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銭の花《商魂》 ♯015

2023-09-26 21:00:00 | 日記

 ■かまぼこ。

 紀文食品
 (日本相撲協会
 OFFICIAL TOP PARTNERS)

 株式会社紀文食品(英: KIBUN FOODS INC.)

 主に魚肉練り製品などを製造する食品メーカー。
 本社は東京都中央区銀座に所在する。


 《 概 要 》

 蒲鉾や伊達巻、おでんの材料となる半片、竹輪、薩摩揚げ等が主力商品。
 「紀文」の焼印が入った商品群も多い。
 元来魚肉練り製品は、各地域で水揚げされた魚をその場ですり身に加工して食されていた郷土料理だったが、紀文は冷凍すり身をいち早く使用することで品質の安定化と安定供給を図り、チルド配送によって全国展開。
 家庭の食材として練り製品を普及させた事が特筆される。

 新商品の開発にも積極的で、1996年発売の「チーちく」 や2013年発売の「糖質0g麺」などがある。

 日本の伝統文化を次世代に継承するための地道な活動も行う。
 2008年に開始した「子どもたちに伝えたいお正月絵本作品募集」、作ったおせちを写真投稿する「ずっと伝えたい、我が家のおせち。
 フォト自慢コンテスト」、子どもが主役の街キッザニア東京での「はんぺん職人」アクティビティなどの活動が挙げられる。

 《沿革》

 ・1938年(昭和13年)

 東京都中央区八丁堀に、保芦邦人が「山形屋米店」として創業。
 その後「紀伊国屋果物店」「紀文」に改称。

 ・1947年(昭和22年)

 株式会社として設立。

 ・1950年(昭和25年)

 銀座松坂屋など百貨店へ出店。

 ・1963年(昭和38年)

 業界に先駆けてオートメーション化。

 ・1972年(昭和47年)

 タイに現地拠点設置。海外進出を開始。

 ・1977年(昭和52年)

 紀文の豆乳を発売。

 ・1985年(昭和60年)

 CIを導入、シンボルマークを採用。
 「魚河岸あげ」誕生。

 ・1992年(平成4年)

 紀文と旧・紀文食品が合併。

 ・1993年(平成5年)

 タイに東南アジアの生産拠点完成。

 ・1995年(平成7年)

 恵庭工場竣工。

 ・1996年(平成8年)

 チーちくを発売。
 同時に特許出願。

 ・1997年(平成9年)

 東日本の供給拠点として東京工場完成。
 株式会社北食、紀文グループに参加。

 ・1998年(平成10年)

 東京工場対米輸出水産食品取扱認定施設・対EU輸出水産取扱認定施設 認定取得。
 紀文タイランドHACCP認定取得。

 ・1999年(平成11年)

 東京工場HACCP承認取得(総合衛生管理製造過程)およびISO9002認証取得。(2003年、ISO9001へ移行)

 ・2000年(平成12年)

 本社、横浜工場ISO9001認証取得。

 ・2001年(平成13年)

 紀文タイランドISO9002認証取得(2008年、ISO9001へ移行)。
 東京工場ISO14001認証取得。

 ・2002年(平成14年)

 マルハと水産練製品事業で業務提携を締結。

 ・2004年(平成16年)

 キッコーマンと資本・業務提携を締結。

 2005年(平成17年)

 横浜工場HACCP認定取得。
 海洋食品ISO9001認証取得、HACCP認定取得。

 ・2006年(平成18年)

 紀文フードケミファがキッコーマンの連結子会社に。
 静岡工場HACCP認定取得。

 ・2007年(平成19年)

 西日本の供給拠点として岡山総社工場完成。

 ・2009年(平成21年)

 恵庭工場、岡山総社工場HACCP認定取得。

 ・2010年(平成22年)

 岡山総社工場ISO9001認証取得。船橋工場HACCP認定取得。

 ・2013年(平成25年)

 糖質0g麺を発売。

 ・2014年(平成26年)

 カネテツデリカフーズと業務提携を締結。
 ISO9001からISO22000へ移行。
 恵庭工場、船橋工場、横浜工場、静岡工場、岡山総社工場ISO22000認証取得。

 ・2015年(平成27年)

 堀川と業務提携を締結。
 株式会社紀文西日本を設立。

 ・2016年(平成28年)

 株式会社紀文西日本岡山総社工場対EU輸出水産取扱認定施設 認定取得。
 株式会社紀文安全食品センター設立。

 ・2017年(平成29年)

 横浜工場対EU輸出水産取扱認定施設 認定取得。
 紀文安全食品センター、微生物検査に関する国際規格ISO/IEC17025:2005 認定取得。

 ・2021年(令和3年)

 東京証券取引所市場第一部に株式を上場。

 関連項目
   ー 大相撲(呼び出し進行役) ー

 呼出(よびだし)

 大相撲での取組の際に力士を呼び上げる「呼び上げ」や土俵整備から太鼓叩きなど、競技の進行を行う者。
 呼び出しや呼出しとも書かれる。
 行司と異なり特に受け継がれている名跡はないが、力士・行司と違い、下の名前しかないことが特徴。
 紀文食品が呼び出しの衣装(土俵着)の背中に広告を提供している。
 また2022年1月より日本相撲協会のオフィシャルトップパートナー契約を結んでいる。

 ◆歴史(呼び出し)

 呼出の元々の云われは上覧相撲の際に、次に土俵に上がる力士の出身地や四股名を披露する人がおり、「前行司」「言上行司」といって行司の役割に含まれる職種であった。

 平安時代の相撲節会には呼出という呼称は存在しなかったが、天皇や貴族に相撲人の奏上する「奏上(ふしょう)」という役目があって、「奏上者」の職名があった。
 これが現在の呼出の始まりとされている。

