ドリアン長野の海外旅行記

長期休暇もない有給休暇もないリーマン・ パッカーが、
短い休日と高い航空券にもめげず、海外を旅したお笑いエッセイ

この映画を観た人は必ずこの映画のことを人に伝えずにはいられないだろう。 平成28年12月

2016-12-24 | Weblog


この映画はすずが広島市の中島本町(現在の中区中島町)に海苔を届けるところから始まる。
父が広島で被爆したのは人づてに聞いて知っていた。父はそのことを子どもたちに直接話したことはなかった。なぜ米子市出身の父が広島にいたのか疑問だったので、今年の10月に帰省したときに聞いてみた。
祖父が広島連隊に召集され、祖母は家族が離れて暮らすのはよくないと三人の息子を連れて広瀬元町(現在の中区広瀬町)にあるお寺に寄宿した(中島町も広瀬町も原爆ドームから400メートル圏内)。被爆したときに父は10歳、生後半年の弟を膝に乗せてあやしていたが、右手から閃光が走ったので思わず首をすくめたら弟が吹き飛ばされた。お寺は倒壊し、瓦礫からは弟の泣き声が聞こえていたがどうしようもない。祖母と父は奇跡的に助かった。父は泣き叫びながらあてどもなくさまよい歩き、祖母と再会したのは3か月後だった。
映画のエンドロールにクラウドファンディングした2000人の名前が流れる。ありがとう、あなたたちが出資してくれなかったら、この映画が世に出ることはなかった。映画館ではエンドロールが終わるまで席を立つ人は一人もいなかった。
この映画を観た人は必ずこの映画のことを人に伝えずにはいられないだろう。
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