(有)○○屋 喫茶室

いらっしゃいませ。
お茶でもしながらおくつろぎください。

遠距離ドライブ パート2

2006-10-30 23:56:51 | おでかけ
前回友だちの結婚式に出席するために東京へ行って、入院しているおばに会って来たと書いたと思います。
先週、そのおばが他界しました。たった2週間前に会ったときには普通に会話してきたのに。亡くなったと聞いたときには信じられませんでした。
おばは5年前にガンを発病し、それ以来闘病してきたのですが、残念な結果になってしまいました。
土曜日、葬儀に出席するために父、母、弟と4人で車で東京へ行ってきました。
朝5時前に起きて出かける準備をし、まずは実家へ家族を迎えに行きました。そこからまずは旦那の実家へ行き、ちびを預けました。そして8時くらいに高速に乗りました。途中、国見SAで同じく車で行くいとこ一家と合流。そこから車2台で行きました。次に、那須高原SAでトイレ休憩。そして埼玉の羽生SAでお昼ご飯を食べました。この時点でまだ12時過ぎ。東京へは15時まで到着すればよかったので、ゆっくりお昼休憩をしました。次に蓮田SAで給油をし、ついでに首都高を運転するのが怖かったのでいとこのお兄ちゃんに運転を交代してもらい、首都高に乗りました。土曜日は18時からのお通夜だけで、葬祭会館でやったのですが、夕方16時半にならないと葬祭会館に入れないとのことだったので、まずはホテルにチェックインして荷物を置き、喪服に着替えることにしました。ホテルは歌舞伎町だったので、首都高は新宿で降りました。ここまでの道のりで、わたしは自宅から国見SAまでの間と那須高原SAから蓮田SAまでを運転しました。前回東京へ行った時は羽生SAから六本木までしか運転しなかったので、さすがに運転疲れしました。
ホテルに着いて、チェックインし、部屋へ入ったのですが、これがかなり広い。ユニットバスもすごく広くて。そのホテルは改装したばっかりみたいで、きれいだったし、よかったです。
少しゆっくりしてから喪服に着替え、16時過ぎに葬祭会館へ向かいました。お通夜をし、ホテルに戻ったのは23時過ぎてました。ホテルの部屋はツインで、おば夫婦、いとこのお兄ちゃん二人、うちの母と弟、そしてわたしは1つ年下のいとこと同じ部屋でした(うちの父は葬祭会館に泊まりました)。お互いに近況なんかを話したり、お風呂に入ったりして深夜1時過ぎには疲れもあったのか、寝てしまいました。
翌日。葬儀・告別式が11時からで、ホテルは10時にチェックアウトして葬祭会館へ向かうことになっていたので、朝もゆっくりできました。8時半くらいに起きて、準備をし、葬祭会館へ行きました。
葬儀・告別式と、火葬をし、法要をやって、全部終わったのは15時でした。そこからみんなで亡くなったおばの自宅へ行き、自宅の祭壇へお線香をつけてから帰路につきました。
帰りも新宿から首都高に乗りました。わたしは合流とか車線変更が苦手なんですね。本当は首都高を運転するのが怖かったので誰かに運転してもらいたかったのですが、誰も運転してくれる気配がないので、わたしが運転しました。後から聞いたのですが、夜にぐっすり寝たのはどうもわたしといとこだけだったみたいで。睡眠不足で運転するのも危ないのでね。来るときに一緒に来たいとこが前を走ってくれるというので、後を付いていくだけでよかったし。覚悟を決めて運転席に座りました(大げさ?)
首都高に乗ったら、いきなり渋滞してました。渋滞してるときに車線変更するのってすごく怖いですよね。助手席にいた父と、後部座席にいた弟に前後左右を見てもらいつつ、なんとか首都高を抜けました。東北道に乗ってから蓮田SAで晩御飯を食べました。蓮田SAまで1時間半もかかってました。恐るべし首都高。
みんなでSAのレストランで晩御飯を食べていたとき。わたしはかなりおなかがいっぱいになって。ぽろっと「はぁ。おなかいっぱいだなぁ。おなかいっぱいになると眠くなるんだよね~」と言ったんです。まぁそんなことは忘れて、ご飯を食べてからお土産を買って、出発することに。誰か運転変わってくれるかなと様子を見ていたのですが、車に戻るとわたしの席は運転席でした。まぁ、もう東北道に乗ったし、怖いところはないからいいやと思って運転することにしました。運転席に座ったら、助手席にいた父から「はい、これ」と何かを渡されました。見たら、眠気防止ドリンクでした。さっきレストランでわたしが「おなかいっぱいになったら眠くなる」と言ったのを聞いていたんでしょうね。父は、ドリンクを買ったということは、引き続きわたしに運転させる気マンマンだったのでしょう。誰か運転変わってくれるかなと期待したのが間違いだったようです。せっかくもらったので、ドリンクを一気に飲み干し、また運転しました。蓮田SAを出て、次に上川内SAで休憩しました。そこで、みんなで餃子を食べました。さすがに最後まで運転させるのは申し訳ないと思ったのか、上川内からは父が運転してくれました。しかし、さっき飲んだドリンクが効いたのか、全然眠くならない。逆にテンション高かったくらいでした。最後に国見SAで給油と休憩をし、そこで一緒に帰ってきていたいとこたちと別れました。国見SAからうちの実家まで、またわたしが運転しました。実家に着いて、荷物を降ろし、わたしは自宅へ帰りました。たぶん一日で350キロくらい運転したと思います。前回東京へ行ったとき、帰りは上川内SAから国見SAまでしか運転しなかったので、最長運転距離の自己ベストを更新しました。
自宅に着いたときには12時半でした。さすがに疲れたなぁとは思ったんですが、ドリンクが効きすぎたのか、眠くならなくて。今朝は朝寝坊してしまいました。
いまだになんですが、おばが亡くなったという実感がわきません。遠く離れて暮らしていたので、こっちに帰郷してくるのは年に1回あるかどうかでした。いつもこっちに帰郷してくるのはお盆だったので、また来年のお盆に「そっちに帰るから」と連絡が来そうな気がしてしまいます。これまで5年間も闘病生活を送ってきて、辛いときもあっただろうし、疲れただろうと思うので、天国でゆっくり休んでもらいたいと思います。