 江戸時代以後に勧進相撲になり組織的な制度ができるにつれて独立した職種となった。
 「触れ」とか「名乗り上げ」と呼ばれた時代もあったが、享和年間(1801〜1804年)になって「呼び出し」といわれるようになった(しかし、それ以前の寛政年間(1789〜1801年)の番付に「呼び出し」の文字が確認されている)。

 明治後期の呼出し長谷川勘太郎は名人と謳われ、呼び上げ写真がブロマイドにもなった。
 昭和初期までは呼出し奴と言われ地位も低かった。
 1932年では呼出し頭の長尾貞次郎を筆頭に40人ほどであった。
 栃若時代の太郎、小鉄も名人と謳われた。
 現在の呼出の定員は45人、採用資格は義務教育を修了した満19歳までの男子、停年(定年。以下同)は65歳。
 大相撲においては、力士、行司、床山と同様に各相撲部屋に所属する。
 2019年3月場所前の相撲誌の記事によると、1場所の研修期間後に面接を経て採用となるという。

 ◆役割

 呼出の主要な役割は、呼び上げ、土俵整備、太鼓叩きであるが、その他にも多種多彩な業務を行っている。

 ❒呼び上げ

 呼出の役割のうち、最も目立つものである。
 土俵上で扇子を広げて、独特の節回しにより東西の力士を呼び上げる。
 初日から数えて奇数日は東方から先に、偶数日は西方から先に一声で呼び上げ、十両最後の取組および、片やが三役以上の力士の場合には二声で呼び上げる(優勝決定戦は地位に関わらず一声)。
 奇数日の場合、一声は「ひ~が~し~、琴~×~×~、に~し~、○~○~やま~」、二声は「ひ~が~し~、琴~×~×~、琴~×~×~、に~し~、○~○~やま~、○~○~やま~」となる。
 仕切りの制限時間は呼出の呼び上げが終わった時点から計測する。

 ❒土俵整備

 本場所・巡業・各部屋の土俵造り(土俵築)、取組の合間にほうきで土俵を掃き清める、乾燥する土俵への水打ち、力水・力紙・塩・タオルの補充と管理、全取組終了後に仕切り線を書くなど。

 ❒太鼓叩き

 触れ太鼓(初日の取組を触れ歩きながら打つ太鼓)、寄せ太鼓(本場所の早朝に打つ太鼓)、はね太鼓(本場所の全取組の終了後に翌日の来場を願って打つ太鼓)など。触れ太鼓の口上は、「相撲は明日が初日じゃぞぇ~、琴~×~×~には、○~○~やま~じゃぞぇ~、ご油断では詰まりますぞぇ~」となる。

 ❒拍子柝打ち

 土俵入り、横綱土俵入り、土俵の進行などの合図など。

 ❒懸賞金

 懸賞幕(懸賞金を出す者の行なう広告)をもって土俵を一周する、懸賞金を行司に渡すなど。

 ❒力士の世話

 座布団を交換する、時間制限を伝える、水桶の横にてタオルを渡すなど。地方巡業では力水を力士につけることもある。

 ❒審判委員、行司の世話

 審判委員の座布団交換、ひざ掛けの世話、顔触れ言上の介助など。

 ❒役員室、相撲部屋の雑務

 現在では全員が呼び上げを行っているが、古くは分業制で、呼び上げ専門の呼出もいれば、他の仕事を専門とする者、つまり「呼出と名がつくものの、呼び上げない呼出」もいた。
 現在のように全員が呼び上げを行うようになったのは、1965年(昭和40年)からである。
 また、呼び上げのときの声の通り具合や声量は評価の対象ともなっている。

 ◆階級

 大相撲において、呼出の番付制が導入されたのは1994年(平成6年)7月場所からで、以下の9階級となる。
 同時に本場所における場内アナウンスでも紹介されるようになった。
 それまでの階級は、1等から5等までの等級制であった。

 「日本相撲伝」では1902年5月の呼出し名簿があり勘太郎、勝次郎、金次郎、重吉、亀吉、清吉、源七、三金、藤作、市太郎、與吉、伊勢徳、平吉、三代吉、市郎、小徳、駒吉、金作、才次郎と19人が掲載されている。

 1911年発行の「相撲鑑」には勘太郎を筆頭に25名いて給金は僅少だが錦絵や番付等を売って余禄とするとある。

 昭和初期までは呼出し奴と言われていた。1932年では呼出し頭の長尾貞次郎を筆頭に40人ほどであった。

 相撲雑誌の名鑑等にも昭和40年代まで掲載されなかった。

 現在は十両呼出以上の名前が番付に書かれており、それ以前は1949年(昭和24年)5月場所から1959年(昭和34年)11月場所までの10年間、呼出が番付に掲載された(番付には「呼出し」と書かれた)。
 初めて呼出として番付に掲載された者は太郎、夘之助、栄次郎、源司、安次郎、栄吉、福一郎、小鉄、徳太郎、茂太郎、粂吉、松之助、寅五郎、雄次、多賀之丞、島吉の16人。歴史的経緯もあり、呼出は行司よりもやや地位が低く見られた。

 呼出の番付上の位置は、現在では西の最下段の親方衆より左側である。平成期の一時期は若者頭や世話人とともに中軸の下の方(「日本相撲協會」の文字よりは上)に記載されていたことがあった。

