きめ細かに演説 2011-03-30 23:51:31 | 政治活動 限られた時間ですが、できるだけこまめに街頭演説していきます。 今朝は国道で朝立ちです。 多くのご支援に感謝です。 また、伊都医師連盟さまからご推薦もいただきました。 救急医療体制も含め、より緊密な連携の下、橋本の医療を提言してまいります。 さて、コメントに対してお返事ができていませんこと申し訳なく思います。 市職員の退職金ですが、最高が2900万円です。 勤続年数と最終の資格などから計算されています。 平均とはいいますが、そんなに大きな開きはございませんので5000万はありえません。 ここは公務員、年功序列の昇給、昇格の結果といえるでしょう。 能力重視の人事評価制度の確立が求められます。 #政治 « アイデア | トップ | 明日告示です。 »
3 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 子供のことを大事に考えていた市議さん (Unknown) 2011-03-31 06:53:53 市議の「遺言」、非常通路が児童救う 津波被害の小学校岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日本大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。 海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、いったん1階から校舎外に出て、約70メートルの坂を駆け上がってがけの上に行き、さらに高台の三陸鉄道南リアス線三陸駅に向かうことになっていた。 「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んでいきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」。2008年3月の市議会の議事録に、地元の平田武市議(当時65)が非常通路の設置を求める発言が記録されている。 親族によると、平田さんは数年前から「津波が来た時に子供が1階に下りていたら間に合わない。2階から直接道に出た方が早い」と話すようになったという。 平田さんの強い要望をうけたかたちで、昨年12月、約400万円の予算で校舎2階とがけの上の道路をつなぐ津波避難用の非常通路が設置された。予算がついた時、平田さんは「やっとできるようになった」と喜び、工事を急ぐよう市に働きかけていた。 11日の地震直後、計71人の児童は非常通路からがけの上に出て、ただちに高台に向かうことができた。その後に押し寄せた津波で、長さ約10メートル、幅約1.5メートルの非常通路は壊され、がれきに覆いつくされた。遠藤耕生副校長(49)は「地震発生から津波が来るまではあっという間だった。非常通路のおかげで児童たちの避難時間が大幅に短縮された」と話す。 市教育委員会の山口清人次長は「こんな規模の津波が来ることは想定しておらず、本当に造っておいてよかった。平田さんは子供のことを大事に考える人でした」と話した。 非常通路から避難した児童の中には、平田さんの3人の孫もいた。平田さんの長男、大輔さん(38)は「人の役に立った最後の仕事に父も満足していると思う。小学3年の息子にも、大きくなったら話してやりたい」と語った。(其山史晃) http://www.asahi.com/national/update/0329/TKY201103290249.html子どもの健やかな育ちを社会が手助けする策としては、子ども手当てのように現金を配るよりも前に、まだやるべきことがあるのではないでしょうか? 返信する Unknown (Unknown) 2011-03-31 09:17:48 いまだ福島の原発事故が収まらない、今この時期に選挙をする必要があったのでしょうか?民主党には選挙を延期する政治判断も可能だったのではないでしょうか。ブログ主さんは頑張っておられるのかもしれませんが、民主党という政治組織には不信感しか抱きません。 返信する Unknown (Unknown) 2011-04-01 20:35:34 ああ、もうだめだ!!!5000万と2900万の差がどうしたというのだ!!!今の日本の雇用状況、把握しているのか?数字の問題じゃないんだ!ああ、もうだめだ、こりゃ 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日本大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。
海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、いったん1階から校舎外に出て、約70メートルの坂を駆け上がってがけの上に行き、さらに高台の三陸鉄道南リアス線三陸駅に向かうことになっていた。
「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んでいきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」。2008年3月の市議会の議事録に、地元の平田武市議(当時65)が非常通路の設置を求める発言が記録されている。
親族によると、平田さんは数年前から「津波が来た時に子供が1階に下りていたら間に合わない。2階から直接道に出た方が早い」と話すようになったという。
平田さんの強い要望をうけたかたちで、昨年12月、約400万円の予算で校舎2階とがけの上の道路をつなぐ津波避難用の非常通路が設置された。予算がついた時、平田さんは「やっとできるようになった」と喜び、工事を急ぐよう市に働きかけていた。
11日の地震直後、計71人の児童は非常通路からがけの上に出て、ただちに高台に向かうことができた。その後に押し寄せた津波で、長さ約10メートル、幅約1.5メートルの非常通路は壊され、がれきに覆いつくされた。遠藤耕生副校長(49)は「地震発生から津波が来るまではあっという間だった。非常通路のおかげで児童たちの避難時間が大幅に短縮された」と話す。
市教育委員会の山口清人次長は「こんな規模の津波が来ることは想定しておらず、本当に造っておいてよかった。平田さんは子供のことを大事に考える人でした」と話した。
非常通路から避難した児童の中には、平田さんの3人の孫もいた。平田さんの長男、大輔さん(38)は「人の役に立った最後の仕事に父も満足していると思う。小学3年の息子にも、大きくなったら話してやりたい」と語った。(其山史晃)
http://www.asahi.com/national/update/0329/TKY201103290249.html
子どもの健やかな育ちを社会が手助けする策としては、子ども手当てのように現金を配るよりも前に、まだやるべきことがあるのではないでしょうか?
民主党には選挙を延期する政治判断も可能だったのではないでしょうか。
ブログ主さんは頑張っておられるのかもしれませんが、民主党という政治組織には不信感しか抱きません。
5000万と2900万の差がどうしたというのだ!!!
今の日本の雇用状況、把握しているのか?
数字の問題じゃないんだ!
ああ、もうだめだ、こりゃ