(有)○○屋 喫茶室

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母親になるための試練

2005-05-26 23:10:41 | 雑記
私には現在臨月を迎えた、いとこがいます。
予定日は6月中旬。
と言っていたのに、昨日「破水したんで入院した」と連絡が入りました。
しかし、陣痛がうまくつかなかったようで、陣痛を誘発する促進剤を投与しているとのこと。
そしてさっき、「生まれました」と連絡が入りました。
母子共に健康、無事に自然分娩で出産したとのことでした。
連絡が入ってから、自分の時のことを思い出していました…

私の出産予定日は7月7日、七夕の日でした。
予定日前の最後の産婦人科での検診のとき、妊娠中毒症の症状があることが発覚。
ついでに胎児も自然分娩では大変なくらい大きく育っているかも知れないこともあって、
もし予定日までに何らかの陣痛の兆候が現れなかったら入院して出産をすることになりました。
そして予定日。赤ちゃんは私のおなかの中の居心地がよかったのか、陣痛の兆しはありませんでした。
で、結局次の日に入院、薬で陣痛を誘発し出産することになりました。
ダンナに付き添ってもらって病院へ行き、即入院しました。
病室に入って荷物を整理してすぐ、陣痛を誘発するための処置が始まりました。
まずは陣痛促進剤を点滴で投与、それと同時に俗に「バルーン」と呼ばれる、
水風船のようなものを子宮の入り口に入れて子宮口を開かせる処置をしました。
通常、赤ちゃんが子宮から出てくるためには子宮口が10センチ開いていなければだめです。
この「バルーン」を使うと、子宮口は最大6センチまで開きます。
看護士さんに「バルーンで子宮口が6センチまで開くときすごく強い陣痛がくるから分かるはず。
6センチまで子宮が開いたらバルーンを取り出さないといけないのでナースコールで呼んでください」と言われ、そのときが来るまで病室で待機することに。
もちろん出産が初めてだった私は陣痛がどれだけ痛いのかなんて知りません。
病室に戻ってしばらくするとおなかが痛くなりだしました。
「促進剤の点滴ってこんなに効くんだなぁ、この分ならもうすぐ生まれるかも」なんて言ってました。
そうしているうちに陣痛が5分間隔になっておなかの痛みも強くなっていきました。
呼吸が乱れないように気をつけながら陣痛を我慢していると、突然それまで5分間隔だった陣痛が
なくなってしまい、おなかも全然痛くなくなりました。
「あれ?なんだったんだろう、さっきの痛さは…」と思っていたら看護士さんが様子を見に来ました。
看護士さん「陣痛来ましたか?」
私「さっきまではすごく痛かったんですけど今は全然痛くないんです」
看護士さん「ちょっと見てみますね(と言って内診)。あれ?バルーンが外れてる…」
私「えっ???」
そうです、さっきまでの陣痛は促進剤の点滴のせいではなくバルーンだったんです。
子宮口を6センチまで開いて役目を終えた水風船は子宮から出てしまっていました。
だからあれだけ強かった陣痛もピタッと止まってしまっていたのです。
看護士さんは子宮からバルーンを取り出し、私に見せてくれました。
ほんとに水風船そのもの。
あとはこのままもう少し促進剤の点滴を続けて陣痛が始まるかどうか待ってみることに。
しかし、一旦落ち着いてしまった陣痛は促進剤の点滴を続けても再び復活することはありませんでした。
その夜病院の先生が回診にいらして、一言。
「明日生ませます」
そして翌日。
立会い出産しようとずっと付き添っていてくれたダンナに会社から連絡が入り、どうしても会社へ行かなければならなくなってしまいました。でも1~2時間で戻って来れるということだったんで、出産までは間に合うだろう、とダンナは会社へ行ってしまいました。
そうこうしているうちに私は処置室へ呼ばれ、再び促進剤の点滴が始まりました。
