塩田千春 精神の呼吸 @国立国際美術館(大阪・中之島)
ベルリンを拠点に活動をしているアーティスト、塩田千春の展覧会。
2001年横浜トリエンナーレで、会場を見下ろすかのようにつり下げられた
巨大な泥のついたドレス。あの作品のインパクトはちょっと忘れられない。
そしてまた、今回も深く記憶に刻み付けられる展覧会だった。
たくさんの靴のインスタレーション、ベッドと糸のインスタレーション、
鉄枠の中に糸を張り巡らせた作品、泥のついた3着のドレス。
そしていくつかの写真と映像で構成されている。
国際美術館のエスカレータを地下へ降りていくと、目に飛び込んでくる「大陸を越えて」。
去年からずっと靴の寄付を美術館で呼びかけていた。
そして全国から集まった靴が真っ赤な糸で思い出と一緒に繋がれている。
「トラウマ/日常」と名付けられた作品は、
鉄枠の中に黒い糸で服などを閉じ込めているように見える。
それは束縛なのか。包み込んでいるのか。
黒い糸は緊張感を孕み、思い出したくない嫌な記憶にどこか似ている。
いくつもの白いベッドを縛り付けるかのように
展示室全体に黒い糸を張り巡らせた「眠っている間に」。
ベッドは病院にあるような簡素なもの。まるでさっきまで誰かが眠っていたかのように、
シーツや布団がよれて、しわになっている。
私は入院したことなどないのに、なぜか、夜シンと静まった病院の
死と隣り合わせの空気を”思い出し”、怖くなった。
3着の巨大なドレス「皮膚からの記憶」。これは横浜トリエンナーレでも見たものだけれど、
今回は水を使っていなかった。(横浜ではドレスに絶え間なく水がかけられていた)
生まれたときは真っ白だったはずなのに、
段々と汚れていって、それは拭っても拭ってももう消えない。
言葉にしてしまえば、それは迫力なのかもしれない。
でも、それだけではない、もっと深い闇のような得体の知れないものを感じる。
死を連想させるような不穏な空気が漂っているのだ。
怖い。でも見たい。まるでタナトスのような。
だけど、作者本人が泥にまみれた写真作品のタイトルに
「私の死はまだ見たことがない」とあるように、
そこには生が隣り合わせになっている。
ベルリンを拠点に活動をしているアーティスト、塩田千春の展覧会。
2001年横浜トリエンナーレで、会場を見下ろすかのようにつり下げられた
巨大な泥のついたドレス。あの作品のインパクトはちょっと忘れられない。
そしてまた、今回も深く記憶に刻み付けられる展覧会だった。
たくさんの靴のインスタレーション、ベッドと糸のインスタレーション、
鉄枠の中に糸を張り巡らせた作品、泥のついた3着のドレス。
そしていくつかの写真と映像で構成されている。
国際美術館のエスカレータを地下へ降りていくと、目に飛び込んでくる「大陸を越えて」。
去年からずっと靴の寄付を美術館で呼びかけていた。
そして全国から集まった靴が真っ赤な糸で思い出と一緒に繋がれている。
「トラウマ/日常」と名付けられた作品は、
鉄枠の中に黒い糸で服などを閉じ込めているように見える。
それは束縛なのか。包み込んでいるのか。
黒い糸は緊張感を孕み、思い出したくない嫌な記憶にどこか似ている。
いくつもの白いベッドを縛り付けるかのように
展示室全体に黒い糸を張り巡らせた「眠っている間に」。
ベッドは病院にあるような簡素なもの。まるでさっきまで誰かが眠っていたかのように、
シーツや布団がよれて、しわになっている。
私は入院したことなどないのに、なぜか、夜シンと静まった病院の
死と隣り合わせの空気を”思い出し”、怖くなった。
3着の巨大なドレス「皮膚からの記憶」。これは横浜トリエンナーレでも見たものだけれど、
今回は水を使っていなかった。(横浜ではドレスに絶え間なく水がかけられていた)
生まれたときは真っ白だったはずなのに、
段々と汚れていって、それは拭っても拭ってももう消えない。
言葉にしてしまえば、それは迫力なのかもしれない。
でも、それだけではない、もっと深い闇のような得体の知れないものを感じる。
死を連想させるような不穏な空気が漂っているのだ。
怖い。でも見たい。まるでタナトスのような。
だけど、作者本人が泥にまみれた写真作品のタイトルに
「私の死はまだ見たことがない」とあるように、
そこには生が隣り合わせになっている。