 ◎現在の階級

 9階級の役責に分類され、行司の階級と違い、幕内格、十枚目格といった「格」という名称は用いない。

 ・立呼出
 ・副立呼出
 ・三役呼出
 ・幕内呼出
 ・十枚目呼出
 ・幕下呼出
 ・三段目呼出
 ・序二段呼出
 ・序ノ口呼出

 力士・行司はすべての階級が番付に表記されているが、呼出は十枚目呼出以上が番付表に表記されていて幕下呼出以下は番付表に表記されない。
 また、幕下格以下の行司と同様、幕下呼出以下は本場所の取組における場内アナウンスでの紹介は行われていない。
 ただし、千秋楽の幕内土俵入りの前に行われる十枚目以下各段の優勝決定戦では、幕下格以下の行司・幕下呼出以下でも「呼出は○○、行司は木村(式守)○○、○○(階級)優勝決定戦であります」との場内アナウンスが行われる。
 基本的にはほぼ年功序列であるが、昇格のときに地位の追い抜きが発生することもある。
 例えば、1999年9月場所から2000年11月場所までは次郎と克之の序列が現在と入れ替わっていた。

 ◆昇格規定

 ・三役呼出以上(立呼出:1人、副立呼出:2人以内、三役:4人以内)
 勤続40年以上で成績優秀な者、または勤続30年以上40年未満で特に優秀な者。

 ・幕内呼出(8人以内) 勤続30年以上で成績優秀な者、または勤続15年以上30年未満で特に優秀な者。

 ・十枚目呼出(8人以内) 勤続15年以上で成績優秀な者、または勤続10年以上15年未満で特に優秀な者。

 〔ウィキペディアより引用〕



ダカーポ ♯011

2023-09-20 21:00:00 | 日記

 ■暗証番号及びパスワード

 暗証番号または個人識別番号
 (英: personal identification number, PIN)
 システムと使用者の間で共有する秘密の番号パスワードであり、そのシステムでの使用者の認証に使われる。
 稀に個人認証番号ともいう。

 私達、日常的に否応なく目にする“暗証番号”必要不可欠のこの御時世。

 せめて銀行を利用する際の暗証番号だけは、必死に覚えなければならず、困ったもんだ(自分自身)。

 たかが4桁、されど4桁。

 そもそも、銀行やクレジットカードの暗証番号はなぜ4桁なのか。

 4桁の数字の組み合わせは、0000から9999の1万通りしかなく、利用者が増えれば同じ暗証番号の人が多く存在することになる。
 一つずつ試してみても当たりそうな数だし、コンピューターにやらせればあっという間に終わりそうだ。
 貴重なお金を守るには、あまりにも脆弱(ぜいじゃく)にみえる。

 『暗証番号はなぜ4桁なのか?』の著者で中央大学教授の岡嶋裕史さん(50)は「人間の記憶能力とリスクとのバランスだろうが、4桁とした論理的な理由はなく、『えいやっ』と決められたものだ」と話す。

 英国の大手銀行バークレイズが休日にもお金を引き出せるようにしようと、世界初のCD(現金自動支払い機)を世に出したのは1967年のこと。
 このときに採用された暗証番号が4桁だった。
 開発に携わったジョン・シェパードバロンが、暗証番号を4桁とした理由をBBCの取材に語っている。
 「はじめは6桁にしようと思ったが、妻が4桁までしか覚えられないといったので……」

 アルファベットを交ぜると、すべてのCDにキーボードを取り付けなければならないが、番号であればテンキーで事足りる。
 さらに数字4桁だと誕生日をあてればいいこともあり、忘れない番号として広く使われるようになったという。
 「キャッシュカードを持っていることで本人と識別し、正しい暗証番号を入れることで本人のものだと認証する。
 セキュリティーは基本的にこの識別と認証の組み合わせだ」と岡嶋さんは説明する。

 たとえば家の玄関や自動車は、鍵を持っている人を本人と識別するだけの仕組みだから、盗んで対象を特定できれば家に入ったり車を動かしたりできる。
 一方、キャッシュカードを盗んだり拾ったりしてATMに入れても、暗証番号という本人認証をくぐり抜けなければ、お金を引き出すことはできない。

 この本人の識別・認証の仕組みに衝撃を与える出来事があった。
 キャッシュカードの磁気情報をスキミングしてつくった偽造カードで預金を盗まれる事件が相次いだのだ。
 2005年、ゴルフ場のロッカーとキャッシュカードの暗証番号を同じにしている人が多いことに目をつけた犯行を重ねたグループが逮捕された。
 被害者が気づくのは預金が引き出された後で、心当たりもないのだが、銀行は本当に本人が引き出したのかもしれず補償はしてくれない。
 そんな銀行の対応に批判が集まり、被害額を原則として銀行が補償する「偽造・盗難カード預貯金者保護法」が成立した。
 日本銀行で当時この問題に取り組んでいた京都大学教授の岩下直行さん(60)は1990年代後半から、キャッシュカードの磁気テープと4桁の暗証番号の脆弱性を指摘し、安全性向上を訴えてきた。
 「事件をきっかけに銀行はICカードや生体認証の導入を進め、ATMの引き出し限度額を1日50万円に引き下げた。
 犯人にとって『割に合わない』犯罪となり被害が激減した」と解説する。

 「銀行は窓口で通帳と印鑑による本人認証を続けてきたが、人件費削減のためもあり導入を進めたATMのシステムが30年たってほころびが出始めた時期の事件だった。
 暗証番号は4桁のままだが、ワンタイムパスワードなどが導入され、安全性は増した」という。
 ワンタイムパスワードとは、ネットバンキングの振り込みなどで必要になる認証システムだ。
 カードやスマホのアプリなどにパスワードが表示される。
 カードやアプリには時計と預金者固有の「秘密鍵」が入っている。
 表示されるランダムな数字を打ち込むと、入力した時間とともに記録される。
  銀行側はその人が持っている秘密鍵を把握しており、打ち込まれた数字と時間の組み合わせが正しいか判断して本人認証が完成する。
 だから、そのカードが盗まれて他人が使ったとしても、秘密鍵が異なるのでお金を盗むことはできない。

