僅かな武装していない家康一行の三日間の逃走ドラマには、数々のストーリーがあり、言い伝えがある。堺、河内、山城、信楽、伊賀、伊勢、三河には、各地それぞれのエピソードがあるが、果たして、その真偽は?ということがいつも付きまとわっている。昨年から、少し、力を入れて、逃走路を中心に調べてきた。本年から特に、現地を巡るウォークを開催しているが、色々な疑問にぶち当たることがある。質問に答えていても、もし、その根拠が不確かということも考えられる。逆に、その出所の古文書を信じて、検討を進めなければ、全てが崩れるということにもなりかねない。先日から、すこし考えなければならないよという刺激情報が入ってきている。一つは、堺からのルートである。あの時代の河内平野の陸地・川・湖の詳細情報が入ってきた。最も信じている逃走路ルートの矛盾疑問点を解消出来る、なるほどとうなずく内容であり、十分確認していきたい。もう一つは、古文書を詳細に調査・分析・研究されている方の伊賀越え仮説である。少しでも真実に近づくためには、このような情報を精査していかねばならない。いずれにしても、面白くなりそうである。
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