マァ 可愛い!!
スゴイ生存能力ですね。
私の生まれたころのことを書きますね。
私は終戦の1946年12月に生まれました。場所は中国の北京
父は軍属で、両親は写真見合いでした。
私は次女です。終戦は早くから分かっていたらしく私の胎教は最悪でした。
軍部からは「子供がいる(胎)人はおろすように」と薬が回ってきたと言います。
母は父に抗って薬を呑まず私は生きながらえた訳です。
でも生まれたときは子猫のようだったと言います。引き上げの時はオンブすることも出来ずに母の懐に入れられてきました。
泣くと中国人に取られると思った母は24時間おっぱいを含ませ続けました。
母は敗戦、引上げのショックで乳は出ないから、この赤ん坊はきっと死ぬに違いないと思っていたそうです。泣き声は小さく、周りにも聞こえないほどだったそうです。
でも、こんな私が育ったら恐ろしいほどの気の強さ、負けず嫌い、口はたつはで・・・
ホントに分からないものですね。(笑い)
そして、結婚したらしたで夫は人の気持ちが分からない人でした。
自分の思うとおりにならないと暴力をふるうのです。
私は逃げないで向かっていくという???
30数年、タイヘンでしたが・・私は58歳で家を出ました。
舅、姑を送りだし、四人の子供も育て上げましたから「モウ嫌だ!!」と思いましたね。
出てから一年、二年ごとに夫は謝ってきました。
で、「しようがないか}と帰りました。
今は彼は怒鳴りはしても決して暴力は振るいません。
娘は言います。「お父さんは恐れているのよ・・」と、
私は勝ちました!!もちろん私の強さは後ろについている方のお蔭なのですが・・・
今日は私の生きざまを紹介いたしました。
でもあなたにはホント生きる力があったのですね。
私もよく分からないけど従軍看護婦と軍人の間の
子のようです。
子供のいないうちに貰われたけど、その後二人の
男の子が生まれた。
どうもタイヘンなところをとうると人は強くなるみたいですね。感謝ですね~(笑)
平凡に育ったうえに夫には先立たれたものの
平和に暮らしてる私には想像以上です。
人生は、プラマイゼロと言いますから
dorucasuさん、今が一番幸せなときですね。
そして、これからも・・・
60代が人生の充実期ともいいますから
ワタシは感謝の気持ちを忘れずにいかないと・・・
そうなんです。分ってくださってありがとう!
体の痛いとことは沢山ありますが・・心は青春です。
何であれ、感謝しながら生きましょうね。