 進化を遂げる本人の識別・認証の仕組みだが、岡嶋さんと岩下さんは「お金の世界だけではない」と口をそろえる。
 岡嶋さんは「本人確認とは『自分が自分だ』という根源的な主張ともいえる。
 昔は存在を認めてもらえる共同体の中で生きていたが、人の移動が盛んになり、さらにネット社会となったことで、知らない人に自分を認めてもらうのに時間がかかるようになった。
 それを素早く終わらせるのが、識別と認証のシステムだ」と語る。

 岩下さんも「ネットの世界では打ち込んでいるのが人間かロボットか、なりすましか区別がつかないので、自分が自分と証明するのは重要だ。
 メールアドレスなどとパスワードでログインするグーグルやフェイスブック、ツイッターが、別のメールアドレスや電話番号などの登録を求めてくるのは、リアルな人間とひもづける努力だ」としたうえで、こう指摘する。

 「ネットの世界では、リアルな人間とひもづける手段がパスワード、つまり自分しか持っていない鍵だ。
 リアルの限られた社会からバーチャルのネット空間が拡大することで、財産を守るものから、自分が自分と証明するものへ、と鍵の存在意義が変わったといえる」

 〔情報元 : 朝日新聞/GLOBE+〕

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 一般に使用者がシステムを利用する際、公開の使用者識別子(ID、トークン)と秘密のPINの入力を要求される。
 ユーザーIDとPINを受け付けると、ユーザーIDに対応するPINを参照し、それを受け付けたPINと比較する。
 入力した番号とシステム内に格納されている番号が一致した場合のみアクセスが許可される。

 PINが最も多く使われるのはATM利用時だが、デビットカードとクレジットカードの形でPOSの信用照会でも、利用が広がっている。

 ヨーロッパでは、クレジットカード利用時に署名するという従来からの方法から、代わりに信用照会端末でPINを入力するという方法に置き換わりつつある。
 イギリスとアイルランドでは、EMVというICカードの規格と共に、PINが導入されたため、この方式を 'Chip and PIN' と呼ぶ。
 それ以外の世界各地では、EMV導入以前からPINが使われていた。
 金融以外の分野では、GSM携帯電話で、利用者が4桁から8桁のPINを入力できる。
 このPINはSIMカードに記録される。 2006年、暗証番号の発明者と言われる James Goodfellow は、大英帝国勲章 (OBE) を授与された。

 金融関係ではPINは4桁の番号、つまり 0000 から 9999 であることが多い。
 すなわち1万種類の番号がありうる。
 しかし銀行によっては、同じ数字だけの番号(1111、2222など)や連続する数字(1234、2345など)や利用者の誕生日や0から始まる番号を許さない場合もある。
 システムにPINを入力する際、3回まで試行できることが多く、盗んだカードをブロックされずに正しいPINを入力して使える確率は0.06%である。
 もちろんこれは全ての番号が同じ確率で、犯人が何の情報も持っていない場合であって、かつてのPIN運用方法ではそうはいかなかった。
 2002年、ケンブリッジ大学の大学院生 Piotr Zieliński と Mike Bond は、IBM製ATM IBM 3624 でのPIN生成システムのセキュリティ上の欠陥を発見した。
 このATMの方式はその後の装置の多くでそのまま採用されていた。
 その方法は decimalization table attack と呼ばれ、銀行のコンピュータシステムにアクセス可能であれば、カードのPINを平均15回の推測で特定できる。

 携帯電話のPINを3回入力ミスすると、サービスオペレータが提供する個人ブロック解除コード (PUC) を入力するまでSIMカードがブロックされる。
 PUCを10回入力ミスすると、そのSIMカードは完全にブロックされ、新たなSIMカードに交換してもらうしかなくなる。

 ◆パスワード
 (英: password)

 一般的に合言葉を指すが、特にコンピュータ関連で使用する場合は、特定の機能・権限を使用する際に認証を行うために入力する文字列(文字・数字・記号等の組合せ)を指す。
 利用者の名前(ユーザー名)とパスワードの組み合わせが事前に登録されたものと一致するとコンピューターやサービスを利用できるようになる。

 パスワードのうちで、数字のみで構成される文字列を暗証番号(PIN)という。
 金融機関のATMや携帯電話の本人確認で利用される。

 文字列の長さが数十文字以上と長いパスワードのことを特にパスフレーズと呼ぶことがあり、高いセキュリティが必要なシステムで用いられる。

 多くのシステムでは、パスワードに用いることのできる文字はアルファベット(ラテン文字)26文字(大文字・小文字が区別される場合は52文字)、アラビア数字10文字、
 +(プラス記号)、
 -(マイナス記号)、
 /(スラッシュ)、
 !(感嘆符)、
 "(二重引用符)、
 #(ナンバー記号)、
 |(バーティカルバー)、
 _(アンダースコア) などの記号に限定されているが、マルチバイト文字を用いることができるものもある。

 ◆生体認証

 バイオメトリック(biometric)認証あるいはバイオメトリクス(biometrics)認証とも呼ばれ、人間の身体的特徴(生体器官)や行動的特徴(癖)の情報を用いて行う個人認証の技術やプロセスである。

 生体認証では、通常「テンプレート」と呼ばれる情報を事前に採取登録し、認証時にセンサで取得した情報と比較することで認証を行う。
 単に画像の比較によって認証とする方式から、生体反応を検出する方式まで様々なレベルがある。
 暗証番号、パスワードや物による認証では、忘却や紛失によって本人でも認証できなくなったり、漏洩や盗難、総当り等の攻撃によって他人が認証される虞れがある。
 生体情報の場合はそれらの危険性が低いと一般には考えられている事から、手軽な認証手段(キー入力や物の携帯が不要)、あるいは本人以外の第三者が(本人と共謀した場合でも)認証されることを防止できる手段として、建物などの入口、キャッシュカードやパスポート(入出国時)などの認証手段に採用されている。
 しかし、広く一般に使用されるためには、怪我・病気・先天性欠損などによって生体認証ができない人々への対応も必要になる。
 また、経年変化によって認証ができなくなったり、複製によって破られたりする可能性がある。
 生体情報はパスワードのように任意に更新することができないため、一度複製により突破されてしまうと、同一の認証基盤ではもはや安全性を回復できなくなる、致命的な問題を持っている。現時点では実際に生体情報の複製や偽装に対する安全性が疑問視されている製品もある。

