【B】 中世という時代には、非業の死を遂げた人間の霊魂は怨霊となり、世の中に災いをなすと考えられていた。このため敵方の人物の怨霊を鎮めることが重視され、鎮魂を通じて平和が願われた。
そのもっとも有名な例として、(e)南北朝の動乱の最中、( イ )の勧めによって足利尊氏・直義兄弟がおこなった二つの事業があげられる。
第一の事業は、(f)後醍醐天皇の菩提を弔うために( ウ )を建立することであった。その建立資金調達のために中国に貿易船が派遣されることになった。
第二の事業は、全国66国2島にそれぞれ一寺一塔ずつ安国寺と利生塔を建立すると定めたことである。
これは、後醍醐天皇をはじめとする( エ )以来の戦死者を供養し、国土安穏を祈願することを目的としていた。
問6 下線部(e)に関連して、この時代の文化について述べた文として誤っているものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1.北畠親房は『神皇正統記』を著し、北朝の立場から皇位継承の道理を説いた。
2.武家の立場から足利氏の政権獲得の過程を叙述した『梅松論』が著された。
3.集団で楽しむ文化が発達し、茶寄合が各地で催された。
4.新興武士たちの、派手で新しいものを好む気質は「バサラ」の名で呼ばれた。
正解 1
「北朝の立場から」の部分が誤り。北畠親房は南朝側の立場から『神皇正統記』を執筆した。
問7 空欄( イ )にあてはまる人名を、漢字4字で記せ。
正解 「夢窓疎石」
夢窓疎石は後醍醐天皇・足利尊氏・直義などが帰依した臨済僧で、天竜寺の開山となった。
問8 下線部(f)に関連して、この天皇の政治について述べた文として誤っているものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
問8
正解 2
建武式目は、建武政権を打倒して武士政権を復活させた足利尊氏が発したもので、当面の政治方針を示している。
問9 空欄( ウ )にあてはまる寺院名として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
問9
正解 3
天竜寺は、京都五山の第一位に位置づけられた臨済寺院。
鎌倉幕府が建長寺修造の資金を得ようと元に派遣した建長寺船の先例にならって、足利尊氏は天竜寺の造営費調達のために天竜寺船を元に派遣した。
問10 空欄( エ )には鎌倉幕府が滅亡した年の年号がはいる。この年号として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
- 観応
- 元弘
- 正中
- 建武
正解 2
鎌倉幕府滅亡は元弘3(1333)年。翌年、建武(④)に改元された。正中(③)年間には後醍醐天皇の最初の倒幕計画が発覚し(1324年、正中の変)、観応(①)年間には北朝側が分裂・衝突して激しい観応の擾乱が発生した(1350~52年)。
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