東条英機は「10万人の英霊に申し訳ない」で軍人240万人を死なせた
2022/09/09 日刊ゲンダイ 保阪正康 作家
東條の妥協のない戦争への論理は、閣議でも声高に叫ばれ、対米交渉を継続しての解決は無理であることが確認された。近衛を小声で励ます閣僚もいたが、東條の戦争むき出しの言には、恐怖を感じるほどだったとの証言も私は確認した。
なぜ東條はこれほど露骨に対米交渉を壊し、9月6日の御前会議の決定を守れ(すなわち対米開戦)というのだろうか。私は次の世代として、東條の人物像を確かめるために評伝を書いたことがある(昭和57年に刊行)。その取材で東條周辺の人物や海軍、政界、官僚などに数多く会っている。そこで分かったことだが、東條の性格は一本気で、妥協とか譲歩、果ては自省などに欠けていた。
加えて他人と議論する心理的余裕に欠けていることも裏付けられた。自分の属する集団の価値観にこだわり、国家的な視点もないことを周辺の軍人でさえも指摘していた。
東條は近衛内閣の一員として、近衛を支える意思はなく、陸軍の強硬派の意見(自らもそれに賛成だったとなるわけだが)を代弁することこそ、自らの役割だと信じていたのだ。東條は近衛や豊田外相、及川海相らの交渉継続派の説得は、自分や陸軍の考えを否定する行為だと受け止める性格であった。
だから近衛との対話では「ときには清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要だ」と言ったり、慎重な見方に傾く近衛に「性格の相違ですなあ」と言ったり、国事の重要事を話し合っているにもかかわらず、個人的な性格で事を処理しようと試みていたのであった。
中国からの撤兵について、東條は近衛に「10万の英霊の血で獲得した中国での権益を失うことは彼らに申し訳ない」と言ったこともあった。日本の軍事指導者の好む論理であった。しかしここには歴史的な透視図がない。10万の英霊で獲得した権益を守るために、これからもさらに英霊が増えていくのではないかとか、10万の英霊が教えてくれたのは他国の領土を奪うことにこれほどの犠牲を生むのだ、それを教訓とせよということではないか、と考える姿勢に欠けていたことであった。
結果的にどのようになったかは歴史が示している。日中戦争、太平洋戦争で240万の軍人軍属兵士が犠牲になった。実際はもっと多くの戦死者がいたはずであったが、実数は不明である。東條の論理の結果というべきであった。