そして同時に「人工破膜」と呼ばれる処置をしました。
人工破膜とは、人工的に破水させることで、看護士さんが処置をすると、羊水が一気にたくさん出てきました。
後は陣痛が始まるまで陣痛室で待機することに。
昨日促進剤を点滴していたときとは全然違い、人工破膜をしたら一気に陣痛が来ました。
陣痛の痛さは回を重ねるごとにだんだんひどくなっていき、間隔も徐々に狭まってきました。
それまでは陣痛の痛さは呼吸でなんとかやり過ごすことができていたのですが、
だんだんと耐えられなくなってきてベットの上でのた打ち回っていました。
そんな時、ダンナが会社から戻ってきました。
誰も居ない病室に行ったダンナは異変に気が付き、看護士さんに尋ねると
私が陣痛が始まっていることを知らされました。
そして看護士さんに連れられて陣痛室へ来ました。
私が入院した産院の陣痛室は1つの部屋にベットが複数あり、カーテンでしきってあります。
もし私以外の人が陣痛室にいる場合は付き添いは一切NG。
運悪く私が陣痛室に居たとき、他の妊婦さんも居たので、ダンナとは一瞬顔をあわせただけで
後はダンナは外で待たされることに。
そうしているうちにだんだん陣痛の痛みがくると自然に体に力が入り、いきみたくなってきました。
ここで生まれては大変、とたまたま様子を見に来た看護士さんにいきみたい旨を伝えると、
看護士さんは内診し、子宮口がどれくらい開いたか確認しました。
でもまだ子宮口は8センチしか開いておらず、分娩はおあずけ。
陣痛の間隔もかなり狭まってきて、これ以上いきみを我慢することができなくなってきました。
そうしたらやっと分娩室へ移動OKとなりました。
陣痛の山を見計らって、痛くないときにベットから起き、分娩室へ移動しました。
途中、陣痛の痛みが来ましたが、なんとか我慢して分娩台へ。
この病院の分娩室には分娩台が2つあり、カーテンでしきってありました。
立会い出産をしたいと看護士さんに伝えたときに、もしもう1つの分娩台に他の妊婦さんが居るときは立会いはできないと言われていました。
これまた運悪く、となりの分娩台では他の妊婦さんが陣痛と戦っていました。
なので、立会い出産はNGでした…
分娩台へあがると、やっといきんでOKの指示が出ました。
持っているすべての力を出して陣痛の痛みが来たら思いっきりいきむ、痛くなくなったら休む、
この繰り返しを5~6回くらい繰り返しました。
体力もだんだんなくなってきてそれと同時に意識が朦朧としてきました。
どうしよう、もう頑張れない…
そう思ったとき、下腹部に陣痛とは違う激痛が走りました。
それとほぼ同時に「もう力入れないで楽にして」と指示され、力を抜いたとき、
赤ちゃんが出てきました。
かろうじて意識がなくなってしまう直前に出産終了。
「おめでとうございます」と看護士さんたち。
でも私には返事をする気力すら残っておらず、ただただ「もうこんなの一生ヤダ」としか考えられませんでした。
冷静になって「陣痛とは違う激痛」の正体を分析し、やっと正体に気がつきました。
そうです、何の断りもなく会陰切開されていたんです。
ほどなくして先生がやってきて出産後の処置を始めました。
局部麻酔をかけられ、切開したところの縫合をされました。
その途中、生んだばっかりの赤ちゃんとご対面。
私はびっくりしました。ダンナとウリフタツではありませんか。
外の待合室で待っていたダンナのところにも看護士さんが赤ちゃんを連れていってくれてご対面。
後で聞いたら抱っこもさせてくれたそうです。
処置が終わり、「2時間は安静に」と指示をうけて分娩台から降りて車椅子に乗り、病室へ戻りました。
病室に戻ってすぐ、看護士さんが赤ちゃんを病室に連れてきてくれて記念写真を撮影していきました。
この写真は退院するときに病院からポストカードにしてプレゼントされました。
この写真は一生の宝物です。