最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (和愛)
2006-11-02 12:43:39
短期間に2回も首都高すごいねぇ。考えただけでも怖い…



私も2年前くらいに大叔父を亡くしたけど、やっぱあんまり会ってないと実感ってなかなかわかないよね。で、ふとしたときに『あぁ、もういないんだなぁ~』とか思うんだよねぇ。なんだか切ない(-ω-)
ご苦労様 (kana)
2006-11-02 23:14:50
一ヶ月もしないでまた東京とは・・・。
しかし、伯母さん。
あのときちゃんと会っておけてよかったね。

でも、首都高もこの間の経験があるし、東京までの道のりもまだ覚えてるだろうからまだそんなには疲れなかったかな?(^^;
確かに行きも帰りも一人で運転は、あの距離はしんどい・・・(--;
あたしはあの時実感したよ・・・。
なにはともあれ、お疲れ様でした。
(。TωT)ノ☆・゜:*:了└|力"├♪ (管理者)
2006-11-03 23:20:22
kanaちゃん>ほんと、たった2週間でまた東京とは。結婚式で東京に行ったときに会ったのが亡くなる10日前だったんだけど、ちゃんと話もできたし、まさかたった10日で亡くなるなんて…という感じ。運転のほうは、前回行った時よりも長い距離を運転したからさすがに疲れたかな…首都高も前回とは違うルートだったし、乗ってすぐ渋滞に巻き込まれて、東北道に乗るまでに1時間半くらいかかったんだよ。危うく関越道に乗りそうになったりとかなりドキドキだった(笑)

和愛さま>首都高は渋滞してなければたいしたことはないんだけどね~。普段、たんぼの真ん中しか運転してないから東京って聞いただけでドキドキだったけどね(^^;;
ほんと、今はまだ実感ってあまりわいてないんだけど、ふとしたときに「もういないんだなぁ」って感じるときが来るんだろうね。ほんと、切ないよね(/_;)しくしく