AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

育った環境からの影響に今更気づく

2023年11月20日 | 人との関わり(愛とか)
このことは、
友人から度々言われきたことだけれど、
いつも「うん、そうだよね」くらいにスルーしていました。


言われてきたこととは、

「女子校に行ってた人って・・・」


という下りから始まるものだったのですが、


今日の午後、カレーを作りながら、
ついにそれがガツン!と、
まるで覚醒か!というような形で、
今更ながらハッとしたわけです。


私は、
幼稚園は男女共学でしたが、
小中高と女子校でした。


この「12年間、周りに女の子しかいない」
(兄弟がいたとしても)
というこの「不自然な世界」が
いかに今の自分を形作ったかにおいては、
多大なる影響はあるとは思っていましたが、
本当には分かっていなかった。


そりゃ、当然だ。
女の子しかいない世界が普通となっていたから、
そうじゃない世界がどうだか、なんて
分かりっこないわけです。


今もそうなのか、
とにかく「昭和のお嬢様学校」と言われた所で、
めでたく「お嬢様な私」というのは作り上げられたのでありましょう。


いや、自分の母校をディスるつもりはなく
そのお陰で身につけたこと、
学んだこと、
たっくさんあるのです。


けれど。


その女の子しかいない環境で、
そういう環境だったからこそ、
今一度、学び直さないといけないことがある、
そのように今日、ようやく気づいたのです。


学び直すことは可能かどうかはともかくとして、
少なくとも、
「大幅に視野が限定されている」ということに
気づかなければならないと。



小中高と女子校、
高2の時にアメリカに一年留学しましたが、
もちろん男女共学のパブリックスクールでしたが、
生きるのが精一杯でありました。

大学はボストンにある音大に行きましたが、
もちろんそこも男女共学でありましたが、
大学ですから「ホームルーム」があるわけではなく、
それぞれ教科で面子は全然違うし、
早いところボーイフレンドができてしまったが故、
私の日々は「練習」か「ボーイフレンド」か
たまに「友達」という感じでした。


そんでもって、
当時は女子生徒がとても少なく、
余談ではありますが、
私の人生の最初で最後の超モテ期になってしまったので、



要は、
いわゆる「男女共学」「男女共存」というものを
「自然な形」で経験することなく大人になりました。



帰国しますと、
音楽なんて学んでしまったので、
男女が共存する会社などに就職するわけもなく、
そのままフリーのプロ歌手としての道を歩み始めたのでした。


バイト先などで、
すんごい良い仲間たちに恵まれ、
みんなで毎週のように朝まで飲んだりとか、
1年だけ通ったアクティング・スクールの仲間も楽しくて、
本当に男女共に、たっくさん遊んで楽しい時間を過ごしたりして、

「多少は」男女共学的な経験もしたのですが、


やはり「12年間@女子校」の影響というのは、
そうそう払拭できるものではありません。


どういう影響かというと、


「普通に男女が混ざって存在し、
色々な人たちがいて、
ごく自然な男女間の友情とか、男女間の恋愛とか、
そういうのを目の当たりにしたことがない。」


ということです。


そういう自然な場所において、
色々な男性がいて、
色々な女性がいて、
それは当たり前なことであり、
色々な言動、色々な思いがあり、
そういう中で自分を知り、
他人を知り、
そういう中で、
男性を知り、女性を知り、
もしくは男女を超えて人間を知り、

という経験がほぼ皆無である、ということです。


それがどんな風に、
年月が経った今の自分にさえも、
どんな影響を及ぼしているか、
というのにやっと気づいたのです。



私の男性や、女性に対しての視野が狭すぎる。


小中高と、頭の中は
どちらかというと「おませさん」であり、
男性(男の子)の存在というのは、
やたら意識していましたが、
いかんせん私のその頃の人生には
男性と言えば、父と弟、おじいちゃんたちしかいなくて、
男の子と言えば、当時の「昭和の少女漫画」に出てくる男の子しかなく、


「恋に恋する」道、まっしぐらでありました。


男の子に興味があり、
恋したい!という青春時代爆発の私は、
「本物の男の子」に会うとなると、
男子校の文化祭に夢と希望を抱いて突進する、笑、
そんなようなものでした。


そんな努力の結果(?)
男子校チームと合コンやったりなど、
「本物の男の子」体験をした・・・
つもりであっただけで、


その頃の私にとっては、
いつまでも男の子というのは少女漫画の世界の存在であり、
例えリアルに知り合ったとしても、
今思えば、それが本当に「リアルだったか」と言えば、
私の頭の中では決してリアルなものではなかったでしょう。

それは自然なものではなかった。


そうやって、
男子という存在がやたら特別な存在であり、
同時に、女子というのもやたら特別な存在であり、

故に、
男子、女子、という、どこか混ざり合わないような、
もしくは混ざるのであれば、それは「恋愛」ベースであり、



それ以外の、
もしくはそれ以上の、
人間としての本質のようなものへの見解が
やたらと狭い、というのが、
自分に対して思うところです。



そうは言っても、
大人になって、
ここまで生きてきて、
色々経験してきましたから、
あの時のような幼稚さというのはないにしても、


やはり多大な影響はあったと、
今になって思うのです。



あ、でも、
女子校に行った人がみんな私のようになるということでは
決してないので、誤解のないように。

あくまでも
私の場合はそうである、そうであった、ということです。



一体なぜ、今日の午後のカレーを作ってきた時に、
そんなことを思い出し、
初めてハッとしたのか、
その理由は分かりませんが、


少なくとも、
そんなことに気づけたこと、
自分の男女に対する視野の狭さ、
ということに気づけたのは、
随分と進歩したなと思えるのです。



視野の狭さに気づけたということは、
ここから広げることができるということ。
これまでとは違う観点から見ることができるということ。
そういう練習ができる、ということです。



視野の狭さから起きる誤解を解けるということ。



そして、
どんな環境で生きてきても、
それは家庭であれ、両親であれ、学校であれ、
私たちは誰もがある種の「型」にはめられる。
そこからどんな観念を刷り込まされたとしても、


その観念自体は、「本当のまっさらな自分」とは別物ということ。



条件や観念は外側から刷り込まれるものであり、
私のようにあまりにそれが当たり前で
気づくことに長い年月がかかることがあっても、
「あれ?」と気づいた時に、


じゃあ、本当のまっさらな自分って?

と改めて問うことができる。


そして、
そのような条件や観念は今の自分にまだ必要だろうか?
新しい観点を持ってもいいのではないだろうか?
それはどんなものだろうか?
どうやって学び直すことができるだろうか?


と問うことができる。


もちろん、
12年間の女子校育ちだけでなく、
家庭環境や両親とか、
そのほか色々な要因はたくさんあるのでありましょうが、



一つ、こうやって気づき、
疑問を持つことができたということは、



新しい選択肢が目の前に現れる、


そういうことだと思うのです。


そうやって、
気づき、
不要なものを捨て、
本当のまっさらな自分に相応しい、
新しいものを迎えてゆく。



それも
人としての進化のプロセスの一つであり、
まだゴールではなく途中ですけれど、


今日は大きなヒントをもらえたな、と思っています。


それに今日のは気づいたと「思った」だけで、
この先にまた別の気づきが待っているのかもしれない。

なので今日の気づきにもまた、執着することなく、
常に新たな気づきや展開にオープンでいよう、
そのように肝に銘じるのであります。




こういうの、憧れてたかも、笑。
「憧れる」ってこと自体がどうなのよ?
これが自然なのにね。




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