知識は永遠の輝き

学問全般について語ります

科学的方法とは何か? 序-1 正しさの根拠

2019-07-14 07:03:16 | 科学論
 世界を科学的に知るためには、言い換えると科学的真理を知るためには、科学的に正しい方法に従う必要があります。通常は、科学分野に属する個々の学問を学ぶ過程で、個々の学問の中での科学的方法というものも学びます。例えば日本の場合、中学高校で数学・物理・化学・生物・地学の基本は学びますから、これら自然科学系学問に共通する科学的方法というものも知ることになります。そして普通に自分で考える人間ならば、このような方法というものは「確かに真理を知るための正しい方法だな」と納得したはずです。「先生が言ってたから正しい」とかいう根拠で正しいと考えている人は・・・・、まあいるかも知れませんね。人のことは本当にわかりません。

 でも「なぜそれが正しい方法と言えるのか?」「それが正しいと考える根拠は何だ?」と正面から問われると、なかなか答えるのは難しいものです。また、科学的方法というものはどこまで適用範囲があるのか? 歴史的にはどのように進歩してきたのか? というのも、なかなかに難問です。このシリーズでは、このようなちょっと基礎的なテーマについて書いてみます。数学における数学基礎論のような[*1]、科学に対する科学基礎論といったテーマと思えばよいでしょう。

 科学哲学という学問分野があります。多くの自然科学系の人達(敢えて専門家とは限定しない[*2])にとっては、哲学というとなんだか観察できる事象から離れた形而上学的考察ばかりするように思えて、余計なものに思えるかも知れません。またトーマス・クーンによるパラダイム理論の行き過ぎで「科学理論は科学者たちの社会活動の結果(だけにしか)過ぎない」などという極論が出回って、科学哲学というものにアレルギーを起こした人もいるかも知れません。

 クーンの仕事は、社会の中での科学者集団の活動の実態を調べる、という、いわば社会学とか一種の民族学とかに入るテーマの研究だと思います。2017/1/29の記事で紹介したラトゥールの仕事もそうです。

 科学哲学の別のテーマとして、「いわゆる科学的方法の正しさの根拠は何か」という問題を解き明かすというテーマがあります。例えばカール・ポパーの「反証可能性により科学理論を判断する方法」などがそうです。こちらのテーマは自然科学系の人達にも重要なテーマだと私は考えます。「何を根拠にそれが正しいと考えるのか?」という問いは、そもそもは自然科学すなわち自然の探究そのものです。wikipediaの記事でわかるように、19世紀までの近代科学の始祖達は科学哲学についても真剣に考察していました。

 自然科学の探究において正しいと考えられる第1のことは「(正しく)観察された事実」だということには、多くの人は同意するでしょう。博物学が代表的ですが、多くの自然科学の知見[*3]は(正しく)観察された事実の集積から成ります。そして膨大な観察事実の集積から、法則とか理論とか呼ばれるものが導かれることがほとんどです。例えば、
  ・太陽は毎日東から昇る
  ・生物は親が子を産むことで増える
  ・人間は叩かれると痛みを感じる[*4]

 ここで日常語感だと「太陽は毎日東から昇る」は「観察された事実」と思ってしまうことがほとんどでしょう[*5]。いや日常語感だけではなく自然科学の研究者たちも普通に、「太陽は毎日東から昇る」「水は100℃で沸騰する」「ラジウムは半減期~で崩壊する」などは「観察された事実」として考えています。私だってそうです。

 けれども「正しさの根拠は何か」という問題を深く追求すべき科学哲学においては、ここは区別するべきなのです。最初の例を使えば、「観察された事実」というのは「太陽は東から昇った。今朝も昨日も、そのずーーっと前の日も。例外はなかった。」というものです。そして、この事実の集積から導かれた法則が「太陽は毎日東から昇る」です。

 すなわち、「観察された事実」は過去形で表現されている通り過去の事実です。しかし法則である「太陽は毎日東から昇る」は未来の事も含めて述べています。すなわち法則とか理論とか呼ばれるものは、未来予測を述べている一面があり、その予測が当たるかどうかで、法則や理論の正しさが判定されることが多いのです。

