だめぴよ♪レンズ

おかげさまで、不妊治療を経て無事出産。
治療中にわかった事・気付いた事・出会えた人…私の大切な宝物です。

クロミッドの効きすぎ?!

2009-04-24 | タイミング~AIH(現病院に転院する前)


潜在性高プロラクチン血症と診断され、週1回のカバサール服用を
始めてから、3周期。

タイミングはバッチリのはずなのに、妊娠の気配はありません

今度は「低音期から高温期への上がり方が、すんなりいっていない(段階的に
2~3日かかっている)周期もあるので」という事で、セキソビットのかわりに
クロミッドを服用するように言われる。
同じように、生理5日目から5日間の服用で、1日1錠。
セキソビットよりも少し強い薬です、という説明でした。

ところが

卵胞チェックに行くと、先生はエコー画面を見たとたん「こらあかん!今周期は
避妊してな」と一言。
いつもは測る内膜の厚さもチェックせずに、診察は終わり。

なんと左の卵巣に卵胞が4つも、ひしめくように映っていました
23ミリが2個、22ミリが2個。
「お腹が張ってたんじゃない?」と看護婦さんに聞かれたけど、特に気になる症状
はありませんでした。

万が一妊娠したら大変なことになるから(4つ子とか?!)絶対に避妊に
気をつけるようにと念をおされました

「クロミッドが効きすぎる体質」という説明をうける。

びっくりしたし、避妊を指示されたのはショックだったけど、基礎体温表は
高温期が13日もほとんど陥落なく続く、見本のようなものになりました。



その次の周期は「CS法(シーエス法)」
 生理5日目…クロミッド1錠
    6日目…セキソビットを6錠(朝昼晩各2錠)
    7日目…クロミッド1錠
    8日目…セキソビット6錠
    9日目…クロミッド1錠

というものです。

しかしこれでも両卵巣に1個ずつ、計2個の卵胞が発育してしまいました。
(しかも26ミリと27ミリまで大きくなり、その翌日にようやく排卵確認。普段は
 22~24ミリで排卵してました)

双子もリスクが高いということで、結局この周期も避妊を指示されました


結局、2周期前の“セキソビット1日4錠×5日間”に戻すことに。


そして、一度フーナーテスト(性交後試験)をしましょうと提案されました。
※前の病院で問題なかったので、この病院ではしていませんでした。



翌周期の排卵日ごろ、フーナーテストを実施。
ところが「頸管粘液なし」ということで、検査ができないと言われる。

「精子が卵子にたどりつくのは、鯉の滝登りと同じや。
 水がなかったら魚は泳げへん。死んでしまう。川が干上がってたら、
 泳げるわけがない。AIHやな!」と先生。

どうもこの先生の物言いに慣れることのできない私


AIHって何・・・?

看護婦さんの説明を受けるように言われて、「頸管粘液不良ということで、
AIHに進んだほうがいいと思います。ご主人と相談してください。」と言われる。

「あの・・・AIHって何ですか?」と私。

「あぁ、人工授精のことですよ。それしか方法はありません。」と看護婦さん。

人工授精の事をAIHって言うのか。
前の産婦人科で「フーナー問題なし」と言われてたのに。
この病院に来てから1年も経って、なんでいまさら…

ひどく落ち込んで帰宅したのでした。



・・・続く。

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潜在性高プロラクチン血症

2009-04-24 | タイミング~AIH(現病院に転院する前)

今日は、今の病院に転院する前に通っていた不妊専門クリニックでの治療を
書き留めておこうと思います。


結婚から5年が経ち、ようやく不妊専門クリニックを受診しました。
JR高槻駅そばのIクリニックです。

院長先生(というか先生は一人だけでした)に今までの経緯を報告。

先生の第一声は「結婚してから5年も何やってたんや!不妊の定義って
聞いたことあるな?!“避妊せずに2年間、妊娠しなかったら不妊”や。
来るのが遅すぎる!」

今まで悩みながら少しずつ進んできて、確かにスローペースだとは
思っていたけど、ショックな言葉でした

その後、先生はその病院に通って妊娠された方の基礎体温表を
次々と出してきて、
「こんなふうに二層になってなかったり、ガタガタやったりしても、
だんだん理想的な体温になっていく。そしてちゃんと妊娠できる。
先生はそういう人を何人も治療してきたから大丈夫や。」

