ドリアン長野の海外旅行記

長期休暇もない有給休暇もないリーマン・ パッカーが、
短い休日と高い航空券にもめげず、海外を旅したお笑いエッセイ

画像 令和元年8月

2019-08-15 | Weblog
インド旅行記

実質的な第一話で長編です。海外旅行に行く時は胃薬を用意しましょう。

抜粋 

インド編 その1

興奮してたんで忘れてたけど、旅行会社で今夜のホテルは予約してたんだ。そのホテルから車が迎えに来てるはずだ。そうだった、そうだった。それならいくら客引きが寄ってこようと恐くはない。私は余裕の表情で空港の外に出た。
「ナマステ~、インドのみなさん、アイ・ケイム・フロム・ジャパ~ン」 がっ、! 
 
「ジャパニ! ジャパニ!」 「タクシー! チープ! チープ!」 「ホテル? カムカム!」
「グッドプライス!!」 「ベリーチープ!!」 ぎゃあ~! うげえ~っ!
「#$%&♀¥!!」
うるさいわいっ! 私はフランスに凱旋帰国したトルシエ監督なみにもみくちゃにされた。(トルシエって、確かフランスだったよな。サッカーに無知なので事実誤認があったら許せ、サッカーファン。カミソリの刃なんか送ってくんなよ)

インド旅の第一関門、人でごった返す
インディラ・ガンディー国際空港前



管理人 マーキュリーマークからの伝言

始まりが終わりで終わりが始まり。矛盾してるように思われますが一応は今回で画像の発表はgooブログ上では最終回です。後にブロガー版では平成版と令和版を区分けして発表します。平成生まれの若者には理解されにくいかもしれませんがドリアン長野が昭和の思い出を平成十年代に執筆し発表したのがこのインド旅行記です。私は令和になってから再び読みました。ドリアン長野にとって初めての海外旅行はインドでした。インドでは21世紀になっても空港の前でたくさんのホテル関係者が待ち構えてるようです。この旅行記を読んでから海外旅行に行ったならば空港からホテルに向かうとしたらバスの依頼をしない方が良いのかどうかは悩むと思います。
オマケ
特別に動画を追加しました。これだけ多くの客引きにもみくちゃにされると困りますね。

抜粋 

インド編 その2

バックパッカーの間ではその名を知らぬ者はおらず、小説にまでになった 「ホテル・パラゴン」 に泊まろうと思い、リキシャーワーラー(人力車のようにうしろに人を乗せ、自転車でこいでゆく乗り物がリキシャーであり、その漕ぎ手)に場所を聞く。すると横にいた客引きの兄ちゃんに 「パラゴンは満室だ。俺の知ってるホテルに案内してやる」 と紹介されたのが 「キャピタル・ゲストハウス」(一泊60ルピー。当時のレートで1ルピー≒12円とお考えになれば大体の目安となるでしょう)だった。実は、客引きがそこは満室だと嘘をついて自分と契約をしたホテルに連れていき、キックバックを得るのはよくあることだったが、当時の私には知る由もなかった。

管理人 マーキュリーマークからの伝言

どこの外国へ行くかについては問いませんが日本国内でホテルの予約は済ませておくべきです。出国前に海外旅行代理店もしくはホテルのホームページを閲覧して予約した人は多いと思います。海外旅行案内書でホテルが紹介されてるのでそれを参考にされる人も多いに違いありません。昨今、海外のホテルであっても予約はフリーダイヤル(0120)が利用出来るので日本国内から電話で済ませる人も多くおられるようです。有名なホテルになると予約が難しくなるようですしドリアン長野は述べてませんが預かり保証金ことデポジットはそれなりの金額ですので予算は多めに用意しましょう。繰り返すようですが出国前にホテルの予約は済ませておきましょう。

抜粋 

インド編 その3

インド初の地下鉄がカルカッタで一部開通したが、地下鉄工事中も機械を導入する資金がないのでサリー姿の女性を含む人夫たちが手作業で労働に従事していたそうだ。他の国からはあの調子では開通するまでに100年はかかると言われていたぐらいである。そのありがたい地下鉄に私も乗ってみることにした。全線1ルピー。電車内は信じられないことに冷房が入っている。(中略)
終点で降り、カーリーガート寺院内にあるマザー・テレサの施設 「死を待つ人の家」 に行く。ここでは各国からボランティアが来ていて熱心に働いている。私も友人の看護婦から言付かった医薬品をシスターに渡し、布に包まれた遺体をみんなで運んだりした。