これが私の出産体験です。
後で母子手帳を見ると、分娩時間が書いてありました。
「分娩所要時間 2時間20分」…
かなりのスピード出産。
前の日に子宮口が6/10センチまで開いていたのでこのくらいの時間で済んだみたいです。
いろいろ雑誌を読んで陣痛が始まってから出産が終わるまで何時間もかかる、ひどい人だと
3日とか苦しむということを知っていたので、通常に比べたら私の分娩は超短時間の超安産だったんです。
でももうこんなの二度といやだと感じるくらい、出産って大変なんです。
でも女性って耐えられちゃうんですよね。
もし二人目妊娠したらまた頑張って出産しようと思います。
そして次回こそぜひ立会い出産をしてみたいです。

プチ里帰り

2005-05-20 16:34:38 | 雑記
火曜日、ダンナが出張に行くことになってました。
午前中は仕事して昼から空港に移動し、中国へ行く予定でした。
すると、夕方5時過ぎころに私のケータイが鳴りました。
誰だろう、と見ると、ケータイの使えない海外に行ったはずのダンナのケータイから着信が…
え??と思って出てみると、到着地の荒天のため飛行機が遅れているとのこと…
結局飛行機は25時間遅れになり、ダンナは午後一杯空港で待ちぼうけした後に帰ってきました。
やれやれ。
そして翌日。昼ごろにダンナを空港まで送っていきました。
今度はちゃんと飛行機は飛びました。
そんなこんなで色々ありましたが、ダンナは無事10日間の出張に旅立ちました。
私はというと、一人で家にいるのもつまらないので、実家へプチ里帰りしてます。
とはいえ、私の家と実家は車で30分くらいしか離れていないので、
日中はなんだかんだと理由をつけて自宅に帰ってきています。
生まれてから家を出るまで約20年間住んだ家でも一旦出てしまうとなんだか居場所がないような気がしてしまうんですよね。
私の部屋だったところも今は弟の部屋になってたりしてなんだか余計に居づらい…
ムスコもいつもとは違う家にいるからかお昼寝はしない、夜も寝付かない、眠りは浅い、眠いのに寝ないのでぐずる…
と悪循環です。
自宅に連れて来ていつも寝かせているベットに寝かせたとたん、寝るわ寝るわ…
いくら赤ちゃんでもマクラ(?)が変わると寝れないものなんでしょうか…

我が家の新兵器?

2005-05-12 21:13:01 | 雑記
引越しを機に、我が家に新兵器が登場。
前から欲しいなー、と思ってはいたものの、前のアパートには置き場所がなくて買えずにいました。
引越しすることになって物件を見に行ったとき、新兵器の置き場所が確保できることが分かって、
よし、引越しを機に導入しよう、と思い、いろいろお店をまわって物色しました。
そしてとあるお店で安く売っているのを見つけて、早速買いました。
今、取り付け工事してから10日くらい経ちました。一日2回か3回使っています。
やっぱりいいですね。何がいいって、
1、私の負荷が減る
2、水の節約ができる
3、これからの季節は食中毒対策にもなる
さてここまで読んで、新兵器の正体、分かりましたか?
我が家に導入された新兵器の正体、それは…
食器洗い乾燥機です。
ほんとお勧めですよ。

5月になりました

2005-05-09 10:32:02 | 雑記
「週に1回は更新」と誓ってから早1ヶ月…
4月は激動の1ヶ月でした。
去年から引越しを考えていて、目をつけていた物件があったのですが、
4月に入ってから連絡があり、とある事情で入居できないことに。
仕方なく別な物件を探そうと不動産屋に行ったら、運良くいい物件が見つかりました。
どうせ引越しするなら休みが連続しているゴールデンウイークにしよう、ということで
引越しが決まってからわずか3週間で引越しを決行。
一番困ったのが荷造り。
段ボール箱がなかなか手に入らなくて、仕方なく買いました。
段ボール箱があって荷造りしても引越しの日まで置いておくところもない。
とりあえずできるところまで荷造りして後は引越し当日に荷造りしながら
新居に荷物を運びました。
それと、引越しを機にいらないものを一気に捨てることに。
捨てるものをまとめたらすごい量になりました。
今までこんなにごみに囲まれていたなんて…改めて驚きでした。

今回の引越しで得た教訓
1.必要ないものは買わない、使わなそうなものは思い切って捨てる
2.引越しは余裕を持って日程を決める

次回引越しするときはこの教訓を忘れずに準備しようと思いました。