~こころ豊かな愉快な生き方を求めて~

サスティナブルな世の中で幸せの笑顔が満ち溢れますように
内容:地域活性化、歴史探訪、パソコン、野球

市の中央図書館の有益な活用と新たな役割貢献についての提案

2017-08-21 09:34:22 | 市民活動
いつもお世話になっている市の中央図書館の新館長さんに9月28日開催『つつきはっけんウォーク』のポスター掲示をお願いしてきました。夏休みの日曜日で館長さん自身も貸し借り業務で忙しくされていたのですが、そのポスターをまじまじとご覧になられたので、つつきはっけんのこの1年の活動をお話ししました。また、よく聞いていただいたので、日頃思っている市民としての新たな図書館活用と今後の図書館の役割貢献などについて、お伝えしました。従来から、本の貸し借り数などを図書館の評価ポイントとしてよく聞くが、『これからは、視点を高めて、知的情報の発信・市民の文化交流の場の提供を意識した夢のある展開や拡大を目標』にしていってはどうかということを提案しました。その1例として、昨年から、つつきはっけん研究会を作り、図書・地図や館内閲覧資料を利用して、郷土の歴史を中心とした調査研究を行いまとめたものをもとに、市民に講座やウォークイベント開催で共有していく活動をご紹介させていただきました。図書館の設備機器のプロジェクター等を有効活用し動画や写真を交えたパワーポイントで情報発信共有化を図ったこと、図書の情報を基に知識知恵として得たものをまた市民とコラボしていきながら、新たな文化・教育や知的レベルを高めていくこと、図書館からの受け身体制から能動的に活動していく市を活性化させるチェンジ、チャレンジです。まだまだその途上の事例ではありますが、館長は、なかなか面白い提案ということで、図書館関連の会議で話を出してみるとのことで、短時間でしたが、お話しした甲斐がありました。


ひさい梨とある出版物との関係

2017-08-20 05:34:49 | 何でも知ろう
お中元で、親戚から美味しい梨をいただいた。早速、仏壇に供え、少し冷やしてからいただいた。みずみずしさと程良い甘味、かすかな香りで生産されている田舎を思い出した。最近少し関心を高めている、村、惣、郷、庄、などの国や百姓について、書物を探していると、早稲田大学の名誉教授のF氏の出版物があった。内容は、中々難しく理解するのに、何度も読まねばならないが、よくよく考えてみれば、その方のご実家は、いただいた梨生産者であり、近い親戚ということを思い出した。チャンスがあれば、F氏に出向き、昔の国の成り立ち、庶民のくらし、一揆、などについて、お話を伺いたいと思っている。早速、お礼かたがた、肉親にそのことを伝えた。


秀岳館、鍛治舎監督さん

2017-08-19 07:37:36 | 人物・人材
甲子園の高校野球もベスト8をかけて熱戦中であるが、注目していた秀岳館が二回戦で敗退。鍛治舎監督も勇退するという。会社の部下が鍛治舎役員のもとでお世話になるということで、挨拶をさせてもらい、好きな野球の話をしたが、実に、気持の良いまさに聞いていた通りの人格者であったことを思い出す。専務で退職され、枚方の野球少年を率いて熊本で高校野球の監督と聞いたときはびっくりした。短期間で甲子園の常連、常勝チームに仕立てた功績はすごいものがある。その反面、地元熊本の選手がおらず、試合中の伝令は出さないなど、地元や高校野球関係者からも批判の声が多数あったそうだ。それでも、あの大きなお腹と野球解説のうまい饒舌さで高校球界でも魅力あふれる名物監督になりつつあった。地方大会で体調を壊し無理を押しての甲子園。また、監督で堂々たる姿を観たいものである。お客様第一といった企業基本方針を素のままで実践できる人格者であったことを今一度、申し上げたい。

新たな転入者をきっかけに近隣地区のニューコミュニケーションを図りたく

2017-08-18 09:03:34 | 市民活動
自宅前の更地に、新築される方がご挨拶にみえた。「ご無沙汰しています。」と、元気良い言葉を掛けられたが、確かに今日で三回目の出会い。と言っても、数カ月前に、古民家で出会ったばかり。いよいよ、基礎工事に続きログハウスを建てるとのこと。区としても10数年ぶりの転入者。しかも若い世代ということでウェルカム。少し立ち話をしていると芸術大卒の染色の専門家。こういう出会いで、お互いの新たな境地が開かれるのではないかと期待感いっぱい。昨今では、近所づきあいをしない住民が増える中、共通の話題を持ち掛け、イベント開催のノリで、近所の人たちと接しているが、この若い世代の人たちとも新たなコミュニケーションを図っていきたく思っている。