管理人 マーキュリーマークからの伝言

空港連絡鉄道(南海のラピート)等の公共交通機関の利用が行える町か否かで観光地としての成否が大別されるかもしれません。空港連絡鉄道が利用出来ても利用しないで空港に到着したら必ずレンタカーを利用すると決めてる旅人もおられるようです。私個人の意見ですがレンタカーの利用について妨害はしませんが推奨もしません。理由は交通事故が発生する可能性が高いからです。オリエンテーリングではございませんが海外の名所に到着した後は成功したみたいで喜びを感じます。しかし、切り替えも重要です。辛い境遇の人々を迎え入れてる施設がインドには存在してるようです。遺体を運ぶのは辛かったに違いありませんが良き活動をしてきたようです。

抜粋 

インド編 その4

1月の北インドの朝は寒い。栄養不良のせいもあって毎年、路上生活者が凍死するほどだ。それでなくても寒気がするのでセーターを50ルピーで買う。もう値切る気力も残っとらん。(中略)
ホテルで休ませてもらおうと日本人に人気の「ホテル・パヤール」に行き、「2、3時間やずまぜで~」 と息も絶え絶えに頼むと心良く了承してくれた。 「だけど一泊分の料金はもらうよ。30ルピー」 と付け加えるのを忘れなかったが。 
屋上の部屋に案内される。隣の部屋の中年の日本人はインド滞在二か月だそうで、パチパチとタイプライターを打っている。屋上のデッキチェアで昼寝をしに来た日本女性三人は「あの人(私のこと)、病気なんだって。私、薬持っていてあげよう」 と話をしていた。私はベッドで苦しみながら期待して待っていたのだが、結局来なかった(おいっ)。

管理人 マーキュリーマークからの伝言

海外旅行に実際に赴いた人であれば体験されたでしょうが喜怒哀楽が存在するがゆえに試練は不可避です。第一に病気や時差ボケによる肉体的な負担。困らないようにするには日本国内でお薬を用意してから渡航するようにしましょう。そうでないと万が一の事があると困ります。日本人は提案のみが好きな人は多いでしょうが私は日本から薬を持っていって活用が行えて良かったです。関連するようですが保険も加入しましょう。第二は買い物。自発的に何を買うか否かは各自の自由だと思います。但し、防寒着は日本でも販売されてるから日本では考えられない厳寒の街に赴くとしたら事前に用意しておくべきです。第三はホテルの予約。渡航前にするべきです。

抜粋 

インド編 その5

「ホテル・アトランタ」 に行く。ゲストハウスではなく中級ホテルだが、一泊80ルピーと、そう高くはない。おっちゃんは従業員と少し話しをすると帰っていった。部屋に案内してくれた従業員の兄ちゃんに 「私は病気である。だから大変苦しい」 と言うと、その兄ちゃんは驚いていろいろと世話をしてくれたのだが、その世話が半端じゃなかった。毛布を持ってくるわ、食べ物を運んできて食べさせてくれるわ、医者を呼んでくれるわ、薬を飲む時間になると水まで持ってきて飲ませてくれた。彼は夜勤なので明日、自分の代わりに私の世話をする人まで頼んでくれた。うっうっうっ。インドでこんなにも人に親切にされるなんてえぇぇ~。私は彼に何度もお礼を言い、やがて眠りに落ちるデリーの夜八時なのであった。(中略)
事務局で聞くと、8番の窓口に行けと言われる。8番に行くと13番に行けと言われる。13番に行けば14番に行けと。ああっ、たらい回しだあ~っ。病み上がりの体でひいひい言いながらうろうろしていると、一人の男がここで聞けと13番と14番の間の小さな窓口を教えてくれた。こうしてやっとの思いで払い戻された大枚188ルピーを握りしめ、いつ出発するとも判然としないインド列車に備えて今度ばかりは乗り遅れまいと出発時刻(あくまでも予定)の三時間前からプラットッホームで待機していたのであった。青年は荒野をめざす。いざいかん、聖地バラナシへ! でもここから18時間かかるんだよな。

管理人 マーキュリーマークからの伝言

この旅行記を読むとインドが広大であるばかりか鉄道が複雑なのを理解されると思います。私も路線が大別して3路線であるがゆえに阪急のようなカナダのトランスリンクで少し迷った事を連想します。国内で例えると近畿に住んでる人が西船橋駅に赴いて困ったようなものでしょうか?又は関東の人が梅田駅で迷ったようなものでしょうか?関空から直行便で赴けて国際空港近辺の町だけで観光を済ませる旅行者が出現しても誰も否定しないと思います。話は前後するようですがインド国内のおもてなしはドリアン長野にとって喜ばしかったようです。しかしながら、胃腸薬は日本で販売されてるので皆様がもし、渡航されるなら事前に買って持って行きましょう。