 生体認証では、原理的に、本人であるにもかかわらず本人ではないと誤認識してしまう「本人拒否率」(第一種過誤、偽陽性)と他人であるにもかかわらず、本人と誤認識してしまう「他人受入率」(第二種過誤、擬陰性)がトレードオフの関係にある。
 他人受入率を限りなく0にしようとすると本人拒否率も高くなってしまう[55]ため、一般的に実用化されている生体認証では他人受入率が0ではない状態となっている(第一種過誤と第二種過誤も参照)。そのため、銀行ATMなどでは生体認証と暗証番号を併用し、両方の入力を求めることによって高いセキュリティが確保されているとする。
 音声や筆跡など当人のその日の状態に依存する認証方法よりも、指紋、静脈、虹彩といった当人の状態に依存しない認証の方が精度が高いと言われているが、しかし、これらの認証方法を使ったシステムでもセキュリティ上疑問の残るシステムも出回っている。
 現時点では、これまでのパスワードなどの方法との併用が、現実的かつ安全・確実な手段である。

 数百円程度の費用で実現可能な攻撃方法も、複数知られている。具体的にはゼラチンやシリコンラバーで作った人工指で多くの指紋認証システムを通過できる。
 紙で作った人工虹彩で虹彩認証システムを通過できる可能性がある。
 簡易な顔認証では本人の写真で通過できるものもある。
 静脈認証システムでも、生体以外(大根で作った人工指)を登録できる装置がある。
 これらの問題には、例えば生体以外の物に反応しないように改善したり装置の精度を上げるなどの対応がなされているが、システムが高価になり、また認証技術開発者と脆弱性研究者とのいたちごっこの状態である。

 ❒指紋認証の場合は、残留指紋をゼラチンに写し取って人工指を作り、その人工指で認証を通過させる事に成功している。
 さらに、木工用ボンドを利用してスライド式の指紋認証を突破できる(ゼラチンではエリア型のみ)と日本の大学生が発表した。
 実システムに対して、指に特殊なテープを張って指紋の変造をし、指紋認証を突破した事件も発生している。

 ・2008年3月、高解像度の撮影画像から指の部分に写っている指紋を利用して、指紋を偽造することが可能であると、CCCと呼ばれるハッカー集団が発表した。
 こうした偽造に対処する方法も研究されている。

 ❒虹彩認証の場合は、虹彩画像を印刷した紙で偽証ができたという研究例が発表されている。

 ❒静脈認証の場合、2005年時点では、人工指をデータ登録して認証を通過させるという実験に成功しただけなので、誤認証が起こる危険があるとただちに言い切ることはできない。
 しかし、内部犯などが不正にデータを登録する可能性は否定できず、このようなケースで人工指のデータ登録がなされると、結果的に人工指で認証を通過できてしまうということになる。

 これらの突破方法の多くは、登録や認証の際に通常とは違った不自然な行動を伴うので、登録時や認証時の様子をつぶさに監視することで防げる場合もある。

 ・怪我や病気などによって、認証を受けられなくなってしまう危険がある。

 ・対象者が成長期にある場合、生体要素の形や大きさが変わってしまい、本人拒否率が上がってしまう。

 ・生体情報は基本的に生涯不変であるが故に、一度複製によって破られてしまうと同一の認証基盤ではそれ以降の安全性を回復できない。

 ・生体情報は基本的に生涯不変であり、個人情報としての取扱に問題が起こる(悪意のある管理者に個人が対抗できない。
 また、善意の管理者であっても機微情報であり取扱に相応の注意とコストを要求され、それはしばしば法令により強制される)。

 ただし、これらの指摘は必ずしも全ての生体認証技術に該当するわけではない。方式によっては元々問題とはならない物や、既に解決策が開発済みの物もある。

 ◆静脈認証

 人体の皮膚下にある静脈形状パターンの画像に基づいたパターン認識技術を使った、生体認証の一方式である。
 現時点では、指、手のひら、手の甲など、手首から先の部位を使ったものが主流である。
 静脈認証の主な事業者には、指の静脈を使った日立製作所、モフィリア、手のひらの静脈を使った富士通などがある。 NECも指の静脈を使った生体認証技術を有しているが、指紋認証の補完としての利用に限定しているため他社とは形態が異なっている。

 指、手のひらの静脈パターンは、指紋や虹彩などの他の生体(バイオメトリクス)データと同じように個々人でユニークである。
 同一個人であっても、すべての指、手のひらが異なるパターンを持っており、法則性がない。

 ❒利点

 ・本人拒否率や他人受入率といった、生体認証の性能を表す指標でもっとも高い数値を示す、もっとも精度の高い生体認証方式と言われている。

 ・他の生体認証システムと違って、体内の情報を使用するため、静脈パターンを偽造することはほぼ不可能とされている。

 ・乾燥、湿潤、荒れなど、手指の表面の状態の影響を受けにくい、安定した認証が行える。

 ❒欠点

 ・指紋認証などと比べて、認証機器がやや高額である。

 ・手袋や絆創膏をした手では、正常な認証が行えないことが多い。
 指輪をした場合や、手指の冷えなどで血流が減少して精度が落ちることがある。

 ・主な事業者がほぼ日本の企業に限定されていることもあり、日本以外の国々では知名度が低い。

 ◎日本での利用例

 ・多くの都市銀行、一部の地方銀行や新たな形態の銀行の現金自動預け払い機、アミューズメント施設のメダル預かりシステムで暗証番号とともに指ないし手のひらの静脈の形を読み取って本人確認を行う。
 なお、2020年代以降、銀行の生体認証機能付きICキャッシュカードおよびATMはサービス終了が相次ぎ、スマホATMへの代替が進んでいる。

