久々にある人の講演会に言って来た。そのある人とは、勝間和代さんである。
以前もサザンシアターで決算書の内容で出席して依頼だ。
内容は、全て彼女の著作を読んでいれば、いいわけであるが。生で講演を聴くといのは、それ以外に刺激があり、何かを始めようというきっかけとしてはとってもいい。
今夜もいろんな事を考えさせられ、心地よい頭脳のストレッチになった。会場に来られた方もそうなんじゃないかあ。チケットは完売で、おそらく女性が多かったではないか?とも思う。
冒頭に、ディスカヴァーの社長さんが挨拶。本人を生で観るのは、初めてだったが、やっぱり活発さが感じられて良かった。過去の著作もそうだけど、日本の女性たちに元気になってもらい、もっともっと自分たちの人生を「積極的に生きて」という事をメッセージにしているし、そのためのきっかけ作りや支援を、出版を通じて行っているような出版社で、とても気持ちよい。
勝間さんは、途中、蠅の襲撃にもめげず、講演を続ける。楽しめた。やっぱり毎回思うが、積極性、主体性という事の大切さも感じたし、物事をどう受けれて、それを自分にどう活かすか?という事も考えさせられた。
私はこういう事を、常にサッカーを通じて考えたりする。
人間は何をきっかけにして、新しい「何か」を得るかはわからない。しかし興味や活動の向かう先だけを、ある程度明確にする事によって、軌道修正しながら、命ある限り活動する者であるかもしれない。
それを私は今夜、勝間さんの講演と、サッカーの試合を通じて学んでいる。
今回も、手帳のメモにいろんなエピソードやなるほどという文面が並ぶ。
「0,2%の法則?」だったり「ほめあい同盟」だったり。
自分で言葉を作る人は、考えている証拠である。概念を言葉という器に入れる。言葉の数だけ、いや単語の数が多いだけその環境では、文化が成熟しているというような文化論を読んだ事があるが、やっぱり自分で言葉を作るのは、良い事であり、積極性の現れだと思う。
では、大宮アルディージャは、まだまだインプットとそれに伴い行動をし、
結果を観測する段階なんだろうかあ?
今回の講演内容は、自立というのがひとつのテーマであり、それを直球で聞いていた質問者もいたが、大宮アルディージャにとって「自立」とはなんだろうかあ?というのも頭を過った。。。
勝間さんいわく、コントロール権(選択権)をリスク因子によって削除されたくないための方向性?とでも言えるのだろうか?
コントロール権。選択権。ともに主体性が大事であり。対局になる、依存性より可能性が高い状態。アルディージャのサッカーも「ポゼッションサッカー」というスタイルを取るが、勝間さんの話しは人ごとではないように思った。
主体的なサッカーをするという事の難しさ。しかし方向性は間違っていないし、崇高といえば、皮肉か?という突っ込みが来そうだが。少なくとも私の性分には、アルディージャが目指すは合っている。主体的なサッカー、それを構成するために、体現するために選手個々人は何が必要なのか?どういうスキルアップがあるのか?気持ちだけでなく。。。
たかがサッカーであり、勝間さんとは関係ないかもしれない。
しかし私にとっては、されどサッカー。
主体的とは何か?成功とは何か?何が満足度なのか?そのための方策は何か?
その主語をサッカーにとって、アルディージャにとってとしても、別に変じゃない位に、今日はいろいろ考えが巡り、「きっかけ」がいっぱい鏤められている小粋な時間であった。
以前もサザンシアターで決算書の内容で出席して依頼だ。
内容は、全て彼女の著作を読んでいれば、いいわけであるが。生で講演を聴くといのは、それ以外に刺激があり、何かを始めようというきっかけとしてはとってもいい。
今夜もいろんな事を考えさせられ、心地よい頭脳のストレッチになった。会場に来られた方もそうなんじゃないかあ。チケットは完売で、おそらく女性が多かったではないか?とも思う。
冒頭に、ディスカヴァーの社長さんが挨拶。本人を生で観るのは、初めてだったが、やっぱり活発さが感じられて良かった。過去の著作もそうだけど、日本の女性たちに元気になってもらい、もっともっと自分たちの人生を「積極的に生きて」という事をメッセージにしているし、そのためのきっかけ作りや支援を、出版を通じて行っているような出版社で、とても気持ちよい。
勝間さんは、途中、蠅の襲撃にもめげず、講演を続ける。楽しめた。やっぱり毎回思うが、積極性、主体性という事の大切さも感じたし、物事をどう受けれて、それを自分にどう活かすか?という事も考えさせられた。
私はこういう事を、常にサッカーを通じて考えたりする。
人間は何をきっかけにして、新しい「何か」を得るかはわからない。しかし興味や活動の向かう先だけを、ある程度明確にする事によって、軌道修正しながら、命ある限り活動する者であるかもしれない。
それを私は今夜、勝間さんの講演と、サッカーの試合を通じて学んでいる。
今回も、手帳のメモにいろんなエピソードやなるほどという文面が並ぶ。
「0,2%の法則?」だったり「ほめあい同盟」だったり。
自分で言葉を作る人は、考えている証拠である。概念を言葉という器に入れる。言葉の数だけ、いや単語の数が多いだけその環境では、文化が成熟しているというような文化論を読んだ事があるが、やっぱり自分で言葉を作るのは、良い事であり、積極性の現れだと思う。
では、大宮アルディージャは、まだまだインプットとそれに伴い行動をし、
結果を観測する段階なんだろうかあ?
今回の講演内容は、自立というのがひとつのテーマであり、それを直球で聞いていた質問者もいたが、大宮アルディージャにとって「自立」とはなんだろうかあ?というのも頭を過った。。。
勝間さんいわく、コントロール権(選択権)をリスク因子によって削除されたくないための方向性?とでも言えるのだろうか?
コントロール権。選択権。ともに主体性が大事であり。対局になる、依存性より可能性が高い状態。アルディージャのサッカーも「ポゼッションサッカー」というスタイルを取るが、勝間さんの話しは人ごとではないように思った。
主体的なサッカーをするという事の難しさ。しかし方向性は間違っていないし、崇高といえば、皮肉か?という突っ込みが来そうだが。少なくとも私の性分には、アルディージャが目指すは合っている。主体的なサッカー、それを構成するために、体現するために選手個々人は何が必要なのか?どういうスキルアップがあるのか?気持ちだけでなく。。。
たかがサッカーであり、勝間さんとは関係ないかもしれない。
しかし私にとっては、されどサッカー。
主体的とは何か?成功とは何か?何が満足度なのか?そのための方策は何か?
その主語をサッカーにとって、アルディージャにとってとしても、別に変じゃない位に、今日はいろいろ考えが巡り、「きっかけ」がいっぱい鏤められている小粋な時間であった。
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