抜粋 

インド編 その6

古くから親しまれてきたベナレスという名は英語名のBENARES(ベナリーズ)の日本語読みであり、正式名はバーラナシーだ。現地ではバナラスともいう。ああややこしい。(中略)
おお、高校生の時に三島由紀夫の「暁の寺」を読んで以来、憧れの地であったあのバラナシに私はいるのだ。焼けつくような太陽の下、雄大なガンガーに無数のきらめくサリーと半裸の男たち。人々のざわめきと祈り。聞こえてくる讃歌。ガンガーで沐浴せば全ての罪は浄められん。無辜となった亡骸を荼毘に付し、ガンガーに流せば輪廻からの解脱を得ん。ああ、悠久の聖なるガンガーよおっ! 

管理人 マーキュリーマークからの伝言

海外の地名を発音する時にRで巻き舌をするか否かは除外するとしても表現方法が異なることがございます。インド国内だけでなくカナダでもそうです。日本では一般的にブリティッシュコロンビア州と言われてますがケベック州民のようにフランス語話者はコロンビーブリタニーキ(ColombieBritannique)と発言するそうです。日本国内で一般的な地名を海外で伝えても発音や表現方法が違ってくる事から相手に理解されない可能性はあります。海外旅行に行くにしてもどこへ行くかを決める時に書籍の中で紹介されてたから赴く人は居られるようですが渡航前に最低でも一冊は現地について説明してる海外旅行案内書も読んでおくべきです。

抜粋 

インド編 その7

やっと駅に着いてやれやれと思っていたら、駐車しようとする寸前に横から二人乗りの自転車が突っ込んできた。私は後ろの座席であるはずのないブレーキを右足で思いっきり踏みこんだが、やっぱりぶつかった。自転車は派手に横転したが、男たちに大したケガはなかったらしく、起き上がると猛然と食って掛かってきた。それに運転手が応戦する。回りには野次馬が集まってきた。こういう場合、インド人は激しく罵り合っても手は出さない(警官が民衆を警棒でどついている光景は時々見る)。(中略)
プラットホームには日本人の団体客がいた。五才くらいの女の子が彼等に 「バクシーシ」 と手を出す。そこにいた若者たちがこう言っていた。
「お金ないんだよ。ノー・マネー、わかる?」 
「逆にこっちから『バクシーシ』って言ってみればいいんじゃないの」 
「そうか、ほら、バクシーシ」 
日本人に手を出された女の子はきょとんとしていた。
むき~っ! 今でもこの光景を思い出すと腹が立つ。その子は好きで物乞いしてんじゃねーよ。貧しくて働きたくても働けねーから仕方なくやってんじゃねーか。そうやってインドまで遊びに来ている金持ちの日本人(私もだけどよ)がいたいけな子供をからかうんじゃねーよ。金をやるつもりがないんなら、断るか無視すればすむことだろーが、あほんだらっ! と憤慨していると一人の少年が私にお金を乞い始めた。歩き出してもしつこくついて来て、ひざまづいて私の靴に額をこすりつけてくる。とうとう根負けして某(なにがし)かのお金を与えた。するとその少年は仲間のところへ戻り、ひそひそと話をしていたかと思うと五、六人がこちらに突進してきた。あわてて逃げ出し、何とか彼らの追跡から逃れて車両に飛び乗る。やれやれ。

管理人 マーキュリーマークからの伝言

海外旅行中にケンカに巻き込まれると大変です。それもあって海外旅行保険に加入することが求められてます。ドリアン長野はインド旅行中にケンカに巻き込まれたようです。私の場合はカナダの道を歩いてる最中に朝焼けの写真を撮影してただけで冷やかしてきたホームレスA(仮名)がいて路上で座っていた別の人物ホームレスB(仮名)が急に走ってきて頼んでも無いのにあれこれ罵った後で金銭の支払いを求められましたがお金を支払わずに黙って立ち去りました。安全にホテルの中に入って安堵しました。インドか日本を問わず貧困の子供達を助けるか否かは各自の自由ですが断る方法は問われるようです。説明無しに生活費を求める人は日本にもいます。