 ・パーソナルコンピュータのログイン時に、専用機器を用いて認証を行う。

 ・日本赤十字では、献血者の本人確認のため、指静脈認証を(2014年5月14日、北海道から順次)採用している。

 ・住民基本台帳ネットワークシステムの職員認証

 ・飲食店でのポイントシステム

 ◎海外での利用例

 ・トルコ共和国の医療体制革新プロジェクト

   〔ウィキペディアより引用〕



銭の花《商魂》 ♯014ーA

2023-09-13 21:00:00 | 日記

 ■キューピー?キユーピー? ①

 キューピーと言えばマヨネーズ。
 3分クッキングもありますが。

 キユーピー株式会社
(キューピー)
 (英: Kewpie Corporation)

 1919年(大正8年)に設立されたマヨネーズなどの調味料を主力としている日本の食品メーカー。
 株式会社中島董商店、アヲハタ株式会社とともに「キユーピー・アヲハタグループ」を形成している。

 《概要》

 母体は現在の中島董商店で、創立者の中島董一郎が若いころのアメリカ留学時代にマヨネーズと出会い、1919年(大正8年)、東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区小滝町)に食品工業株式会社を設立。
 1925年(大正14年)3月に国産初のマヨネーズ(キユーピーマヨネーズ)の製造を開始、1957年(昭和32年)に社名を「キユーピー株式会社」に変更。
 現在も中島董商店がキユーピー・アヲハタグループの中核となっている。
 有名なマヨネーズのほかにも、さまざまな食品、調味料、業務用製品も手がけている。
 食品流通トップのキユーソー流通システムはキユーピーから独立した会社。ディスペンパックジャパン、サラダクラブは三菱商事との合弁会社である。

 《社名と商標》

 社名・商標の正式な表記は、「キユーピー」であり、小字を用いた「キューピー」ではない。

 この表記を継続しているのは、キユーピー側ではデザイン上の理由であるとしている。同様の例として富士フイルム、キヤノン、シヤチハタ、オンキヨー、エーアイテイー、ジヤトコ、キヤリアなどがある。
 国語国字改革前に創業した老舗企業では、歴史的仮名遣として社名の拗音を現在でも小書きにしない会社も多い。

 なお、ドレッシングボトルの点字では、読みを優先させるという観点から「きゅーぴー」で表記している。

 ・ロゴマークの由来はキューピー人形である。
 ただしイスラム圏では、キユーピーが天使(イスラム教の禁忌である偶像崇拝)と誤解されないために、2013年から羽のないキユーピーが描かれている。


 キユーピーの英文商号は、2010年2月まで「Q.P. Corporation」としていたが、同年2月23日より「Kewpie Corporation」に変更した。
 製品のマヨネーズに印字される文字は、以前から常にキューピー人形と同じ「KEWPIE」で、公式ウェブサイトのドメイン名もkewpie.co.jpである。
 瓶入りマヨネーズなど、極一部の製品にこの文字が印字されている。
 2010年(平成22年)1月21日に同年2月23日の株主総会で、英文商号を「Kewpie Corporation」に変更する提案の告知が行われ、実際に変更が行われた。
 2017年(平成29年)から、テレビ番組における協賛表示クレジットやCMサウンドロゴも「キユーピー」から「kewpie」に変更されている。

 ・キユーピーのマークは1922年(大正11年)に日本で(第147269号)、1965年(昭和40年)にアメリカ合衆国で商標登録を行っている。

 ・企業キャッチフレーズは「Food, for ages 0-100」「愛は食卓にある。
(love around the kitchen table)」。
 2007年(平成19年)4月からは「愛は食卓にある。」のキャッチフレーズを加えて商標として使用している。

 ・1998年(平成10年)、ローズ・オニール遺産財団からキューピーの日本での著作権を譲り受けた「日本キューピークラブ」の代表が、「キユーピーマヨネーズのロゴマークは著作権侵害にあたる」と裁判を起こしたが、原告の請求は棄却された。

 ・東京都世田谷区の「キューピータクシー」という社名のタクシー会社を、キユーピーが商標の無断使用で裁判に訴えた。
 そのため、この会社は2000年(平成12年)3月1日付で、ビゲスト株式会社(Biguest=BigとGuestの合成語)に社名を変更した。

 《沿革》

 出典:キユーピー企業サイト「キユーピーの歩みと未来」

 ◆1919年(大正8年)
 11月 中島董一郎が、東京都中野区小滝町(当時は東京府豊多摩郡中野町)に食品工業株式会社を創業。

 ◆1925年(大正14年)
 3月 日本初のマヨネーズ「キユーピーマヨネーズ」を発売、商標として「キユーピー」を使用。

 ◆1932年(昭和7年)
 株式会社旗道園(現・アヲハタ)を設立。

 ◆1933年(昭和8年)
 東京府北多摩郡西府村(現在の東京都府中市)に西府農場を設置、マヨネーズ原料の鶏卵を生産。

 ◆1938年(昭和13年)
 現在の兵庫県伊丹市に稲野工場(現・伊丹工場)を設置。

 ◆1941年(昭和16年)
 中島董一郎が代表取締役社長に就任。

 ◆1945年(昭和20年)
 東京市内の空襲により、中野区の本社および工場を焼失。

 ◆1948年(昭和23年)
 戦時中に中止していたマヨネーズ製造を西府農場で再開。

 ◆1951年(昭和26年)
 東京府北多摩郡神代村(現在の東京都調布市仙川町)に仙川工場を設置(現・仙川キユーポート)。

 ◆1957年(昭和32年)
 9月 社名を食品工業株式会社からキユーピー株式会社に変更。

 ◆1958年(昭和33年)
 日本初のドレッシング「キユーピーフレンチドレッシング(赤)」を発売。

 ◆1959年(昭和34年)
 日本初のミートソース缶詰「キユーピーミートソース」、日本初のホワイトソース缶詰「キユーピーホワイトソース」を発売。

 ◆1960年(昭和35年)
 本社を東京都調布市仙川町に移転。

 ◆1962年(昭和37年)
 東京都府中市に西府産業株式会社(現・キユーピー醸造株式会社)を設立。
  ・12月3日
  テレビ番組
  『キユーピー3分クッキング』の放送開始。