「原因がない?・・・それは違うんや。5年も子供ができないのは、
絶対何か原因があるからや。一緒に探していこう。」

こんな言葉も言ってくれました。
ちょっと苦手なカンジだけど(波長が合わないというか)この先生なら、
原因を見つけてもらえるかもしれない。
それでなんとか、ここで頑張ってみようと思いました。


受けた検査は下記のとおり。

 ・夫の精液検査…運動率が29%以下と言われ、低度妊孕性と診断される。
            但し、この時だけ悪かったらしく、後日のAIHの際は
            非常によく何の問題もない、と言われた。

 ・貧血等の一般血液検査

 ・肝機能検査

 ・クラミジア検査

 ・風疹ウイルス

 ・甲状腺機能検査

 ・抗精子抗体検査

 ・プロラクチン検査

 ※いずれも採血での検査。すべて問題なし。


 ・子宮卵管造影検査…産婦人科での不妊相談で実施していたので、
               その時のレントゲン写真を借りてきて見てもらう。
               問題なし、との事。


その後の治療は・・・

エコー(超音波)での内診で卵胞の大きさを確認しながら、タイミング指導を
受ける。排卵、内膜共にエコーでは問題なし。

排卵時のE2(エストラジオール:卵胞ホルモン)の値がやや低めとの事で、
5周期目から「セキソビット」を生理5日目から一日4錠を5日間服用。

※私の場合、セキソビットの副作用はまったくありませんでした。
  これにより排卵時のE2は、すぐに理想的な値になりました。

しかし妊娠の兆候はみられず


基礎体温が、高温期に移行後3日目くらいに少しだけガクッと(1日だけ)
下がっているのが気になり質問してみると、「TRH負荷テスト」の検査を
すすめられる。

検査の結果、潜在性高プロラクチン血症と診断
「カバサール」を週1回1錠服用開始。

※私の場合、カバサールの副作用は、最初の2~3回はムカムカしましたが
  寝る前の服用だったので、眠ってしまえば平気でした。
  気持ち悪くて眠れないというほどではありませんでした。
  その後は何も感じなくなり、今では全然平気です。

☆潜在性高プロラクチン血症☆
  http://www.ikujizubari.com/Words/koupuro.html



やっと“潜在性高プロラクチン血症”という診断をくだされて、不安や心配よりも、
薬を飲んでコレが改善されたらついに妊娠できるんだ!と思い、嬉しくさえありました。

しかし、カバサールの服用を始めても、妊娠はしませんでした


・・・続く。

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母の言葉で復活!

2009-04-17 | タイミング~AIH(現病院に転院する前)


昨日の続きです。

今日は、復活編ってカンジかな
相変わらず長文でスミマセン
お忙しい方はスルーしてくださいね。



普通には(病院にもいかずに自然に、という意味デス)子供を授かれない
自分を受け入れられず、誰にも相談できず(ひげぴよは何でも聞いてくれ
ますが男性なので、共感にも限度があるように感じてました)、八方塞がりに
なっていた私でしたが、ついに耐え切れなくなって母に話を聞いてもらいました。


母には今までもいろいろ相談したり話を聞いてもらったりしてて、信頼し尊敬
していました。

でも「母娘でも、話したくないこともあるだろう」とプライバシーを尊重してくれる
スタンスの人で、心配だからと何でも聞きたがるタイプではありませんでした。

私もそれが心地よいと感じていたので、「話したら心配するだろうな」という
たぐいの話はあまりせず、解決してから話したりしていました。



ひげぴよの両親との一件を聞いて、母はまず「ひげぴよさんがあなたの旦那
さんでよかったね。ほんとに立派な夫だと思うよ」と言いました。


そして、ゆっくりと淡々と、母の考えを語ってくれました。

「私(母)は、二人の娘に恵まれてこうして今があるから、本当のあなたの
つらさはわかってあげられないのかもしれない。でも、そのつらさを想像する事は
できるし、痛みを共有することはできると思う。重い荷物の一部かもしれないけど
を少し持ってあげる事はできるという事。だから我慢せずに“ちょっと疲れたから
コレ持って”と渡してくれていいんだよ」

