立松和平さんのこと

2010-02-14 22:09:49 | こんなンで委員会
素朴な語り口の栃木なまりが、ある日突然TVから流れてきて・・オヤ?と思ったのは、あれはいつのことだったでしょうか・・。

その時に、はじめて立松和平という作家を知ったのです。といっても私、本はほとんど読んでいませんが。

「文化不毛の地」との指摘がある栃木県。それに反発をおぼえて彼が書いたといわれる、栃木弁を話す人物が登場する小説『遠雷』。

1980年に、都市化する農村の若者を描いた『遠雷』で、野間文芸新人賞を受賞してから脚光を浴びたそうです。

県人気質の美点である、「照れ屋で控えめでも芯はしっかりしている」そのままの人物と見受けられました。

ニコニコと穏やかで周囲に優しい分、こと自分に向き合うことに厳しい人ではなかったのだろうか、と。

足尾の山に植林活動をされていたのが、一番強く印象に残っています。『遠雷』を・・とても読みたくなりました。

新聞の見出しにも「地道、愚直に走り続けた」とありましたが、本当に惜しい、いまどき得がたい人を失ってしまった喪失感を感じています。

2月8日・62歳で亡くなられた立松和平さん、栃木県民は決してあなたを忘れることはないでしょう。安らかなご冥福をお祈りします。





春雷や 実直愚直が翔けぬけり  空見






                                (2/9 夕 撮影)





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7 コメント

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あの語り口に.. (地理佐渡..)
2010-02-14 23:05:24
こんばんは。

朴訥な語り口に土地と人のありようと、
生き様を表現する人でした。ものを書
く事より、語って欲しい人でした。

大学時代最初に放したのが栃木県人。
佐渡出身の僕と彼とではまるで言葉が
違う。今でも栃木というとそんな思い
出があります。
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Unknown (nakapa)
2010-02-15 09:19:09
残念ながら、立松和平さんの小説は読んだことがありません。
テレビでは見ました。コメンテーターとしては、素朴で好感のもてる方でした。
北海道新聞に次のようなことを書いてあるコラムがありました。
なぜか、強く印象に残ったので切り抜いておきました。
子供のころ海を見たことのない少年が、初めてみたときの感動について書いてありました。
「海を初めて見たとき、過剰なほどの光を前にただびっくりしていた、あれほどの感動がそれ以後にあったか」
海とは偉大ですね。
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こんにちは (空見)
2010-02-15 14:40:42
地理佐渡..さん

>ものを書く事より、語って欲しい人でした。

本当に~!なんて言うと叱られますね^^; 作家としてもすごいのだと思いますけど、あの’あたたかな語り口’を聞いて、ホッと安心できた人は多いと思います


nakapaさん

小説の『遠雷』は読んでみたいです。そのうち本屋さんには、文庫本が平積みされることでしょう。

>「海を初めて見たとき、過剰なほどの光を前にただびっくりしていた、あれほどの感動がそれ以後にあったか」

川と比べたら海はあまりにも広いです。しかも海はとてつもなく光るものなんですね。なべて光るものは尊いです
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和平さん (山小屋)
2010-02-15 17:24:26
山の本などにも時々登場していました。
山歩きもスキだったようです。
今の62歳は若過ぎますね。
直接会ったことはありませんが、素朴な話し
振りが印象に残っています。

ご冥福をお祈り申し上げます。
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こんばんは (空見)
2010-02-15 21:04:48
山小屋さん

とにかく我武者羅に走り続けた人、との印象が強いです。
栃木県人でも、今は皆さん標準的な話し言葉ですけど、そのなかでも立松さんは珍しいくらいに訛っていました。
それが逆に、皆をほのぼのとさせる持ち味になっていましたね
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Unknown (ディック)
2010-02-16 12:21:11
立松和平さんは読んだことがないのです。
こちらでお聞きしたことを心に留め置いて、いつかそのうち…。
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こんにちは (空見)
2010-02-16 16:06:36
ディックさん

私も、本はそのうちに・・と思っております。

環境保護活動を熱心にされていたのは、頭が下がります。足尾鉱毒事件で闘い果てた’田中正造’翁を思い出します
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