでの無節操で理不尽な行動も改まり、本当の日本の姿を理解させることにもなる。こうなって初めて相互に尊重し合う機運が生まれ、それが良い関係に結びつくのである。
なお、当然のことながら、このことは対中関係についてもあてはまる。日本はこれまで一貫して協調路線を採っているが、これは「しっぺ返し」戦略に改められる必要がある。翻って、中国の戦略であるが、彼らは「やられたらやり返す」という「しっぺ返し」戦略を行っており、また主張を通すための牽制、威嚇も巧みである。だから、外交の駆け引き面だけに限れば、中国の外交は、極めて正統、合理的で科学的なものであると言える。しかしながら、「囚人のジレンマ」ゲームに限らず、一般にゲーム(対戦、勝負)には自ずと従うべきルールというものがあるのであって、自己の利益、主張の実現のためには、なにをしてもよいということにはならない。中国のやり方は、人類共通の普遍的価値観、理念、すなわち民主主義や人権、国際的ルールや暗黙の規範といったものに背くものであるがゆえに、正当化できないのである。
参考記事; ウイキペディア「囚人のジレンマ」

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