5番の刺繍糸

趣味の針仕事・庭仕事・料理を中心に、日々のあれこれを綴ります。

パーティーでございます

2009年02月26日 | 建築


先週末、大学の恩師を囲む会に出席する為に、
福岡に行ってきました。( その経緯はこちら )

朝10時前には新幹線の改札を出て、数年振りの街に立ち、
ボストンバッグをコインロッカーに預け、ホテルに入るまでの時間を歩きました。
ああ、まだこのパン屋さんは、朝から行列なんだな...
こういうおかっぱ頭のおばちゃんって、この土地独特の雰囲気だわよね...
あのビルは全部総とっかえで、こんなになっちゃんたんだ...
変わるもの、変わらないもの、忘れていたもの、思い出したもの、
歩調に従って流れていく景色を見ているだけで、色んな思いが過りました。

しばらくウィンドウショッピングを楽しんで、モブログで書いたように休憩もして、
さあ、そろそろ電車に乗ってホテルに向かうぞ!と歩き出しました。
大学の目の前の駅をひとつ越した、隣町のホテルに泊まることになっていたので、
いつも使っていた在来線に乗り、
「 あぁ、こんな駅名だった 」と、途中、確認しながら揺られていると、
車窓からの景色は、どんどん見覚えのあるものに変わっていきました。

大学の図書館に飽き足らず、隔週で通っていた公立の図書館。
唐揚げが名物だった、ディスカウントスーパー。
あそこに行けばみんながいる、楽しくて仕方がなかった我が母校。
そして、大家さんが母代わりになってくれた、私の大事な下宿

実は、その全てが電車の中からありありと見える位置にあり、
こんなことは以前から変わらず、当然分かっていたことだけど、
改めて車窓から見てしまったそのときの私は、
思いがけず急速に胸が高鳴り、赤いリボンで締め付けられるようでした。
酸っぱい果実をかじったような、口の中の痺れ。
路地の先に何かを見ようとする、手の中の湿り気。

堪らんです。



ここのプロフィールにも書いた通り、大学に入るまでに紆余曲折があって、
友人たちから見れば、私は5歳年上の同級生となりました。
「 受け入れてもらえないかもしれない、溶け込めないかもしれない 」
そんな心配は、受験案内を取り寄せた時からありましたが、
例え誰とも口をきかなくても、私は建築をやるんだと腹を括ってました。
当時を振り返って、あの時は本当に心配したと、今でも母は述懐しますが、
それでも有難いことに、蓋を開けてみるとこれ以上にない友人に恵まれ、
充実した幸せな学生生活を送ったのでした。

そして、今日はその友人たちに会える。
先生に会える。



ホテルにチェックインして、荷物の整理なんてそこそこに、
すぐに謝恩会用の洋服に着替え、近くの美容院に飛び込みました。
肘辺りまで伸びたこの髪を、とにかく綺麗にしてもらわなければ。
5時には出席メンバーが私のホテルに集合するというのだから、
果たして間に合うのかという、ギリギリの時間繰り。
結局はオンタイムで乗り切りましたが、
...アハ、明らかに街で時間を使い過ぎましたね。(^ー^;

1人は直接会場に来るという事で、ホテルに集まった面々は4人。
顔を合わせた私たちは、あっという間に当時に戻っていました。
親になった人、独身の人、それぞれちょっとずつ環境は違いますが、
みんな、変わってないねぇ!
本当は、外観なんて変わっていようが変わっていまいが、
どちらでもいいことなのですが、
とにかく、またこうして会話が出来ることが嬉しくてなりませんでした。



会場のホテルでは大きな円卓がいくつも並び、
出席者は優に60名を越えていました。
この謝恩会は、大学の卒業生全員を対象とするものではなく、
あくまでも、いち研究室に属していた学生(毎年4~10名程度)の会ですので、
この人数はすごいことだと思いました。恩師のお人柄そのものです。
また、今年で65歳になられるとのことでしたが、
信じられないくらいにお若く、当時と全く変わらないお姿で、
同席してらした奥さまとは、相変わらず仲睦まじいご様子でしたね。
( 記念品として贈呈した旅行券を大変喜んでくださり、
奥さまと旅行に行くのが楽しみだと、何度も仰っていました。)

