ファンク。
その者が発する、どうしようもなくそうであるもの。と理解している。
かっこいいとかかっこ悪いではなく、どうしようもなくそうである。というコト。
生き様、とも言えようか。そこがいい。
そして日暮里。
コモリンから迸るコモリニズムの塊とも言えた一由そばの、そのファンキー加減が、こっそりと薄れてきている。と感じている。
個人的にはコモリンの一由が好きだったが、それは仕方のないコトだ。コモリンはもう居ないのだから。
じゃあ今の一由がダメなのかい?と訊かれれば、決してそんなコトはなく。
かつて、裏浅草の名店ねぎどんに足繁く通っていた頃、こんな事があった。
女将さんの息子さんがお店を手伝うようになり、揚げ場を担当し始めて数ヶ月経った頃、
常連のひとりが「だいぶいいんだけど、まだまだだなー。お母さんの天ぷらにはまだ敵わないよ(笑)」なんてやりとりしてた。
でも、来る日も来る日もその客はねぎどんに来て、息子さんの天ぷらを食べていた。
なんで知ってるかというと、自分も毎日行ってその常連さん目撃してたからねw
ダメというコトではなく、激励してたんだと思う。
というか、息子さんならではのファンクを感じたかったんだろうな。と今、思うのだ。
数ヶ月では少しばかり気が早い気もするけど(笑)
さて、一由がその最大の武器であるゲソを使った新たなメヌーをドロップしてきた。
ゲソ入り炊き込みおにぎり。
それを次男とゴルフモドキに興じた後のお弁当にしてみた。
なるほどこれまでゲソ天をアレンジし続けたコモリンとはまた違うアプローチ。
揚げないコトで、これまで知らなかったムラサキゲソのしなやかな一面を知り、
新生一由ならではの、少しソフィスケイトされたファンクを垣間見た気がしたのである。
因みにゴルフモドキの結果は、ハーフで18のHCをつけた次男が一打差で勝利。
そう。何事もこれからの人に期待して花を持たせるべきなのよ(笑)
その者が発する、どうしようもなくそうであるもの。と理解している。
かっこいいとかかっこ悪いではなく、どうしようもなくそうである。というコト。
生き様、とも言えようか。そこがいい。
そして日暮里。
コモリンから迸るコモリニズムの塊とも言えた一由そばの、そのファンキー加減が、こっそりと薄れてきている。と感じている。
個人的にはコモリンの一由が好きだったが、それは仕方のないコトだ。コモリンはもう居ないのだから。
じゃあ今の一由がダメなのかい?と訊かれれば、決してそんなコトはなく。
かつて、裏浅草の名店ねぎどんに足繁く通っていた頃、こんな事があった。
女将さんの息子さんがお店を手伝うようになり、揚げ場を担当し始めて数ヶ月経った頃、
常連のひとりが「だいぶいいんだけど、まだまだだなー。お母さんの天ぷらにはまだ敵わないよ(笑)」なんてやりとりしてた。
でも、来る日も来る日もその客はねぎどんに来て、息子さんの天ぷらを食べていた。
なんで知ってるかというと、自分も毎日行ってその常連さん目撃してたからねw
ダメというコトではなく、激励してたんだと思う。
というか、息子さんならではのファンクを感じたかったんだろうな。と今、思うのだ。
数ヶ月では少しばかり気が早い気もするけど(笑)
さて、一由がその最大の武器であるゲソを使った新たなメヌーをドロップしてきた。
ゲソ入り炊き込みおにぎり。
それを次男とゴルフモドキに興じた後のお弁当にしてみた。
なるほどこれまでゲソ天をアレンジし続けたコモリンとはまた違うアプローチ。
揚げないコトで、これまで知らなかったムラサキゲソのしなやかな一面を知り、
新生一由ならではの、少しソフィスケイトされたファンクを垣間見た気がしたのである。
因みにゴルフモドキの結果は、ハーフで18のHCをつけた次男が一打差で勝利。
そう。何事もこれからの人に期待して花を持たせるべきなのよ(笑)
唄のお兄さんです。
ねぎどんのお話。
スゴく分かりやすいです。
常連さんに見守られて後継者が頑張ったり、
後継者の頑張りをみて常連さんが新しい価値に気がついたり・・・。
おにぎりとゴルフ。
イイわぁ。
シャララ、今夜は唄わせてちょうだい。
芯の丸まった鉛筆でリクエストカードを書かせてちょうだい!
一日の生活の中に食がありゴルフがあり唄がある。
それが大衆なのね。
「伝統」のステージに上げてしまったら手遅れなのよね。
で。先程次男に芯の丸まった鉛筆で、唄のお兄さんへ。焼き鳥サンバお願いします。と書かせていただきましたが。w