ドリアン長野の海外旅行記

長期休暇もない有給休暇もないリーマン・ パッカーが、
短い休日と高い航空券にもめげず、海外を旅したお笑いエッセイ

海外旅行記

      
 2009年以前にドリアン長野が14か国を旅した海外旅行記です。
順不同。 タイランド(バンコク) カンボジア(プノンペン、シェムリアップ等) 
メキシコ(ティフアナ) 英国(ロンドン) インド(デリー、ウェストベンガル州等) 
米国(ニューヨーク州、ニュージャージー州、ミシガン州とロサンゼルス
フィリピン(マニラ) 台湾(台北) マレーシア(クアラルンプール等) 
ベトナム(ホーチミン) ネパール(カトマンズ) ミャンマー(ヤンゴン等) 
香港と中国(上海北京) 夏が来れば思い出す 

 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集並びにご連絡 令和五年

 コラム 令和五年  いつ頃、渡航したか? 令和五年  令和六年からの方針

「皆、知ってる?あいつ、こんな悪い奴なんだよ。」と言いたいのか?
海外旅行案内書を読んで計画を作ってからカナダを旅行中に自由妨害されて困りました。頼んで無いのに毎日フェイスブックのタイムラインに詰問されて防犯の問題があったので気分が悪かった。 情報操作をされたくないから伝えるが「寂しいと思ったので連絡したら激怒したのはおかしい。」と主張するやもしれない。不平不満を述べながら他人の生活に干渉するよりも社会に貢献して改善してもらいたい。
渡航中は我慢して帰国後に抗議したら加害者は逆上して謝罪せずに暴力的な書き込みをしました。謝罪もないし平成だけでなく令和になっても悪い連絡があり困った。紹介を取り止めたからって逆上するのは論外。 現状に拘泥してるのは管理能力の欠如かな?

平成20年代以降はSNS等を悪用し情報を得た上で悪事を計画する人がおります。過去においては海外旅行中は出会った人のみ加害をしてました。警戒して下さい。在外邦人の中にも悪人はおります。実体験してなければ賛同は少ないかもしれませんけど無意味に詰問する人はいます。
敬具 マーキュリーマーク

令和六年三月二日と三日のつぶやき

2024-03-04 | Weblog
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令和六年二月の投稿

2024-03-04 | Weblog

祖母が大好きな娘のメッセージ。
三つ目は難しいかな(祖母)😅



旅の記憶は現地で食べた物と分かち難く結びついています。
沖縄発祥のタコスといえばコザの中央パークアベニューにある「チャーリー多幸寿」。チャーリーは創業者の勝田さんに米兵がつけたニックネームです。創業は1956年ですから70年近くです。店内はアメリカンな雰囲気で壁に所狭しと有名人や一般人の色紙が飾られています。山形から食べに来ました、という色紙もありました。
時間がないのでチキン、ツナ、ビーフのタコスをテイクアウトし、車中で食べました。
U型の皮は柔らかくもっちりとして,具の上にトマトとレタスの千切りが乗っています。う〜ん、今まで食べたタコスは一体何だったんだろう。忘れることができない味でした。
勝田さんは4年前に95歳でお亡くなりになっています。
かつては「B.C. Street」(BCはビジネスセンター)「センター通り」とも呼ばれた米兵相手の歓楽街は1982年に現在の「中央パークアベニュー」になりましたが近くの北谷にできたアメリカンビレッジに客足をとられ、数年前から空き店舗が目立ち始め、往時の賑わいはありません。 「チャーリー」だけが気炎を吐いています。
ライスの上にタコスの具を乗せたいわゆるタコライスの発祥地は海兵隊の基地キャンプハンセン近くにある「タコキング」です。ご飯なので日本人向けかと思いきや、お腹を空かせた海兵隊員に安くて腹持ちのいい料理を考案したそうです。 嘉手納基地ゲート2に至るゲート通りと国道330号線の交差点から500メートルを歩いてみます。
1970年、沖縄女性が酒気帯び運転の米兵に轢殺されたのですが、米兵は無証拠不十分で無罪になりました。その三か月後、330号線を横断していた男性が米兵が運転していた車にはねられたことが端緒として沖縄県民の怒りは爆発しました。アメリカ車を見ると横転させ、火をつけました。最終的には五千人の県民が暴動に参加したのです。これがいわゆるコザ暴動でした。 基地の50メートルほど手前の道路にオレンジラインが引いてあり、「此処は嘉手納空軍敷地の境界線です。許可のない立入りを禁じます。基地司令部の命による」と書いてありました。
米軍基地内は治外法権であり、アメリカの法律が適用されるとまことしやかに言われますが、そうではありません。
米軍の施設及び区域は、日本の領域であり、日本政府が米国に対しその使用を許可しているだけです。日米間で結ばれた「日米地位協定」によって地位協定の運用は、日米両国政府間で協議することとされています。 また、那覇市内ではよく不動産で「軍用地を買います」という文言を目にします。軍用地とは米軍基地および、自衛隊施設として使用されている土地を指します。これらの多くは、国が個人所有の土地を強制的に借地したもので、その上で米軍基地や自衛隊施設として提供しているというのが現状なのです。現在、国は借地料として地主に年間900億円以上を支払っています。 沖縄の道路標識は字が薄くなっていたり剥がれている標識がかなりあります。
強烈な紫外線や潮風(沖縄で自転車に乗っている人はめったに見ませんが、一度だけ見かけた二人連れの小学生の前カゴはどちらもひどく錆びていました)で標識が劣化しやすいのかわかりません。それにしても「テゲテゲ」です。 ふとバンコクのコンビニで、迷い込んだ野良犬を警備員がしゃがんで頭を撫でていた光景を思い出しました。
「小さいことは気にしないさー、なんくるないさー」と標識が語りかけてきたような気がしました(嘘です)。
今はプロ野球の春季キャンプだそうです。私は野球に関心がないのですが、「キャンプって選手が飯盒炊さんしたりキャンプファイアして親睦を深めることと思ってました」と言ったT君ほど無知ではありません。 一泊目のホテルには広島カープの選手が宿泊しているらしく「選手への握手、サインなどは控えるように」と注意文が書いてありました。
もし選手に遭遇しても私には衣笠か古葉監督しかわかりませんが(あとでネットで調べてみたらお二人とも物故されていました。失礼しました)。
ひめゆり資料館では出てから小六の娘が募金箱に二千円を入れようとしました。
彼女なりに何かを感じ取ってくれたのが嬉しかったです。二千円は多いと押しとどめて千円にさせましたが。
魅せられて終の住処にする人も多い沖縄。空港まで迎えに来たレンタカーのスタッフ、大阪生まれで27歳のガタイのいい好青年(趣味は筋トレ)も修学旅行で訪れた沖縄が忘れられず、ついにこちらにやって来て三か月。
最初は友だちがいなくて毎日泣いていたそうです。
気持ちはわかります。観光と実際に住むのでは大きなギャップがあるでしょう。
それでも自分の夢に忠実なこの青年をオジサンとしては応援したい気持ちです。
もしいつか再び会う機会があれば、近況を聞くのが楽しみです。
私は島に向かう途中で見たサトウキビ畑が網膜に焼きついたままです。
あ、またTHE BOOMの曲がリフレインし始めた…。
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ご連絡