恩師は、飄々とした方ですが、
奇を衒うでなく、かと言って、我が道一直線という方でもなく、
私たち学生を、自由にのびのびと見守って下さいました。
お話しされるには、ソフトでユーモアたっぷりで、
それでいて熱心で、愛があって、押し付けでなく、諦めもなく、
恩師自らの人生から滲み出る、爽快な人生訓がありました。
「 そんなことはない。若いんだから、とにかくやってみればいいんだ。
失敗したっていいじゃないか。ボクなんて失敗だらけの人生だ。」
そう言って、にっこり笑ってくださるのでした。
恩師の懐の深い真実は、どんな状況をも肯定し、或いは笑って吹き飛ばし、
そうなると、こちらはどこからともなく勇気が湧いてきて、
案外この状況も捨てたものではないんだな?と思ったものでした。
当時から工学部で一番偉かった先生ですが、その嫌味がどこにもなく、
安心して、私たちは恩師の元に並んでいました。
あのような方を、果たしてこれまで見たことがあっただろうか。
この謝恩会で、改めて恩師の素晴らしさに感銘しました。



さて、2時間ほどで謝恩会が終わり、恩師をお見送りすると、
私たちは場所を移して、2次会に雪崩れ込みました。
皆、後から後から話が溢れ出てくる。
「 今だから言うけどぉ... 」という他愛のない告白もありました。
いずれにしても、爆笑の渦です。
隣の席の合コンと思われる3対3のグループは、
可哀想なことに全く盛り上がっておらず、
私たちを眺めている時間の方が長いくらいで、早々にお開きになっていました。

その後、もう一度場所を移して飲んだ後、午前2時過ぎに解散。
残念なことなのですが、夜11時を過ぎる頃から、
飲んでいる状況って体に応えるようになってるんだなぁ...と感じました。
楽しい会話とは全く別なところで、正直、帰って眠りたい...という気持ちもある。
学生時代との違い=年齢の違いを実感しましたわよん。( ̄∀ ̄;)
帰り道、歩きながらメンバーの1人にそう言うと、
「 分かる、オレだってそうだもん。あの頃のようにはいかんね。」
なーんだ、みんなそうなのか......ちょっとだけホッ......
学生時代には、時間なんて何の足枷でもなかったけど、
やはりこういった部分でも、明らかに時代は移り変わっているようです。


同級生の皆さん、また来年会いましょう。
年1回の同窓会、約束されましたものね。

本当に、行って良かった。
先生、ありがとう。全ては先生のおかげです。







がんばれ!ブルーメの丘

2008年05月23日 | 建築


今日は、滋賀県は日野町のブルーメの丘に行ってきました。
( なばなの里に引き続き、花に貪欲になっています。(笑) )
ここには安藤忠雄設計の小さな美術館があり、
当時、建築の仕事をしていた私はこれが見たくて、
結婚前に夫と来たことがありました。それ以来2回目になります。



入場料は大人800円。
ホームページに行くと割引券があって、平日には600円で入れるようです。
( 私も今知ったので、800円×2で入りました )



ドイツのバイエルン地方をモチーフにした農業公園(日野町運営)で、
お花畑やバラ園、乳搾りやソーセージ作りが体験できるという施設なのです。
しかし、花より何より建物の雰囲気が気に入りました。
旅行した気分で、いくつか続けてご覧下さい。



屋根裏部屋が主役のような建物。
国は違うけど、赤毛のアンの部屋だったら?なんて考えてました。



方形(ほうぎょう)屋根と煙突、手前の塀と植栽が雰囲気ですね。
方形屋根とは、四角錐状の屋根です。



屋根の雨仕舞いが気になりました。「 雨漏りしないかな... 」
けらばも軒も短いのが特徴です。
塀の上には、石が1列だけ並んでいます。
ちょっとしたことですが遣り過ぎない感じがよく、すぐに取り入れられそうです。



ヨーロッパの田舎の、雑貨屋さんか郵便局といった風情。
フラワーボックスに気合が足りんですけどね(笑)、まあ見逃すしかない。



斜めに配置されてる窓が、可愛い。
観音開きの窓、実際は使い勝手良くないけど。
( 網戸が部屋側に設置されます。でなきゃ網戸なし。)



うろこのような屋根。
これ、なんて言ったかなぁ......

