deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

58・プロジェクト・Aが

2012-12-11 21:30:56 | Weblog
 秋口に開催される文化祭に向けて、さて今年はどんな企画を?という話し合いが、クラス会でもたれた。まだ春先だ。いくらなんでもそりゃ早すぎるだろ、と思われるかもしれない。しかしこれに先立ち、オレたち「屋上飲酒部(学校側無認可)」内において、すでにひそかにひとつの計画が進められていたのだ。
 この美術科クラスも、はや3年め。今度の文化祭は、高校生活最後となる。思い起こせば、1、2年時。「世界の七不思議」だの「お化け屋敷」だの、アーティスト集団とはとても思えない、文化の香り絶無の催しものに手を出しては、空回りしてしまった。その後、学校に泊まり込んで有志と酒を酌み交わすたびに、その無惨な有り様は話題にのぼり、「誰がそんなくだらないことをやろうなんて言い出したんだ!」と忸怩たる思いにさいなまれる。そして、最後の年くらい、美術科のとてつもない美意識の水準を学内に示すのだ、という決意が、酒に侵された頭にみなぎり渡るのだった。
「俺、こんなもんを持っとるんやけど、どうやろ?」
 キシがある夜、屋上で切り出した。やつがカバンから取り出したのは、8mmカメラだ。デジタルハンディビデオなど、ドラえもんの世界にしか登場しない、昭和時代のことだ。目の前で起きる現象を動画として記録するには、光をフィルムに連続して焼きつけ、それを映写機で回して再生する、という原始的なメカニズムのものを使用するしかない。そしてそれは、とてつもなく高価な品だ。そんなシロモノを、どういうわけかキシは手にしていた。
「どこで手に入れたんや?」
「どうでもえーやろ」
「で、それでなにをするんや?」
「アホか。なにするもくそもないやろ。映画を撮るんや」
 映画を!自分たちで?
 なんと心おどる話であることか。深夜の校舎の屋上で毛布にくるまりながら、血中のアルコールと、キシの語る映画撮影計画の興奮とで、頭の中がぐるぐる回る。このすばらしいアイデアは、必ず実現させなければならない。
 ・・・が、冒頭のクラス会である。
「文化祭の出し物はなにがいいですかー?」
「はいっ!提案があります!」
 いそいそと手を挙げる。キシとオレとを中心としたプロジェクトチームは、深夜の酒盛りで練り上げた映画撮影の企画を、教壇上でプレゼンした。ところが、奇妙にクラスメイトたちはノってこない。クラスの主流派閥である女子たちの腰が重い。「映画なんて恥ずかしい」というのが主たる理由だ。「文化祭とは、研究発表の場なんだぞうっ」なんて堅苦(うっとお)しい男子も出現するし、おまえらマジでゲージツ家めざしとんのか?とどつき倒したくなる。議論は紛糾する。が、もう二度とごめんなのだ、徒労感を残すだけの独善的空回りは。燃焼しつくしたいんだよ。な、キシ。
「みんな、聞いてくれ」
 そこでキシは、一世一代の大演説をぶちはじめた。ひどく稚拙な日本語ながら(やつは残念なことにアホなのだ)、情熱と創作意欲をみなぎらせたなかなかの内容だ。しどろもどろで、たどたどしい。が、その声には力がある。主張も、とにかく心に響くものではある。演説が終わったとき、オレは大拍手を送っていた。拍手をしたのは、オレひとりだったが。まるで総会屋のサクラだ。しかし拍手をためらうクラスのみんなも、断じて言うが、ほだされていた。動かされようとしていた。
 しょうがないわね、だんしめ。
 ま、やらせてみてもいいわ。
 制作費用は自分たちでまかなってよね。
 好きにしなさいよ、お手なみはいけんね。
 ・・・声には出さないが、そんなトーンのやつだ。気がつけば、室温が明らかに上昇している。熱源であるキシのたぎりが、よどんでいたものを突き動かしたことは疑いがない。そこにいる誰もが、心に熱さを感じているのだ。
 まったく、世話の焼けるやつだなあ。
 ふふん、あんたには負けたわ。
 キシはクラスメイトたちに、挑戦という高揚感を植えつけることに成功したようだ。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園