deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

78・新入生的タイムテーブル

2018-12-16 08:45:17 | Weblog
 彫刻科1年部屋では、退屈な基礎練習がはじまっている。粘土でお顔をつくりましょ、的なやつだ。担当講師のダイジローはのんきなもので、なにを教えるでもなく、アトリエ内をウロウロと歩きまわるだけだ。抽象の木彫が専門らしく、塑像の素養が乏しいのかもしれない。ともかく新入生たちは、無言で向き合った同級生の顔を、粘土台の上に写し取っていく。オレの相方は、タヤちゃんという、愛嬌はあるが、絶世の美女とは言いがたい女の子だ。アップにされたおでこの膨らみをつるつるに処理しながら、これでは高校時代と一緒ではないか、とあくびをこらえきれなくなってくる。すばらしい高度専門教育を期待していたのに、拍子抜けだ。かつて通過してきた時間を再生しているようで、あまり面白い授業ではない。が、延々とこんな日々がつづく。
 午後には学科の授業があり、各講義室に移動だ。美大とは言っても、卒業をするには一応は英語や数学の単位が必要なのだ。そうそうたる顔ぶれの教授陣は、お隣の旧帝大・金沢大学からの借り物なので、逆にこちらは本物の高度専門教育を受けることができる。が、その授業内容は本物すぎて、美大生のスカスカな頭にはまったく理解できない。倫理学、物理学、心理学・・・ちんぷんかんぷんだ。おそらく教授陣は、かの賢き金沢大学で行う本番の講義の発声練習でもするくらいの心持ちで、美大にやってきているにちがいない(小遣いも出るし)。そんなわけで、まともに出席する生徒は少ない。講義室は、信じがたいほどにスカスカだ。代返が横行し、それがバレようがバレまいが、生徒たちは気にしないし、先生たちもまた頓着をしない。先生たちの発声は極めて淡々かつ一方的で、自分の講義を聞いてもらおうとすら思っていないようだ。あきらめきっているのだろうか?いや、オレたちはこの黙認を、こう解釈をする。聡明な教授陣はこう考えてくれているのだ。美大生よ、学業よりも制作活動をせよ、と。水中を自由に泳ぐ魚に、陸上での歩き方を教えたところで、聞く耳を持つまい。それは、無駄、なのだ。つまりまあ、それほどまでに意味のない時間なのだと、双方が理解しているのだった。
 退屈な午後のお勉強時間が終わると、放課の校外活動となる。先輩たちによる酒の洗礼を受けた新入生たちの中で、見どころありと認められた者、そして酒飲みの才能を見込まれた者は、街の酒場に連れ出されるのだ。「ブラック&ブルー」というカウンターバーは、ブルースギタリストのマスターと、歌姫のおねえちゃんがふたりでやっている、底辺層向けの安酒場だ。コンクリート打ちっ放しの店内は、真っ暗と言っていいほどの薄闇で、大音響のロックが流れている。タバコの煙がくゆるよどんだ空気が立ち込め、18のぼっちゃんには場違いな、オトナな雰囲気だ。芝居や舞踏をしている連中や、バンドマン、美大の中でも洗練された荒れ方の人物たちがたむろをしていて、優雅な頽廃感がある。しかし、気後れしてはいられない。オレはここで、強い酒の飲み方を教え込まれた。I.W.ハーパーというバーボンには、こんな宝石のような酒が、と目をチカチカさせられ、タンカレーというジンには、こんなかぐわしい酒が、と頭をくらくらさせられる。だけどそれら高価な酒は、仕送りとバイト生活のオレには高嶺の花だ。そこで、最下級の安酒、となる。一本2000円としない「ギルビー」というひどいジンを、ボトルからちびちびとやる。背伸びをしてちょこちょこと通い詰め、チャージ料金の500円のみで、いつまでも長居をする。そして、カウンターの中にいる、あるいは隣に座った大人物の話に耳を傾ける。先輩たちにそそのかされ、そんな無頼で豊かな文化を覚えはじめた。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園