抜粋 

インド編 その8

「今日でインドともお別れだ。長かったようで短かった一週間。物売りや物乞いに辟易し、下痢や発熱に悩まされた一週間。騙されたりもしたけど、親切な人にも出会った。うるさいが、頼もしくもある子供たち。チャイ屋の売り声、灼熱の大地、道端で死んだように眠りこけている犬、漆黒の暗闇、バラナシの炎、死体、サドゥー、カーリー女神に捧げられるために首をはねられる山羊」
様々な光景が次々に浮かんでは消える。けれどもインドよ、今日でおさらばすると思うと....、
あ~嬉しいわいっ! とっとと日本に帰るぞ。帰って風呂に入ってうまいもん食ってゆっくり寝て下痢を直すぞ。こんな国、二度と来るもんかいっ。一刻も早く空港に行って飛行機に乗って文明国に帰るんじゃい。帰るったら、帰るんだ~い!
帰りの飛行機で同年代の男と隣り合わせになった。どちらからともなく話しかけ、彼はパリでアパートを借りて住んでいたことやアジアのいろんな国を旅した話をしてくれた。私が海外旅行は初めてだと言うと、彼はこう言った。
「それならあなたはこれから何度も旅に出るでしょうね。一人で旅をする快感を覚えたら、それはやみつきになりますよ。僕がそうでしたから」

管理人 マーキュリーマークからの伝言

始まりが終わりで終わりが始まりか?インド編は令和ではなく昭和の海外旅行記です。ドリアン長野は一人旅を気に入ったからか十カ国以上の海外旅行記を執筆しました。警戒すべきは実際に出会った人だけであったようです。疲れてる時に無神経な人から連絡されて困った経験を持つ人は多いと思います。同様に現在ではフェイスブックを通じてストーカーが旅行中に毎日詰問してきます。その被害にあってなかっただけ幸せです。ユスリや揚げ足を取る為だけでなく海外の犯罪者への連絡が目的の慇懃無礼な日本人はいますので皆さん警戒すると同時に詰問は控えてください。私もカナダで一週間過ごしてきて色々な変化を感じ取りました。皆様はどうでしたか?

【夏が来れば思いだす】
ドリアン長野が結婚した後で行ったバンコク(タイの首都)の旅行記で実質的な最終話です。

夏が来れば思い出す その1

抜粋

今までタイには10回ほど行ったが、バンコクだけでチェンマイもプーケットも行ったことがない。新婚旅行もバンコクにした。妻にもバンコクの素晴らしさを知ってほしかったからである。しかし、そのバンコクで九死に一生を得ることになるとは神ならぬ身には知る由もなかったのである。

夏が来れば思い出す その2

抜粋

私は妻に厳命した。毎晩、違うホテルに泊まるので移動しやすいように荷物は最少に。スーツケース不可。なんせこっちは、旅慣れしてんだかんね、夫の頼もしいところを見せてやろうじゃないか、よもや関空離婚はないだろう。と一人不敵な笑みを浮かべるのであった。


夏が来れば思い出す その3

早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクのスワンナプーム空港に着いた。この新空港は去年開港したばかりだ。旧空港のドンムアンに比べると物凄く近代的だ。

夏が来れば思い出す その4

旧空港からだったら、路線39番のバスで安宿が集まるカオサン通りまで行くのだが、勝手がわからない。

管理人 マーキュリーマークからの伝言

始まりが終わりで終わりが始まりか?画像は前述したインド編と今回の夏が来れば思い出すで終了です。ドリアン長野が独身であった平成18年迄に十カ国以上の海外旅行記を執筆した後、平成19年にドリアン長野は結婚して令和になってからは娘さんを養育されてます。平成19年度の新婚旅行を兼ねたタイ旅行記を平成25年に投稿されました。バンコクだけを気に入って何度も赴いてたようです。旅費は変動が多いので各自で見積をして下さい。皆様、海外旅行の場合は時差ばかりか出発や到着の時間を考慮して下さい。明確化しますがスワンナプーム国際空港は2006年9月28日に開港しました。交通手段の変更は有り得るので前もって調べましょう。

国の内外を問わず泳ぐ前に準備運動するのは必須です。プールで足がつるのは恐怖の体験です。半ば未完の海外旅行記のようですが楽しんでもらえれば幸いです。ドリアン長野が独身だった時期の香港旅行記や新婚旅行を兼ねてるタイランド旅行記は読めても新婚旅行を兼ねた香港旅行記は読めないままに至ってます。趣味の領域なので仕方ありません。皆様にお伝えしたいのは旅行商品は数多く販売されてます。空港からホテルの送迎を依頼するかどうかについては熟慮の上で利用するか否かについては各自でご決断頂きたい。新空港が利用出来るようになったのであればなおのこと海外旅行案内書を旅の前に読んで予習することは重要です。旅を楽しんで下さい。

オマケ
馬鹿げた予測とは違って過去を振り返るのは良いとしても、今となっては2006年(平成18年)は10年以上前の出来事です。執筆した時期は平成でしたが令和になってから変更に至った部分が存在すると考えてください。
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