「お義母さんたちに悪気はないのかもしれない。でも、悪気があるかないかは、
実は関係ない。言葉や態度によって、あなたもひげぴよさんも深く傷ついたと
いう事実があるだけ」

「受けた心の傷に、つばを塗るだけで簡単にすませてはいけない。深い傷を
見るのは怖いかもしれないけれど、ちゃんと自覚して、適切なケアをしないと
傷口からの血は流れ続けてしまうよ」


こんなような話をしてくれたと思います。

本当にそうだなぁと思って聞きながら、泣いてしまいました。
しゃくりあげるほど泣いて自分でもびっくりしたのと、やけにスッキリしたのを
よく覚えています。

きっと涙には心の浄化作用があるんだろうな・・・


そして落ち着いた私を見て母は、「・・・だめぴよらしくないね」と一言。

「あなたは昔からあまり他人に振り回されないで、自分は自分と思って
やってきてたでしょう。万策尽きたわけでもないのに、どうして立ち止まってるの?
今のだめぴよはあなたらしくないよ」

この言葉を聞いたときは、耳を疑いました

たった今、痛みをわかってあげたいと言ってくれたのに
ちっともわかってくれてない


すると「お母さんの友達のMさんを知っているでしょう?」と母。

その方は母と同じ60歳で、とても気さくで明るい素敵な人でした。
お子さんはいないけど、姪御さんを我が子のようにかわいがって
いました。ご主人ともとても仲がよく、未だに恋人同士みたいだという話でした。

「彼女はとても子供好きだけど、ついに子供が授からなかった。
あの明るいMさんが、『なぜ自分達に子供が授からなかったのか、原因だけでも
知りたかった』『医療が進んで、今の時代はいろんな方法が可能になって、
授かる可能性もでてきた。それが心底うらやましい』とこぼした事が、一度だけ
あったんだよ」と教えてくれました。

私は、「毎日を本当に楽しんで生きてるハッピーハッピー」て感じの
あのMさんが・・・とびっくりしました。


・・・ああ、そうか。

今までにたくさんの人達が、同じ悩みを感じていたんだ。

自分一人で悩み、夫婦で悩み、家族や周りからのプレッシャーに悩み、
いたたまれない思いをしながらじっと耐えてきた人が、たくさんいたんだ。

嫁ぎ先によっては、跡取り問題とか相続問題とかあるだろうし、子供が授からない
事で、離婚問題になった人もいただろう。もっと悲しい事件もあったかもしれない。

この悩みは、きっと何百年も続いているんだろうから。


私は自分がいかに恵まれた時代に生きているのかを、初めて知ったのでした。


つい数十年前まで、本当にどうしようもなかった事。

それが今は、
たくさんの書物が、図書館や本屋さんに並んでいる。
インターネットで検索して調べる事もできる。
相談できる病院も、医学的な方法もある。


私は一体何をしていたんだろう。

好きな言葉、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉を思い出しました。

私は人事をつくしてないじゃないかまだできることがたくさんあるんだ


Mさんのような、“毎日を素敵に生きてる仲良し夫婦”という目指す理想も
あるんだから、やるだけやってそれでもダメなら、またその時考えたらいい。

まずは、前に進まなきゃ

目の前の霧がはれたかのような、一瞬でした。


・・・そして、母に感謝


自分らしくない私に喝を入れ、ただMさんの話を一言しただけの母。

私がMさんの話を聞いたら、こういう気持ちになって自分で道を見つけ出し、
進む決意をするだろうと、すべてわかったいたんだね

母は本当にスゴイ

私もいつか、こういう母になりたい。

そのために、今できる事。

私はついに不妊専門病院に行く決意をしたのでした
(・・・やっとですね遅っ

結婚から5年が経とうとしていました。


・・・最後まで読んでくれてありがとうございました


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プレッシャーがストレスに

2009-04-16 | タイミング~AIH(現病院に転院する前)

