deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

16・佳作

2019-10-03 09:35:09 | Weblog
 不思議な夜だった。いつも通りに、いつもの酒場に立ち寄ったのだ。イングレインには、いつも通りの仲間たちがいて、いつも通りの各々の席で飲んでいる。オレもいつも通りの席に座る。なのに、なにかが違う。尻を据えてみると、はて、おでこのすぐ上に、なにやら奇妙なものが浮遊している。
「なに?これ」
 カウンター席に座る客の頭上には、コンクリート打ちっ放しの左右の壁から壁に、太いパイプ管が横切っている。夜な夜な「ジェリー」ちゃんが駆け抜けるこのパイプから、銀色に光るサッカーボールほどの丸い物体がぶら下がっているのだ。オレの席の真上にだけ、だ。ふと見上げれば、その物体から、ヒモがちょろりと飛び出ているではないか。
「引っぱってみて」
 妖怪のようなママに促される。指先でヒモをつまみ、ぐいっ、と引くと・・・もうおわかりだろうが、玉は左右まっぷたつに割れ、メッセージの書かれた垂れ幕が現れた。そして、色とりどりの紙吹雪が降りかかってくる。周囲からは、クラッカーのけたたましい音。
 ぱん、ぱん、ぱん・・・
「杉山くん、デビュー、おめでとう!」
 垂れ幕に殴り書きにされた言葉を、仲間たちが口々に投げかけてくれる。スピリッツ賞の佳作受賞への祝いの言葉だ。銀色の丸い物体をよくよく見ると、ふたつのザルを貼り合わせたものだ。それにアルミ箔を張って見栄えをよくし、くす玉にしたわけだ。このどうしようもない仲間たちが、こんな粋なサプライズを用意してくれていたとは・・・
 さらに驚かされることに、ママがボロボロのラベルの貼られたシャンパンを開けようとしている。この店に一本きりの大スター、カウンターの向こう側の飾り棚で燦然と輝いていた、ピンクのドン・ペリニョンだ。確か店のメニューでは、ン万円・・・となっていたものだ。
 ぽんっ・・・
 本当に抜かれた。どういうことだ?まさか、ニセモノ・・・?
「まあまあ、今夜は特別だから」
「みんなに振る舞ってよ」
 周囲からシャンパングラスが差し出される。どうやら本物らしい。まさか、この支払いはオレにまわってくるのでは?・・・おびえ、訝しんでいると、しかしそういうわけでもないようだ。
「ひょっとして・・・」
 やっと気づいた。みんなのキープボトルのネックから、賭けの勝ち金が消えている。毎夜のように金を出し合い、勝った者が総取りにして、ボトルの首輪におみくじのようにくくりつけていたものが、どのボトルからもそっくりと消えているのだ。それをかき集め、ピンドンを入れてくれたにちがいない。ぎゅっと胸が詰まる。
「いやあ・・・でも、まあ、佳作ですから・・・」
 しかし、みんなも佳作の価値を知っている。マンガの新人賞は、第一席が「入選」100万円で、第二席が「準入選」50万円、そしてその次が「佳作」30万円、「奨励賞」10万円・・・という順列になっている。ところが、特等である入選作が出るところなど見たことがない。この最高賞は、明らかにお飾りだ。そして、数年に一度程度の飛び抜けた作品に送られるのが準入選、という位置づけで、すなわち、実質の一席は佳作ということになる。そんな裏事情は、マンガ好きなら誰もがお見通しなのだった。この受賞は、きちんと慶んでいいことなのだ。
 オレは達成感と幸福感に酔いしれた。ところが、そこに冷や水を浴びせるような事実が発覚した。今回の新人賞では、佳作の作品が二点ある、というのだ。ようやく得た地位が薄められるようで、これは内心穏やかなものではない。雄二名が並び立っては、露出も半分にされてしまう。スピリッツの受賞発表号を開くと、オレはもう一点の佳作作品を描いた「三田紀房」というこっぱ新人の名前を睨めつけた。その野暮で垢抜けない作風を見て、まさかこの人物が「ドラゴン桜」などという大ヒット作を世に送ろうとは、思ってもみなかった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園