 

蔦に覆われた小屋は、思わず書き割りか?と見紛うほど。
こんなひなびたポッティングシェッドが欲しい......



バラを見に行ったんですが、確か同じバラをベタ置きしてる...というか、
ただ点々と行儀よく並べているだけなので、その美しさは発揮されていない
という記憶があって、ほとんど期待はしていませんでした。
例えば、こんな感じ↓ですね。



残念ながら、花の美しさや園内の行き届いた手入れは期待できません。
数年前に行った時には、まだ良かったと思うんだけどなぁ。
収益が上がらないから手入れが不十分、不十分だからお客さんも増えず、
そんな悪循環にあるように思いました。
雑草の生えた公園は、見る方も冷めてしまいます。



私が園内をまわっている間、夫は釣堀にいました。
平日なので人はまばらとは言え、カップル or 家族連れ率は90%以上で、
何で私はこの暑い中、一人で歩いてるんだろう?と可笑しくなりました。



結婚前に来た時は、ふたりで鯉を釣りました。
人もたくさんいて、整備された釣堀だったんですが...
今は荒れていて、時の流れを感じましたね。
男の人はそれも関係ないかもしれないけど、
私は心まで寒々しくなるので、今回は釣りはパスです。

釣り人が少ないのか、魚が擦れてなくて当たりはバンバンあるんだけど、
なかなか合わせが難しいと夫は言っていました。



これが、安藤忠雄設計の美術館。
以前は『赤い帽子 織田廣喜ミュージアム』という名前でしたが、
今では単に『ブルーメの丘美術館』となり、
なんと、無人化・無料化して打ち捨てられた状態になってました。
ええぇーっ、本気で!? これにはショック。これはいかんですよ。
有名どころにわざわざ依頼したなら、“ものを大切にする”という普遍の行為に付け加え、
そのスタイルと意思と命とを、大事に守る義務がありますよ。

展示室に人工照明を持たず自然光のみで展示物を見せ、
日没と共に閉館...という精神を持つ建物だったのに、今では美術館の体もなしてない。
これでは、建てた方(職人)も立つ瀬がないなぁと思う訳です。
安藤氏のコンクリートは、型枠の材や釘の位置にまで事細かに注文が付き、
単純な1枚の打ち放しの板が、非常に美しく端整な顔を持ちます。
安藤氏もさることながら、当然、職人も必死になってやる訳ですよね。



今でも、安藤忠雄の壁は美しいです。光が美しいです。
それだけに、とても寂しくなりました。
町が運営している施設ですが、どうにかなりませんか?
中の写真も一応撮ってきましたが、ここには載せないでおきます。

かつての私のように、安藤忠雄の名前でこの建物を見に来る人がいると思いますが、
どんなにか、がっかりするでしょうね。
わざわざ見に来るには、その価値がなくなっています。やめておいた方がいい。



夫の釣りが20~30分の予定だったのが、延長が掛かりましたので、
その間、売店でソフトクリームを食べていました。
なにせ、休める日陰がないんですよ。休憩に丁度いいカフェもなく...。
建物はたくさんあるのに、上手く活用できてない気がしました。
長く居られる環境づくりを!



休日には、人も多いのかな?
なばなの里は、平日でも団体のバスが入ってお客さんがたくさんいました。
がんばれ、ブルーメの丘!



一番端っこの池から、向こうのバラ園方向を見る。



ちょっと日本じゃないような景色が広がります。
馬がいるの、分かりますか?
羊もいて、牧羊犬が追い込む様子もちょこっと見られます。



ヤギって受け口で、ちょっとひょうきんな顔。
私を見て、笑ってるみたい。



ショップの窓から、ツバメが中に向かってものすごいアピールしてた。
翼をバタバタさせて、何があったんだろう?