とりとめもなく今までの治療を振り返っています
ほとんどヒトリゴトですね

今回体外受精に進むにあたり、今までの自分の気持ちを整理するのは、私に
とって意味のあることのように思うので、しばらくは続けます。

長文ですし、愚痴などもありますので、気の進まない方はスルーしてください



産婦人科でのタイミング指導を続けていただめぴよですが、妊婦さんと一緒
の待合室は苦痛ではありませんでした。

むしろ「早く仲間入りしたいなぁ」と思い、待合室に置いてある「たまごクラブ」
等を読んで、最近の検診時の3D映像や新しい育児グッズを見て感心したり
していました。

まだ、自分に子供ができない訳がない!と信じていました。能天気ですよね(笑)

何度かエコーで確認してもらううちに、排卵検査薬と基礎体温だけでも
正確に排卵日を予想できるようになったので、せっせと(笑)タイミングを
とっていました。

しかし、妊娠の気配はなし・・・
先生も「なんでやろうな~?完璧やねんけどな~」と首をひねるばかり。


このころ、名古屋のお姑サンからの孫催促がかなり激しくなってきていました。

「病院にさえ行けば、すぐにできる」
「九州の有名な病院に行って、何百万かかけてできた人を知っている」
「お金なら、出してあげるから」
「こっちも年をとるから、早くしてもらわないと世話ができない」
「このままでは、なんの生きがいもない」
などと、電話のたびに言われるようになっていました。
いつもさんざんその話題で話した後、最後に「プレッシャーに感じないでね」と
言うのですが・・・そんなの無理です お義母さん・・・

そのたびに「私たちも本当に早く欲しいんです」「病院には行ったけど、
特に異常が見つからないんです」と伝えて、ひげぴよも「自分達もちゃんと
考えてるし、勉強も努力もしているから、もう少し待ってほしい」ときちんと
話してくれていました。

でもハネムーンベビーが自慢のお義母さんには、赤ちゃん待ちのつらさは
理解できないようでした。
息子2人のうち、長男と次男(ひげぴよは次男です)は6歳離れているので、
「一度はふたりめを諦めて、服や道具は全部人にあげたり捨てたりして
しまって。だからひげぴよは下の子なのに“おさがり”じゃなかったのよ」と
言ってたので、少しは赤ちゃん待ちの経験があるはずなのですが・・・
忘れてしまったのか、つらいとは感じていなかったのか・・・。

それでも「お義母さんも、孫の話題に入れなくてつらいんだろうな」とか
「楽しみにしてくれてて悪気はないんだから」と自分に言い聞かせて我慢して
いました。

でも催促はだんだんエスカレートしていきました。

お正月に帰省すると、知人からの「孫の写真入り年賀状」を次々に
見せられて、ほんっとにつらかったなぁ


「このままじゃ噂の九州の病院に送り込まれてしまう」
「お金は出すから・・・ってどういう気持ちで言うんだろう。私は孫作りマシン
じゃない」
「これ以上何をどう頑張ったらいいのかわからない・・・」

私はどんどん後ろ向きになっていきました・・・

努力の甲斐もなく妊娠の気配はまったくなく、通院もストレスに感じるように
なって、だんだん病院に行かなくなってしまいました。


そしてお盆の帰省中にまた孫の話題になり、ついにひげぴよがキレて
大激怒大喧嘩をして、実家を飛び出して帰ってきてしまいました。
(もちろん私も一緒に帰ることに)

お義父さんにまで「病院に行ってても“治療”をしなくちゃ、何の意味もない!」
「今持っているお金は、全部使い切って死んでやる!」などと怒鳴られ、
もう本当に悲しくてつらくて、どうしようもありませんでした。

どうして自分の息子にあんなひどい事が言えるのか・・・。
私には理解できず、ただただ悲しかった

さすがに驚いたらしいお姑サンがパニックになり、翌日「あの子(ひげぴよ)が
あんなに怒ったのは初めてで、どうしたらいいのかわからない。とにかくすぐ
そっち(大阪)に行くから、謝らせてほしい」と電話してきました。