 ◆1964年(昭和39年)
 佐賀県鳥栖市に鳥栖工場を設置(現・鳥栖キユーピー株式会社)。

 ◆1965年(昭和40年)
 日本初の醤油ベースドレッシング「キユーピー オリエンタルドレッシング」発売。

 ◆1966年(昭和41年)
 2月 キユーピーの倉庫部門が分離・独立し、キユーピー倉庫株式会社として設立(現・キユーソー流通システム)。

 ◆1968年(昭和43年)
 3月 本社を東京都渋谷区に移転。

 ◆1970年(昭和45年)
 7月 東京証券取引所第2部に上場。

 ◆1972年(昭和47年)
 キユーピー製造商品の販売を中島董商店からキユーピーに移管。

 ◆1973年(昭和48年)
 4月 東京証券取引所第1部に上場。
 12月19日 創業者の中島董一郎が死去。
 12月 キユーピー株式会社、中島董商店の販売部門を継承。

 ◆1977年(昭和52年)
 東京都府中市の中河原工場が仙川工場から独立。

 ◆1988年(昭和63年)
 中河原工場の分工場として、青森県三戸郡に階上工場を設置(現・階上キユーピー株式会社)

 ◆1993年(平成5年)
 中華人民共和国に北京丘比食品有限公司を設立。

 ◆1998年(平成11年)
 日本初の家庭用介護食を発売。
 翌年、ユニバーサルデザインフード「キユーピー やさしい献立」を発売。

 ◆1999年(平成12年)
 2月 東京都府中市住吉町に、株式会社サラダクラブを三菱商事との合弁会社として設立。
 (2013年10月、仙川キユーポートへ本社移転)。
 4月 サラダクラブ中河原工場(キユーピー中河原工場内)でパッケージサラダ5品の製造販売を開始。

 ◆2013年(平成25年)
 9月1日 連結子会社の株式会社菜華(生鮮野菜の加工・販売業)を吸収合併。
 10月15日
 ・渋谷の本社社屋の建て替え工事に伴い、本社を旧仙川工場跡地に完成した仙川キユーポートへ仮移転。
 ・中島董商店などグループ4社の社屋・事務所、労働組合や企業年金の事務所もそれぞれ仮移転。

 ◆2014年(平成26年)
 12月 会社分割によりアヲハタにパン周り商品の販売事業を移管し、これに伴う株式取得でアヲハタを連結子会社化。

 ◆2015年(平成27年)
 中河原工場の敷地内に、キユーピーグループ研修センター「みらいたまご」を開設。

 ◆2016年(平成28年)
 1月18日 渋谷董友ビル(新本社ビル)竣工に伴い、本社が渋谷区渋谷に再移転。

 ◆2018年(平成30年)
 中華人民共和国に広州丘比食品有限公司、フィリピンにKewpie Philippines, Inc. 設立。

 ◆2019年(平成31年/令和元年)
 創業100周年を迎える。

 ◆2021年
 6月30日 保有していた富士吉田キユーピー株式会社全株式をはくばくへ譲渡。
 7月27日 挙母工場について2023年末までに生産を終了すると発表した。

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 《広報活動》

 キユーピーマヨネーズの広告については、1968年よりライトパブリシティの秋山晶と細谷巌らが50年もの長きにわたり、一貫した「トーン&マナー」でクオリティの高い作品を制作している。
 また、パスタソース、ドレッシングの広告ではライトパブリシティ出身の山下勇三が制作。

 ▼新聞広告

 キユーピーマヨネーズの新聞広告は全国紙や一部地方紙にて毎月1回、給料日(25日)明け最初の日曜日付朝刊の1面中段部(いわゆる「記事中」)に掲載されている。
 キユーピーマヨネーズ300g瓶とシルエット、それをバックに料理皿を持ったキユーピーのイラストが描かれたレイアウトになっている。
 キユーピーが持っている皿に乗っているのはマヨネーズをかけたサーモンである。これはキユーピーマヨネーズが世に出た当初(1920年代)まだ日本では生野菜を食べる習慣がなく、マヨネーズはおもに魚料理に使うよう発売されていたためである。
 このレイアウトが60年以上使用されており、現在の広告には「毎日のお食膳に」と記されている。

 ▼たらこキユーピー

 2004年(平成16年)10月に放送を開始した「キユーピー あえるパスタソース たらこ」のCMは、たらこを連呼するCMソング『たらこ・たらこ・たらこ』(作詞:加藤良一、作曲:上野耕路)に合わせて、たらこの格好をしたキユーピーちゃん人形(通称:たらこキユーピー)が行列行進するもので、2006年(平成18年)にはCMソングがCD化されオリコンシングルチャートのトップ10入り、新語・流行語大賞のベスト10入りするなど大流行した。
 このCMを制作したのはCM監督の加藤良一。
 たらこキユーピーはキモかわいいとして人気を集め、CMで本来宣伝するはずだった「あえるパスタソース」よりも有名になった。
 これに対し、加藤良一は日本経済新聞のインタビューで「僕にはかわいいとしか思えない。感覚がずれているのかなあ」と語っている。

