思考ダダ漏れ

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短文感想『ゆっくりまわっていくようだ』

2018-04-16 05:08:34 | 短文感想
SUPER BUTTER DOG - ゆっくりまわっていくようだ


今更スーパーバタードッグかよと思われるかもしれないし、そもそもこれは誰だ?  と思うかもしれない。キーボードはレキシだ。中高生の頃によく聞いていたが、その頃は後期のファンク色の強いものを好んでいた。だが、今は前期のほんのりと暗い調子を好んでいる。歌詞は抽象的な変なものが結構多いのだが、この『ゆっくりまわっていくようだ』は分かりやすい方だと思う。早速歌詞を紹介しよう。

テーブルをかこむ空と
テーブルを抜ける風は
仕事を続けるぼくらに
おだやかな時間をくれる
真昼の空をあおぐこともできぬ
暗い部屋から飛び出した今は

すべてがゆっくりまわっていくようだ
ゆっくりまわっていくようだ

まぶしい太陽こげたトースト
にが味のききすぎる紅茶
たいしたものなどなにもないよ
けどムズムズするほどどこか幸せだ
季節のひとつも感じることもできぬ
疲れた街から飛び出した今は

すべてがゆっくりまわっていくようだ
ゆっくりまわっていくようだ

足元に咲くこの花も 大空流れてくあの雲も
すべて僕らのそばにあるさ

いちょう並木のカフェテリアで
僕らを刻み続けてくカメラ
あわただしさの中でかき消される時
一つ残らずおさめてくれる
疲れた顔を洗うこともできぬ
ハードな日々から抜け出した今は

すべてがゆっくりまわっていくようだ
ゆっくりまわっていくようだ

てのひらに咲くこの花も 大空流れてくあの雲も
すべて僕らのそばにあるさ


  先に動画を聞いてしまった人は歌詞抜けてるよね?  と気付かれることだろう。次の歌詞が最も大切なところで、恐らくは僕が好んでいる要因に違いないところだ。歌詞だけ見ると都会から離れて田舎暮らしで時間がゆっくり流れている状態を喜んでいるかのような歌詞には違いないが、一聴すると何故か明るくは聞こえない曲や声に気づくだろう。これも次の歌詞に集約されていると思われる。

たとえ憂鬱な日々が 明日くるとしても
笑おう 笑い続けようぜ 今を笑い続けようぜ

  特にこの「笑おう」から続く箇所が明るくは聞こえない。それもそのはずで、逆説的に物事は存在している、とまずは考えてみようか。『檸檬』であれば「得体の知れない不吉な塊」に蝕まれた状態が檸檬によって解消されるわけだが、しかし、この解消された状態は不吉な塊に侵されていなければ成立し得ない。
  この場合、「たとえ憂鬱な日々」を連想しているという時点で、ここに描かれる人物はそんな日々が来ることを予想していると考えられる。不安が解消されているとすれば、憂鬱な日々を想像することさえないはずだ。面白いのはそれまで都会に居て、こうして田舎で暮らすというのに、憂鬱な日々が明日来るかもしれないことだ。これは明日には転勤する可能性があるというよりも、田舎でさえも憂鬱な気分は晴れていないことを示しているのだろう。「ゆっくりまわっていくようだ」と何度も呟く辺りも、この「ゆっくりまわる」ことが決して良い意味だけとは言い切れないことを強調させているようにも思える。
  梶井の『冬の日』の「痴呆のような幸せだ」という文章を連想させられた。

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