ひげぴよは「来ても、絶対家には入れない」と言うし、私も限界でした。
いま顔をみたら、何を言ってしまうかワカラナイ・・・


この時初めて、実家の母(だめぴよ母)に、話をしました。

「心配をかけたくない」と思って、子供ができない悩みや不妊治療の事、
お姑サンの事など、母には何も話していませんでした。

母は黙って話を聞いてくれました


そして、「お義母さんもつらいだろうけど、私たちもつらい。今はお互いに
冷静には話せないだろうから、少し時間をください」とお願いして、
大阪に来るのは勘弁してもらうように断りなさい。それくらい言っても
バチはあたらないよ、とアドバイスしてくれました。

お姑サンは、一応それで納得してくれました。


この数日後、母に改めてゆっくりと話を聞いてもらいました。


その時の母の話が、私に再び頑張る勇気をくれたのでした。


・・・続く。


暗い話を最後まで読んでくださってありがとうございました

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不妊検査とタイミング法

2009-04-15 | タイミング~AIH(現病院に転院する前)

結婚から丸3年を迎え、ついに不妊検査なるものを
受けることになりました。

まずは「血液検査」

 月経中、排卵期、着床期にそれぞれ採血をして・・・

 ・卵胞刺激ホルモン、黄体形成ホルモン
   ・・・脳の視床下部の指令により、下垂体より分泌される性腺刺激ホルモン

 ・卵胞ホルモン(エストロゲン)、黄体ホルモン(プロゲステロン)
   ・・・卵巣から分泌されるホルモン。いわゆる女性ホルモン。

 すべて異常なし。
 プロゲステロンだけが、基準値内だがやや低めとの指摘を受ける。
 プロラクチンも問題なく正常との事。

「超音波検査」いわゆるエコー。卵巣・子宮ともに、特に異常なし。
卵胞の育つ様子と、排卵が行われているかも、きちんと確認してくれました。

「卵管造影検査」は、造影剤を入れて、卵管の疎通性を調べる検査。
痛いといわれているけど、私は一応耐えられる範囲内だった。
ひど~い生理痛のような感じだったかな。こちらも異常なし。


しかし、この「卵管造影検査」が後に思わぬ騒動を引き起こす
その話はまたの機会に・・・


「フーナー検査」は、性交後試験といわれるものです。
私の頸管粘液の状態が、排卵期でもかなり固く(普通はさらさらだそうです)
あまり良くないと言われる。
ところが精子クンは、そんな悪条件の中でも平気で泳ぎまわっているとの事
「これだけ元気なら、精液検査はしなくても大丈夫でしょう」と言われ、
ひげぴよの検査はナシ。


今考えると笑ってしまうけど、当時はひげぴよに「明日フーナーテストだから
タイミングよろしく」って言うのを言えなくて・・・

それとなく誘ったりして(笑)、でも彼は疲れてて寝てしまったり。
翌朝半べそをかきながら、先生に「できなかったので今日の検査は中止に
してください」と電話したりした事がありました。

ひげぴよはそういう時、私が泣いたりイラついたりしてる理由がわからず
困っていたようで、私は私で「病院行ってるの知ってるんやから、少しは
察して協力してよ!」と思っていました。

・・・その後、きちんと説明して話合うことができました。
話をしてしまえば、なんのことはなく、彼は当然のように協力してくれました。

子供好きなのはよく知っていたけど、普段「早く欲しいなぁ」等とまったく
言わない人だったので、だんだん「本当はどう思っているんだろう。面倒
くさいのかな。不妊治療なんか本当はいやだと思っているのかな」と
疑心暗鬼になっていました。
「治療の話をする事で、EDになってしまったらどうしよう」なんて事まで
心配していました