藤浪君、下半身を鍛えて心身改革を

2017-08-17 08:45:37 | プロ野球
夏の甲子園大会で活躍した選手がプロになり一流のプレーヤーになるとは限らない。最近では、ドラフト下位指名や育成選手でも活躍するケースも少なくない。注目の甲子園優勝投手阪神藤浪が3カ月ぶりに登板したが、四死球を与える荒れ球は修正にほど遠かった。二軍で、少しは良くなったようであったが、右バッターの頭部付近にボールがそれる投球は、当たり所が悪ければ死にもつながることもあり危険球である。解説者は、体の開き、振りかぶり時の右手首の位置を指摘していたが、入団時から気になっている、重心の高さが制球を一定にしない最大の原因であると考える。197㎝、89kgの長身で下半身が細く、腕の力に頼り160キロ近くのスピードでは、コントロールは、安定しない。下半身トレーニング、食事面・生活ぶりの改善、精神的な療法、などを的確にしなければ元に戻れないと思う。首脳陣やコーチこそ、力の発揮しどころである。また、意外とカープやソフトバンクに移籍すれば、復活するのではないかとも思う。


戦後72年、今あらためて何をすべきかを考えたい

2017-08-16 09:14:39 | 今思うこと
終戦から72年。勿論、戦争体験はない。満州に出征した父から、幼いころ防寒手袋を見せられ少しは話を聞いたが、記憶に残っていない。激戦のガタルカナル島で亡くなった叔父のその時の話しも詳細の軍報告がなかったので、あまり伝わっていない。広島で4年間住んだのであるが、原爆の話はなぜか全くと言っていいほど、聞かなかった。ここ数年、終戦の日の特集で、悲惨な場面の体験談を知ると身震いがする。銃弾に倒れ、飢餓に苦しみ、空襲や戦後の貧国さに耐え忍び生きてきた先人たちに頭があがらない。日本では平和と安全が当たり前の世の中になってしまったこと、それらを支える経済や核保有国の暴走の危機にある外交をあらためて国民として考えていかねばならない。

現役商社マンと情報交換~郷土の文化を伝えていかねば~

2017-08-15 06:49:24 | 郷土の歴史
商社に勤務されている現役役員宅を訪ね、じっくりと疎くなった経済や事業経営の近況についてお話を聞いてきました。月に2、3回の海外出張で、大変忙しそうですが、バイタリティ溢れる充実した活動をされている様子が十分うかがえました。逆に『いにしえ』のことに興味があり、幼い頃に祖父の自宅がある京田辺に遊びに来た彼からは、京田辺の状況について聞かれ、古代から奈良・平安・戦国、昭和の時代の話で盛り上がりました。タブレットで、つつきはっけんのホームページをみて、こんなに多くの文化遺産があることに、あらためてビックリされておられました。また、昭和30、40年代の京田辺のまちの様子や写真には、幼いころの数々の思い出があり、大層懐かしそうにされていました。郷土の良さを知り愛することから、人に優しい心や平和を願う気持ちが育つという当方の思いもよく伝わったようでした。是非、教育現場で郷土の魅力ある歴史を伝えなければという話が出て全く同じ思いでした。

昔の思い出~「恐怖のミイラ」は怖かった~

2017-08-14 11:06:04 | テレビ
幼いころ、夏になると祖母がよく実際見た幽霊の話をしてくれたのだが、その実感がわかなかった。すごく怖いと思ったのは、中学1年で観た「恐怖のミイラ」というテレビ番組。考古学博士がエジプトで発掘して持ち帰った4000年前のミイラを蘇生させるが、ミイラが研究室を飛び出し町中へ出て、多くの事件を起こすホラーテレビの先駆け番組。あの奇妙なゾクゾクする音楽、全身白い包帯に包まれ激しく崩れた顔、事件に遭遇する市民、そのテレビを観た後、夜外に出るのが怖かった。高校時代に深夜帰宅時、家の近くに全身を白い包帯を巻いた大柄な人が立っていたときは、恐怖のミイラを思い出しまっしぐら走って帰ったことが今でも忘れられない。
https://www.youtube.com/watch?v=puzXhfpgznc





涼しい朝に嬉しさと勇気をいただくメッセージ

2017-08-13 07:32:36 | 徒然なるままに
本日は、涼しい朝を迎えました。思わず、空を見上げ、府道に出てみました。生かされている小さな自分と大きな自然を感じながら、いつもの風景を写しました。パソコンを立ち上げ、facebookを見ると、嬉しくなるようなメッセージがあり、嬉しさと勇気をいただきました。

日航機墜落事故から32年、あの大先輩は何を申すであろう

2017-08-12 11:39:11 | 災害
企業の仲間が不慮の事故、事件に巻き込まれたケースは、大韓航空機爆破、南米子会社社長殺害などあるが、最大の悲劇は、32年前の日航機墜落事故で30名近い社員が亡くなったのが思い出される。かつての職場の長であったあの方もその中の一人。コンピュータ用語は勝手すぎる、背中の筋肉でバットを振る、など公私にわたる名言は事欠かない。その大先輩が日航機事故の犠牲となり、部下たちは遺族へのお世話や御巣鷹山へ何度も登って精一杯のことをやった。あれから32年、良きことや悪しきことを経験してきたが、果たして、我々人間として、幸福への道に向かって歩んでいるのであろうかと故人に問いかけている。

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