小沢昭一的ココロのスタイルⅡ

2008-10-12 20:31:21 | こんなンで委員会
 ブルーサルビア


俳優・小沢昭一さん。昭和4年、東京生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。

「考え、行動する俳優」として、その個性は異彩を放ってきた。著書に『私は河原乞食・考(1969年)』『私のための芸能野史(1973年)』『日本の放浪芸(1974年)』『小沢昭一的こころ(1974年~シリーズ化)』などがある。レコード『ドキュメント・日本の放浪芸』がたいへんに話題となる。この人気レコードは、1972年のレコード大賞企画賞を受賞した。

芸能の原点を求め続けて、放浪芸の収集、発掘、記録、保存、著述等の活動を熱心に推し進められた。

1973年以降、TBSラジオの「小沢昭一の小沢昭一的こころ」を現在(2008年)もなお続けていらっしゃるという。

今回のインタビューは「漂泊者たちの滅び行く”放浪芸”を求めて旅した芸人・小沢昭一が、大仕事をやってのけたその後を語る」とのサブタイトルが、上司のイメージであらかじめ決まっていて、不肖私がお話をうかがったものである。

己の勉強不足から満足のいかないデキとなり、小沢さんにも誠に申し訳なかったことだった、と思うばかりであります~・・(反省)

従ってこの件は長年、私の中では封印・忘却の彼方にあったわけです。が近年、作家・岩井志麻子氏の小説によって語られる漂泊者というものに、密かに隠蔽された妖しさ美しさには、妙に気を惹かれるところがあったのでした。

そしてこの昔々のインタビューを思い出し、我々が無意識に目を背けてきたもの、細々ながら脈々と現代まで繋がってきた”漂泊者”という重いテーマを、岩井氏の登場によってイヤでも再確認せざるを得なくなった、という辺りが私の本音に近いのではないかと思う。

なぜ失敗したのかといえば、私のココロが小沢氏及び「乞食(ほいと)」という存在を、受け入れていなかったせいがあるかもしれない。いきなりヨイヨイの話を長々と出した小沢氏に、良い心持ちを抱けなかったのが、彼に丸々バレていたのである。

私のふとした嫌そうな顔を見逃さないで、さらに「ヨイヨイ芸術論」を語り出した小沢氏に、内心で呆れていた私は「それは”芸”などと言えるものなんですか」と思わずツッコミを入れていた。こんなんではマトモな記事に纏まらないのではないか、どうしたものかという不安と不満からであろう。

氏は、予定調和では絶対にモノを言わない人である。他人の度肝を抜くのが、本来の小沢昭一の小沢昭一的スタイルなのだ。


 サルビア


小沢)子どもの時にボクは、「つながり乞食」というのを見たことがある。。

☆どういうものですか?

小沢)夫婦が紐で繋がれているんです。左側と右側の家で、それぞれオモライしていると、紐が横に道路に垂れて・・。そこを子ども達が縄跳びなんかするの。そういうのを子どもの時に見て、何だか知らないけど「あぁ、いいなぁ」なんて思った。

紐で繋がりながら、夫婦でオモライして歩く人生、いい人生だなぁと思ったの。

☆お幾つぐらいの時でしたか?

小沢)幼稚園か、それぐらいの頃です。だから乞食には意外と憧れを持っていたんです。なもんで、うちのカアチャンとつながり乞食をやること、それほどイヤじゃない。イヤじゃないどころか、自分ではわりに気に入った老後であるわけですよ。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ここで、小沢氏が注文した「トルコ式珈琲」が運ばれてきた。よく分らないが、我々も同じものを注文していた。氏の言う「トルコ式」とは、普通の珈琲を薄めてミルクをやたらに入れるだけの話。。単に、苦いのが大嫌いであるそうだ。

珈琲が苦手の私には、少しばかり感謝すべきことであった。幾らなんでもこんなところで、好きだからといって”クリームソーダ”を頼むわけには行かないだろう。

小沢氏はこの日、サーモンピンクのYシャツにノーネクタイ。上にはダークスーツを着ておられた。髪型は・・白いものがなければ、今とほとんど変わらないようである。氏独特のヘアースタイルなのだろうか。禁煙のためなどとオドケて、薄荷パイプを咥えていたものだ。


 ピラカンサスの実
(別名 ときわさんざし<常盤山櫨子>)


☆小沢さんはよく「外道役者」とか「河原乞食」などという仰り方をするようですが。

小沢)近頃、河原乞食という言葉が流行ってきたんです。若い人の間でカッコイイと思われたようなんで・・ボクはすぐに撤回して今は使わないようにしているんですがね。

まぁ、役者というのは元々河原乞食で、世の中からはみ出されて仕方なくやっていたというものなんです、それが本来の成り立ちでして。

その成り立ちを忘れて、まったく新しい役者になるか、本来を守り通すか、どちらか一つしかないと思う。ところがそういうものであると知らない人がいる。ちょっと、ボクは許せないなぁ(笑)

世の中に対して、何か素晴らしいことをしているなんて考えたらオオマチガイで、文化のための芸術とか、何々のためにとかいうのは、たいへん恐れ多いことで。。そういうことは口に出すべきじゃないんだ。

世の中のために~なんて聞くと、ボクは怖気を震うわけですよ。我々役者というのは、世の中を悪くする仕事なんですから。

☆そうなのですか?

