deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

44・専攻

2009-10-07 22:26:05 | Weblog
 「油絵」「日本画」「デザイン」「彫刻」。
 美術科の学生は、2年生になったら、この四つの中から自分の専攻を選ばなければならない。それに先立つ1年生時は、各専攻のお試し期間だ。つまり、一年間に渡って四種類の科目を試行し、2年生進級時にひとつに絞り込むための参考とするわけだ。これと決めたら、高校時代の残り三分の二は専攻科目に没頭することになる。だから、大げさに言えば、そのチョイスはこの先・・・生涯の問題に関わってくるのだ。真剣に選ぶ必要がある。クラスは10人ずつ四つの組に分けられ、三ヶ月交代でひとつひとつの科目をこなしていく。9人しかいない男子も4組に振り分けられ、オレはキシと組むことになった。
 うちの班は、最初に「デザイン」の授業を受講した。デザインは、フリーな自己表現の許される純粋芸術とは違い、合理性から発生する伝達表現といえる。それは、発信者からの一方的な主張よりも、受信者に対する配慮とコミュニケーション技術が優先されるということだ。そのあたりが実にめんどくさい。その上に、定規やコンパスを用いたテクニカルな部分や、色の三原色だの彩度だの明度だのという理屈がたまらなくつまらない。オレもキシも、細かい作業が苦手だ。いや、細密な手仕事、というだけならまだいい。器用さでは負けない自負もある。そうでなく、デザイン科で厄介なのは、守らなければならない作法や約束ごとが山ほどある点だ。「要求が細かい」のだ。この手の決めごとには、まったくへきえきとさせられる。おまけに宿題(課題という)をたっぷりと持ち帰らされる。家で宿題というものをしたことがないオレは、学校の休み時間にちゃっちゃと仕上げたいわけだが、デザインの課題には、こうしたぞんざいさは通用しない。「正確さ」「きちんとした技術」の実現には、休み時間は短すぎるようだ。要するに、やりたいことを好きなようにさせてもらえない。あー、やだやだ。最初に受けた科目がデザインでよかった。この科においては、最初からステだ。やる気がないということもあり、キシとともに、どうしようもない成績をおさめた。
 次の日本画科は、ニカワの生臭さにうんざりさせられた。お行儀よく、きっちりと丁寧に描きましょう、という姿勢も肌に合わない。ステだ。油絵科でも、油と揮発性オイルのにおいに気持ちが悪くなり、くらくらとめくらむ気分を味わった。それよりもなによりも、オレは絵の具を使わせると、ぬり絵のようにしてしまうヘキがあるらしい。画面が扁平になってしまうのだ。自分が絵画系には向いていないことを思い知った。一方のキシは、画面の構成や効果的な色使いを、アホなりの頭でしっかりと把握できている。そちらに進もうと決意したようだった。
 最後に残った彫刻科を、オレは選択することにした。なぜだかわからないが、なんとなく選んでみたのだった。粘土遊びがたのしそう、というだけの理由かもしれない。色の扱いが苦痛、というおのれの弱点から逃げたかったのかもしれない。しかし、人生上の選択で最も重要な基準は、直感だ。とにかく「志望専攻科回答」の用紙提出の際、とっさに「彫刻」と書いてみたのだった。
 2年生になると、オレの身は、希望どおりに彫刻科に組み込まれた。四科のうちで最もメシの種になりそうにないこの専攻は、当然のように人気がなく、このイバラの道を選んだのは、オレの他には女子が3人いるきりだ。将来を見据える多くの者は、就職先が絶対的にアテにできるデザイン科を選んだ。キシは油絵科に進み、純粋芸術家を目指すことになった。しかし、たかが16歳の若僧の判断である。大して深い考えなどない。「将来を見据える」と言葉にすればもっともらしいが、その実は、自分の好きな芸術家の姿を追っかけて、それに近い科にやみくもに飛び込んでみるしかない。「かっこいいから」「あんなひとになりたいから」というのが、選択の第一基準だったにちがいない。
 さて、晴れて彫刻科の作業場に足を踏み入れたオレなのだ。デザイン科、油絵科、日本画科という平面系は、美術棟内に隣り合わせて部屋を持っているが、立体系である彫刻科だけは、独自に「彫刻棟」をあてがわれるという特別な計らいがなされている。別の言い方をすれば、他の連中とはまったく別の場所に隔離されて過ごさなければならない。うす汚れて粉っぽいその場所は、まるでさびれた町工場のようだ。すでに、ほんの少しの後悔がはじまっている。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園