 むろん無限に続く未来において、いつでも、いつまでも予測通りになるかどうかはわかりません。法則や理論の確認は、ただ現在進行形で日々行われるだけです。そして、これまで予測が外れたことのない法則や理論は、通常は「観察された事実」と同等に扱われているのです。思考の省略というものです。

 いや~~、哲学とはめんどくさいものですね~~(^_^)
 しかしこのように、普段は意識していない思考の省略を暴き出すことは、哲学の醍醐味のひとつではないかとも思います[*6]。

 まとめると自然科学の探究において正しいと考えられる第2のことは「法則や理論が正しいことは、その予測が観察事実として確認されることにより決められる」ということです。そして何回も何回も例外なく予測が的中すると確認された法則や理論は、通常ではもはや「観察された事実」と同等に扱われます。すなわち「太陽は明日も東から昇る」といったようなことは未来の事ではあっても絶対に起きる未来の事実だと考えて、我々は行動しているのです。

 そう、未来の事実を知ろうとする目的は、それにより自分の行動を正しく決めるためです[*7]。「太陽は毎日東から昇る」のような予測を間違えたことなど確認されていない法則による予測である「太陽は明日も東から昇る」といったような予測は、外れることなど考えもしない未来の事実だと考えて、我々は行動しているのです。なにしろ「電車は毎日定時には駅に着く」などという太陽などよりも予測精度の悪い法則でさえ、日常的に絶対に起きる未来の事実だと考えて行動しているくらいですからねえ(^_^)。


続く

----------------------
*1) 日本語版wikiにはほとんど内容がないが、色々な用語へのポータルにはなっているから参考にはなる。
*2) 専門家というと普通はある分野を職業としている人を指すが、そこまで深い知見に至らずとも基本的な自然科学の知見を学んだ人ならば自然科学系の人と呼んで構わないだろう。
*3) 知識だけではないというニュアンス
*4) 根拠となる事実の観察に、ある種の困難があることに注意せよ。人間を他の動物に置き換えてみれば、わかるだろう。意識の研究などにも通じる困難である。
*5) 他の2例も同様だろう。
*6) 推論過程の省略という方が実態が分かりやすいかもしれない。この行為を哲学と呼ぶのは少し変な語感にも思えるが、哲学において常套的な行為、または思考方法であることは確かだと思う。
*7) 脳という器官により未来予測能力を手に入れた生物は適応力が高まったとも解釈できるだろう。それゆえに多くの動物では脳が進化したのだとも。


----------------------
Ref-1) 戸田山和久『科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス) 』(2005/01)
    科学哲学入門として一番スタンダードでとっつきやすいかも。
Ref-2) 内井惣七『科学哲学入門―科学の方法・科学の目的』世界思想社 (1995/04)
    Ref-1より本格的。科学的方法論の発達の歴史がわかる。
Ref-3) 内井惣七『シャーロック・ホームズの推理学 (講談社現代新書)』(1988/11)
    楽しく読めるが深い。科学の方法論を認識したいなら、これが一番かも。
Ref-4) 伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』名古屋大学出版会(2003/01)
    読んでませんが、いわゆる疑似科学に対処するテーマのようです。
Ref-5) ロビン・ダンバー『科学が嫌われる理由』青土社(1997)
    科学哲学分野などでの科学に対する詭弁的攻撃を吹っ飛ばせ。Ref-1~4にはない認知科学の知見からの科学論も読みどころ。表題通りに、科学オタクではない人の多くが科学を苦手としたり、時には不信感を抱いたりして疑似科学にはまる心理の推測も書いてあり、いわゆる科学コミュニケーションにも参考になる書物である。
Ref-6) ロジャー・G・ニュートン『科学が正しい理由』青土社(1999/11)
    たぶん同上。まだ読んでいません。ただ、扱っている「科学」の範囲がとても狭いという評価も読んだことがあります。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マンボウは合成魔獣 | トップ | 科学的方法とは何か? 序-2 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

科学論」カテゴリの最新記事