建物の外観は、ドイツ圏の雰囲気を出していると思います。
こういうタイプの家を建てたい人には、参考になることが多いのでは。
瓦の使い方、勾配、軒の出。窓の大きさ、配置、バランス。外壁の素材、色、質感。
前回は美術館が目当てで、あまりこういう建物の印象が残ってないけど、
今回は、この建物が救いだったかな...(^ー^;

でも、よく考えると、こういう雰囲気の農業公園なのに、
なんで、安藤忠雄の打ち放しコンクリートの美術館だったんだろう。
ここだけ、ものすごい異質。これは前回も感じていました。
98年5月に建ったもので、ちょうど今年で10周年。
返す返す、残念だなぁ。

陽射しのせいで、顔が火照っています。
化粧水も少しヒリヒリしたので、パックをしてこれを書いてました。
あーあ、更なるお肌の曲がり角が恨めしい!







ぜんざいでまったり...建築でまったり...

2008年01月15日 | 建築


また、夫がおぜんざいを作ってくれたので、
今日はひとりで、テレビで『あしたの喜多善男』を見ながら、まったりと...

こんな美味しいものを、こんな時間に食べて、
私はいつまで起きてればいいんだろか。ヤバイヤバイ。( ̄∀ ̄;)

ここのところ、やたらと忙しくて手づくりがなかなか進みません。
早く、ここでご紹介したいんですけれどね。
でもまあ、本業は主婦なので、様子を見ながら頑張りまっす。



ひとつ前の記事、「図書館の休日とは」で使った、
東京国立博物館の法隆寺宝物館の他の写真です。
谷口吉生(たにぐちよしお)さんが設計し、1999年に出来ました。
ここここでプロフィールと作品の一部が見られます。



彼の作品は、実際にはこれしか見たことがないので、
この建築一点に限ってしか言えないのですが、
とても几帳面に、華奢に、出来ているという印象です。
外も内も、とても軽やかです。
それは、多用されたガラスや細い柱、薄い壁といった具体的要素以外にも、
なにか、建築家の伝える一定の温度というか、
この地点を気持ちいいと思う、建築家のバランスがあってのことだと思います。
その証拠に、展示室は(確か)窓がなくダークな色使いでしたが、
それでも、どこか感じるものは同じ軽やかさでしたもの。
整然と並ぶショーケース。質量があって重量を感じさせないというか。

主張は、薄いんです。
いや、薄いから、それが主張と言うべきか。
でもだからと言って、単なる無機質ではない。
縦の線を多用していることもあって、細く淡い蔓植物のような、
有機質の生命感。

もう随分と昔のことなので、
その時の感覚を手繰り寄せながら書いてみました。
建築評論ではなく、建築探訪の感想文ですので、
その道の方がいらっしゃっても、どうかご容赦を。(笑)




おっと、これは!

2007年12月12日 | 建築


CDにバックアップしてあった、昔のデジカメデータを見直していた。
そうしたらば、大学の卒業設計の模型写真が出てきて、懐かしい。(´c_` )ホー

ささくれた大人が鼻で笑おうと、学生お気楽論を説こうと、
幸いにして入学した時から「ここが居場所」という舞台の確かさを得、
そしてもうひと山、3年からのゼミで集まったメンバー9人がめちゃくちゃ楽しくて、
来る日も来る日も飽きずに一緒にいた、あの湯気の立つような日々。

研究、実験、製図、模型作り...
(麻雀、飲み会、ドライブ、旅行...?)

どんな牌を持って何の手で待っていたのか
......じゃなくて
どんな夢を持って何を求めていたのか、
顔を思い浮かべるだけで溢れてきて、
あんなに充実した日々は奇跡じゃないか。
今でもそう思います。




さて、写真の卒業設計は、ゼミの仲間を誘い2人で取り組みました。
JW CADを一から覚えて図面を描き、模型をいくつも作り、
黒い布を敷いて床と壁の境を消し、デスクライトで下から光を当て中を透かしたり、
失敗作も含め、おびただしい数の写真が残っています。

バイト先の設計事務所のプロッター(点でなく線で出力するプリンター)で、
なかなか上手く出力できず、ほんのりキレながら徹夜で調整したことは、
今思い出しても若気の至りで、顔が熱くなりますね。(〃_ _)σ゛

でも、この卒業設計で賞をもらい、その筋の本にも載っています。
おっと、これは! 自慢かな。(笑)