ほんとは人の心配してる場合じゃなかったんですが

当時は、誰にも相談できず、不妊治療を受けている事に負い目を感じながら
一人でいろんなものを背負っていたような気がします。

治療としては、頸管粘液の状態を良くする為に排卵期にプレマリンという
薬を服用しながら、タイミングを見てもらう事を続けていきました。


・・・しかし生理は毎月ほぼ予定どおりにやってくるのでした


・・・続く。


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産婦人科での不妊相談へ

2009-04-11 | タイミング~AIH(現病院に転院する前)


結婚3年目にして、自分は不妊なんだとようやく自覚した私でしたが、
不妊専門病院へ行く気にはなれませんでした

なぜなら・・・

「不妊」という言葉にネガティブなイメージを持っていたからです。

OL時代に、他部署の先輩で不妊治療をしている方がいました。
直接ご本人から治療の事を聞いたわけではなかったのですが、
その先輩と同じ部署の別の先輩と仲良くしていたので「薬の副作用が
つらいみたい」と言う話を聞きました。
ただ「つらいのはわかるし、治療のためだから仕方がないけど、遅刻や早退も
多いので、周りも結構大変なんだよ」という仲良しの先輩の愚痴を聞いて、
いろんな意味で大変だなぁと感じました。
気分が悪そうにつらそうにしている姿を時々更衣室等で見かけると、
とても心配になりました。
「不妊治療はつらいんだ」というイメージを持つようになりました。

それと同時に周りの声が自然と耳に入ってきました。
多くは「そこまでしなくても・・・あんなにつらそうならやめたらいいのに」と
いうものでした。

個人的には、「やめられるならものならやめたい」、つまりご本人には進むのも
止まるのもつらい事なのではないだろうか・・・と思っていたので、
周囲の人の言葉がとても心無いもののような気がしました

そしてその周囲の声は、「世間は不妊治療に否定的だ」というイメージとして
私の中に強く残っていったのでした。

これらの気持ちは後から気づいたもので、当時は「自分は不妊ではないんだ。
赤ちゃんが授からないのはたまたまで、つらい治療に足を踏み入れなくても
大丈夫に違いない。そんな気がするもん!」と思っていました。

「生理周期が乱れたこともないんだから、私は大丈夫」と自分に言い聞かせて、
「不妊治療を始めるんじゃなくて、いつか出産する時の下見と思う事に
しよう」と考えて、不妊治療にも携わっていたという先生が開業している産婦人科
に、相談しに行くことにしたのでした。

ひげぴよにも相談しました。
「自分で考えて決めたなら、それでいいんじゃないか。問題があるか、ないか
だけでも見てもらえれば、安心材料になるだろう」というような事を
言っていたように思います。

当時ひげぴよは、子供がいない事を私ほど深刻には感じていないようでした。


・・・続く。




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私って不妊なの?

2009-04-11 | タイミング~AIH(現病院に転院する前)

私達は2002年11月に結婚しました。
だめぴよ28才、ひげぴよ32才。

二人とも子供好きということもあり、子供はいつ授かってもいいと思っていました。

ところが、1年たち2年たち・・・できる気配はありません。
だんだん、私達より後に結婚した友達からオメデタ報告がくるようになってきました。

おかしいなぁ・・・たまたまタイミングがあっていないのかな。
結婚直後から避妊はしていませんでした。

生理はほぼ28日周期で、前後するとしても1~3日の範囲でした。
自分に子供ができないなど、あるわけがないと思っていました。

30才になった時、子宮がん検診をうけに近くの婦人科へ。
生まれて初めての内診に緊張
筋腫や内膜症なども見られないが、子宮後屈と言われる。

「昔は流産が多いなどと言われたものですが、今は無関係だという意見が
多いので、気にしなくてもいいでしょう。ただこれ以上ひどくならないように、
トイレを我慢しすぎたりしないようにした方がいいかも。」と先生。

トイレを我慢する→膀胱が大きくなる→膀胱の後ろ側にある子宮が後ろ(腰側)
に押される→後屈がひどくなる

という理屈だそうです。


義両親からの孫催促はあったものの、ひげぴよがいつも「気にしたらあかんで」
「今のうちに二人でしたいこと、いろいろやろう」と言ってくれてたので、
特に強いストレスを感じることもなく過ごしていました。