小沢)ハダカが世の中に害毒を流す、と言うでしょう。しかし、あれがボクらの本道なんで、そういう性質のものなんですからね。

子供の頃、映画なんか見ちゃいけないと言われました。映画は女子供の見るものじゃなかったの、害毒だから。だが、それをしてお金をとるのがボクらの職業なわけですよ。

☆芸能人というのは憧れの的ではないのでしょうか。

小沢)ぅん、憧れの的でも構わないんですが・・。昔サーカスがやってきて、サーカス芸人に憧れて村を飛び出したとか。村に来た流れ旅芝居に憧れて飛び出して行った、ということがあったわけですからね。

ところがそれを、たとえば母親が子供を芸人にしようとか、父親が娘を芸人にしようとするなんていうのは、ちょっとおかしいんではないかと思います。子供がさらわれない様にするのが、親の役目ですから。

どうもそんな風潮になってからか、ボクらがひと様の胸を打つ仕事ができなくなってしまった。それと、何か繋がっているようだ。それは何故なんだろう、などと考えるわけですよ・・。

☆レコード『日本の放浪芸』が、若者の間で人気になったそうです。

小沢)今どきの若い人っていうのは、不勉強であると同時に不精なんですね。自分でこうね、人に言われたことを疑うってことがないんです。だから皆、ああいったもの(レコードなど)が珍しいんじゃないんですか。

あれを買ってくれた若者たち、買ってくれたんだから悪くは言えないけど(笑)一面では寂しい気がする。自分で探しみたらどうだい、他人の探してきたものを見て喜んでいないでさ、という感じです。

自分一人で、何か他人のやっていないことをしようとか、それを考えようとしないのがとてもイヤですね。それ以外は、ボクは若者が大好きですよ(笑)

☆今後の小沢昭一はどんな芸人となってゆくのか、最後になりますがよろしくお願いします。

小沢)それがね、全く分らない。分らないんで、スッタモンダスッタモンダ、跳ね回ってこう大騒ぎしているんです。来年ぐらいからは分ろうとする方向で、少しずつ仕事をして行こうかなと思っています。

仕事をしながらじゃないと、それは分らないもの。頭で分ってもボクらには意味が無いわけで、分るってことは舞台の上でそういう表現ができたってことが、分るってことなんです。

そろそろ、芸人とは何かを分るようになりたいもんだ、と思いますよ。言ってみれば来年辺りから、やっと小学校へ入学するということでしょうか。


喧騒の喫茶店の、狭苦しい場所で小さな丸テーブルを挟みながら、我々の仕事はこのように慌しく終わった。するとまるで次の目標に立向うかのように、コートを羽織った小沢氏は颯爽とドアを開け出て行き、その後姿は見る間に六本木の雑踏の中に消えていった。


※この↑インタビューは、小沢昭一さんが大活躍されていた1973年のものです。現在においては不適切?な言葉が何度となく出されているかと思いますが、当時のままに載せています。どうぞご寛恕くださいますよう、よろしくお願い致します。



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16 コメント

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小沢昭一的こころ (山裾の人)
2008-10-12 22:11:47
こんばんわ
トーコさん インタビュアーだったんですね。。
たしかこの話にあるレコードとは香具師の口上だったり、バナナのたたき売り?
違いましたっけ??
小沢さんの話は奥が深いですね!!
明日のココロも宮坂オトウサンの本心がご当人から発せられているのように聞いてました。
舞台上の小沢さんしかしらないので判りませんが
きまじめなんでしょうね。

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独白 (オコジョ)
2008-10-12 22:22:15
>自分で探しみたらどうだい、他人の探してきたものを見て喜んでいないでさ

天邪鬼な私は、ここで快哉です。
何々ブームが、通れば、みんな頭右・・・
それにすぐ飽きて・・・

人は、私を変わり者だといいます。
免許も取らない。
冬は家中でファンヒーターひとつ・・・
炬燵はありますが・・・

50年続いている趣味がいくつか・・・
流行は絶対に追わない・・・

自分のことばかり書いて失礼しました。

小沢さんは私より、ずっと高いところで、自分を貫いたのでしょうね。
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山裾の人さんへ (トーコ)
2008-10-12 23:14:07
山裾の人さんこんばんは^^

レコード、聴いたことはありません。舞台も見たこともなく、仕事なので著作は数冊読みました。ホント勉強不足で申し訳ありません~
大道での「口上」などは、少しだけ知っています。流れるような、耳について離れないような、まったく見事なものがありますね。あれは確かに「芸」といえるでしょうね。
小沢氏は(映画での)ちょっとHな?オジサンとしてのイメージしかありませんでした。が、たいそう真面目な方でした。素顔は役柄とは違うのでした。コメントをありがとうございます
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オコジョさんへ (トーコ)
2008-10-12 23:36:53
オコジョさんこんばんは^^