家族は永遠に

平成24年 長野家

Banners バナー集
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上記は88X31。 下記は200X40。 令和三年十月

 

 


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2019年からはこちらでもお楽しみ下さい。
(アメーバブログ)ドリアン長野の読書三昧
主にブックレビューを掲載しています。

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 自己紹介
 尊敬する人は大山倍達とマザー・テレサとジョン・ライドンと町田康と中村うさぎです。ピストルズを聴いて人生に目覚め、スマッシング・パンプキンズで人生の悲哀に気づいた野球嫌いのA型の魚座の極真空手を愛するインドア派。 -大阪在住の鳥取県産まれ-









ご注目

 ドリアン長野がフェイスブックで行った投稿の転載は令和六年二月からは重要な出来事は特例としても転載は見送ります。催事の連絡は令和五年のみで終えます。
 カレーの投稿についても令和六年に集約し投稿したのでそれで終えます。海外の出来事の紹介は例外的な出来事を除外し令和六年三月末迄とします。

 苦難は同情すれども無理強いされてまで共闘する気はありません
 2012年にドリアン長野と私が会談した時に某ホームページの紹介を辞める提案をして黙認されました。
 私が2015年にカナダを旅してる時に毎日フェイスブックのタイムラインに詰問してきたストーカーがいました。
 彼等の目的は私の弱みを握った上で紹介を再開させることです。
渡航中の人に対し詰問するのは犯罪の被害にあう可能性を高める行為です。
 損害を作りだす公共の敵は当方に関わらんでほしい。
 発表してませんが2011年によろしくない書き込みをしてきた人がいました。
 特定のホームページについて「紹介してるのが悪い。」と考えてる人は「紹介されてるのが悪い。」とも考えてる。
 紹介先の取捨選択と書き込みの否定は、不可避でした。

 パスポートの入手、渡航先の選定、旅先の海外旅行案内書を購入して読んで予習、必要なら電子渡航認証等の申請や観光ビザの所得、外国語の学習、旅費と休暇の捻出、複数存在する旅に必要な商品の購入、外貨の保有、交通費、宿泊費、海外旅行保険の支払い等を済ませないとお気楽に海外旅行は行えません。

 海外旅行記の内容はドリアン長野が渡航した時の状況です。海外では町名が言語によって異なりますので旅行記内において日本では一般的ではない町名が存在します。  予算やお薬は多めに用意して下さい。 複数の時計を利用し時差に対応しましょう。
準備してから旅行代理店、航空会社(又は、船会社)、ホテル等に予約と支払をしましょう。
 海外旅行保険の加入は必須です。 kaigairyokouhoken.com
出入国に関わる法規制や価格等は過去と現在で異なるので渡航前に各自で確認下さい。
 私はドリアン長野からホームページについて頼まれ平成15年にgoo簡単ホームページを利用した後、こちらを担当してます。
 一日から14日に一回以上、14日から月末迄に一度は投稿する予定です。
敬具 管理人 マーキュリーマーク

回顧を兼ねた書評


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。 旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。