ただ漠然とした不安が、私を包むようになってきていました。

結婚3年後の年末に右下腹部に痛みを感じ、なんとなく気になって近所の
婦人科で診察。この年に引越しをしていたので、がん検診をうけた病院
とは別の婦人科です。
結果は特に問題なし。「場所からすると卵巣ではなく、腸ですね。」ハズカシイ
ガスがたまっているのかも、と言われ整腸剤をもらう

その時に先生がカルテを見ながら「結婚3年・・・お子さんは考えていらっしゃ
いますか?」と。

「欲しいとは思っているんですが、なかなかうまくいかないみたいです」とヘラヘラ
笑いながら私。

その頃には周りの人からの「子供は?」とういう一言に心が痛むようになり、
「まだなんです~」と、変な愛想笑いをしながら答えるようになっていました。

「人間は意外と妊娠できる期間が少ないんですよ。基礎体温はつけていますか?」
と言いながら、先生は基礎体温のグラフの例を何種類かササッと紙に書き、
妊娠可能な時期(排卵期)について、詳しく説明してくれました。

そして基礎体温表を2、3枚くれて「一度つけてみるといろんなことがわかりますよ」
と体温を測る事をすすめてくれたので、帰りに婦人体温計を買いに薬局へ。
「時間がかかるし面倒ですが、水銀のほうが正確なことが多いですよ」と
言われて水銀のものを購入し、翌日から記録を始めました。

1ヶ月半ほど基礎体温を測り、先生に報告に行きました。
「体温が全体的に低いのが多少気になりますが、低温と高温の二層にもわかれて
いるし、排卵はできていますね。」と言われる。

ほらね~生まれてこの方、大きな病気もしたことないし、見た目どおりの健康
優良児(児ではないな、もはや三十路)、問題なしジャンと心の中で
ガッツポーズの私。

・・・しかし先生は「うちでは不妊治療はしていないんですよ。気になるようなら
不妊治療の病院を紹介しますし、ご主人とも相談してみてください」と一言。

えっ・・・私、不妊なの・・・?

この時初めて、「たまたまできないだけ」と思い込むようにしていた自分の考えの
浅はかさを思い知らされる。

先生は更に体温表をくれたうえに、一円もとらずに「うまくいくといいですね」と
私を送り出してくれました。私はと言えばショックで、「そうですね。ありがとうござい
ました」と通りいっぺんの挨拶しかできませんでした。

・・・F先生、ごめんなさい


「結婚して避妊せずに2年子供ができなければ、不妊。」

何度か目にしたことのあるこの定義に、私は完全に入っているのでした。

・・・続く。

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転院&IVFを決心するまで

2009-04-08 | タイミング~AIH(現病院に転院する前)

今通っているクリニックは体外受精(IVF-ET)において、自然排卵周期を
推奨している病院です。

先月こちらに転院を決意しました。

3月3日に初診をうけました。
「IVFを希望であれば生理3日目に来院してください」と言われて、
3月28日に受診。早速IVF開始です。

私たち夫婦、ご主人様(ひげぴよ)は問題なし。
私には、前の病院で「潜在性高プロラクチン血症」が見つかりましたが、
週1日の服薬(カバサール半錠)でおさまっているので問題なし。

タイミング法を続けた後、AIHにも4回トライしましたが、
かすりもしませんでした

先生いわく、妊娠しない原因は「不明」との事

不明じゃ、どうしたらいいのかワカラナイ・・・

たくさん悩み、本を読んだりネット検索をしたりして
一生懸命調べました。
でも「コレかも・・・」という原因は、やはり見つからず。

その後、腹腔鏡検査(ラパロ)をすすめられました。
ラパロって何・・・?入院が必要全身麻酔

またまた悩みに悩みました

そして執刀医の先生に手術説明を聞いた結果、
手術は受けない事にしました。


今回、転院してIVFに進む決心をしましたが、今までの治療に
ついても、今後少しずつ整理していきたいと思います。

私自身がたくさんのブログを拝見して、とても勉強になったので、
同じように悩んでいる方の参考になれればと思います。