変わり者なんですか?(笑)もしや私と同じB型でしょうか。。

世の中の大多数からはぐれないように、多少気を使っている振りをしていますが、私は変人~!そのものですよヾ(@^▽^@)ノ あはっ!
しかし、人の振りを見て人と同じことをしていたら、自分らしくは生きられないし、何のための人生なのだかと・・
ところがこの世の中、実はホンの少し存在する”変人系”が引っぱって行ってるのではないかな~、なんて(小さい声で)言ってみたりなんかして(笑)
小沢さんは年を経て脂が抜けて、本来の味が出てきたように思います。な~んて亦ナマイキですね。コメントをありがとうございました
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きっと・・・ (たむたむ)
2008-10-13 13:06:02
小沢昭一さんは、逆説的な意味で「役者は大変な仕事だ」と言いたかったんじゃないかな?

私のところにも何人も「鞄職人になりたい」って、若い子がくるけど、「この世界は食っていく事も大変な世界だよ。」と諭します。

テレビや雑誌で「職人」という言葉だけがスポットを浴びてそれに憧れる子がほとんどなんだけど、
「役者って仕事もそうじゃないいんだ。」って言いたいのかもね。
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血液型を聞かれましたので (オコジョ)
2008-10-13 17:12:58
無口で、余り自分の意見はいいません。
黙って人の話を聞いているだけ・・・
何とかブームには、絶対追わない。
22歳から10年間テレビはありませんでした。
NHK-FM でクラッシックを聞くだけ・・・
流行歌手も俳優の名前も知りません。
覚えようとしないからですが・・・
流行歌は知らないからカラオケは嫌い
だいたい、酒を飲んで話をするのにあんな邪魔なものはない。
山は一人で歩くのが最高。

残念ながらO型です。
そして、血液型で性格が違うということは、絶対に信じない。
血液型で、性格が決まるなんてたえられません。
いろいろな人生を歩み、性格はきずいていくもの・・・
私たち夫妻はどちらの両親もO型です。
どこを見てもO型ばかり・・・
石橋を叩いても渡らない慎重派から、思ったら突っ走るもの、
楽天家に悲観的にしか生きないもの、
だから人は素敵なんです。

無口なのに・・・(最近はそれほどでもないのですが・・・)
つまらないことをたくさん書きました。
笑ってやってください。
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たむたむさんへ (トーコ)
2008-10-13 19:42:16
たむたむさんこんばんは^^

何の仕事でも、カッコ良くて楽に儲かる・・なんて、ないのよねきっと。どこかにあるかも知れないけど、引き換えに何か自分の中の大事なものをを失くしてゆく気がするし。
苦労が多ければ、その分喜びや嬉しさも多いのだろうとも思うし。難しいものですね、バランスが

今回の記事は投稿する時「このブログもこれで終わるかな~」と思っていました小沢さんはコスプレ(仮装)が好きなようです。変身願望?あれも自己解放につながるのかな~、確かに悪くはないね(笑)コメントをありがとうございました
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オコジョさんへ (トーコ)
2008-10-13 19:57:16
オコジョさんこんばんは^^

1里ほど歩いてきました。スミマセン、私と同じじゃないかしら?なんて失礼なことを・・
血液型で性格が決まるとは思いませんが、なるほどなぁ~なんて思うだけです。信じる信じないではなくて、そういうのも結構面白がるタイプです。わりと好きな方で血液型の本も見ますよ、根本的にミーハーですから(笑)

庭のフジバカマにアサギマダラらしき蝶々がよく来ます。ひ~らひ~らと優雅に飛んでいます。キタテハチョウ(たぶん)も蜜を吸っていました。アサギマダラは「高原の貴婦人」と言うそうですね。今度写真でもと思いますが、ムリかもしれません。諦めの心境・・
コメントをありがとうございました
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小沢昭一 (山小屋)
2008-10-14 06:43:52
昨日のY新聞に小沢昭一さんの特集がでていました。
興味深く読みました。
「小沢昭一的こころ」は今年35周年だそうです。
長寿番組ですね。
「塩せんべい」が大好きだそうです。
子供の頃食べた味が忘れられず、今でも欠かさず食べているそうです。
「老夫婦ふたりですので、お送りいただいても食べきれません。ご遠慮申しあげます。ハハハ」とありました。

トーコさん、私もO型です。
両親がO型でしたので、兄弟4人ともO型です。
オコジョさんがおっしゃるように人間の性格と血液型とはまったく関係がないと思っています。
関係があれば兄弟みんな同じ性格になってもよいハズですが、ぜんぶ違います。
それが人間でしょうね。
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う~む・・・ (だんだん)
2008-10-14 08:47:12
斬新な、しかも全く縁のない方の人となりを、詳しく読ませていただきました。
トーコさん、それは忘れない一コマですね。
♪サルビア~のはなが~♪
60年代のフォークで甲斐よしひろが歌ってたようで思い出しました(*^o^*)
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