 キユーピー社内では本来、たらこキユーピーのキャラクター商品を販売する予定はなかったが、関係者らに配布した携帯ストラップが評判になったため、商品化に踏み切った。
 2006年(平成18年)にはロックバンドthe brilliant greenのボーカルの川瀬智子のソロプロジェクト「Tommy heavenly6」がリリースしたシングル「I'm Gonna SCREAM+」のミュージック・ビデオで、たらこキユーピーがゲスト出演している。
 2018年(平成30年)、6年ぶりにたらこキユーピーの出演するCMが制作・放送された。

 ▼テレビ・ラジオの提供番組

 ▶テレビ

 主に30秒枠のテレビ提供番組が多い。
 しかし、2009年4月の改編でCMの放送時間が大幅に変わった(例えば、東海テレビ制作フジテレビ系全国ネットの昼帯ドラマ隔日の提供、『ぴったんこカン・カン』など)。
 独立UHF局向けにも『佐藤しのぶ 出逢いのハーモニー』(tvk発でチバ・テレ玉・SUN-TVへネットしている)のスポンサーである。
 30秒枠。近年ではBS朝日・BSジャパンなどBSテレビ局でも提供番組を持っている。 稀に特別番組で筆頭提供することもある。

 ★主な提供番組

 ・キユーピー3分クッキング
 (日本テレビ・CBCテレビなど、現在の筆頭提供番組)
 60秒枠(CBC版は90秒枠)。

 ・Fresh Faces 〜アタラシイヒト〜(BS朝日、現在の筆頭提供番組)60秒枠。

 ・TBS系金曜ドラマ☆ - 60秒。→土8ドラマ☆( - 2010年9月)→渡る世間は鬼ばかり第10シリーズ
 ☆(同年10月7日放送の『こんなスゴイの撮れちゃった!世界ご自慢動画ハンター!!』より提供)→木曜ドラマ9☆(2011年10月 - 2013年3月)

 ・おしゃべりレタス(テレビ埼玉・千葉テレビ・テレビ神奈川)
 ☆ - 1980年代末期

 ・経済ドキュメンタリードラマ ルビコンの決断(テレビ東京)

 ・パンチヤングFUKUOKA(九州朝日放送)☆ - 1970年代

 ・ちびまる子ちゃん(フジテレビ系)☆

 ・伊東家の食卓(日本テレビ系)☆

 ・FNNスーパータイム(フジテレビ系)☆

 ・学校へ行こう!(TBS系)☆

 ・探険! ホムンクルス 〜脳と体のミステリー〜→脳力探険クイズ! ホムクル→8時です!みんなのモンダイ(TBS系)☆

 ・TBS木曜9時枠の連続ドラマ(TBS系)☆

 ・ニュースJAPAN(フジテレビ系)☆

 ・『スーパータイム』番組終了後に提供。

 ・金曜ロードショー☆(日本テレビ系、2009年4月〜2010年3月と2010年10月〜2012年3月、かつてスポンサーだったことがあったがしばらく降板していた)

 ・水曜ドラマ(日本テレビ系、2012年4月)、「金曜ロードショー」から移動。

 ・はなまるマーケット→いっぷく!→白熱ライブ ビビット☆
 (TBS系、隔日、月 - 金曜 9:05頃 - 9:45頃の間、提供枠は同枠後継番組に移動)

 ・ひるおび!(TBS系、月・水曜の各13時台、2009年3月までの『ひるドラ』から提供枠ごと移動、2009年4月1日 - 新規→2012年4月より12時台隔日へ移動、2021年9月2週目から中断したが2021年10月4日から再開。
 2022年3月31日で撤退。
 『THE TIME,』へ提供枠移動(番組は継続中)。

 ・えなりかずき!そらナビ(TBS系、中部日本放送制作、金曜13時台、3週おきに前中後半の週替わり入れ替え制、2009年4月3日 - 新規):『ひるドラ』の金曜枠後継番組。『バンバンバン』(毎日放送制作枠)の番組終了と『ひるおび!』の金曜拡大に伴い2010年4月2日より9月24日まで金曜14時台に放送時間変更(引き続き3週おきの前中後半の週替わり入れ替え制)から『そらナビ』の終了に伴いTBSへ放送枠を返上し、『がっちりアカデミー!!』(TBS制作枠金曜19時)の『徳光和夫の感動再会 逢いたい!涙・涙・涙スペシャル』(2010年10月1日放送の特別番組)より金曜19時台後半枠複数社へ提供枠移動。
 ただし、一時的なスポンサー提供として『ホンネ日和』(中部日本放送制作、日曜23時30分、2011年4月3日 - 2012年3月25日のトーク番組)あり。
 その後、この提供枠は2012年4月より『ひるおび!』の平日隔日12時台パターン2へ再々移動した。

 ぴったんこカン・カン(TBS系、火曜18:55時代、2009年4月以降は金曜19:55に放送時間変更。
 2021年9月24日の最終回まで提供していた。
 しかし同枠の後継番組には提供せず、TBS・JNN系の提供番組は10月以降『ひるおび!』の平日隔日12時台のみとなった。)☆

 ・情報プレゼンター とくダネ!(フジテレビ系、火・木曜の9:30頃 - 9:50頃)☆:2008年10月〜2009年3月はこれ以外に水曜にも提供、2009年1月1日予定分を1月9日金曜に振り替えて放送されていたこともあったが、2013年3月26日・28日をもって降板した。
 提供枠は「めざましどようび」へ移動している。

 ・THK発昼の帯ドラマ(フジテレビ系、隔日)☆(2013年3月末で30年以上の提供から降板した。
 同枠の後継は2013年4月から明治が昇格している。)

 〔ウィキペディアより引用〕



銭の花《商魂》 ♯014ーB

2023-09-13 21:00:00 | 日記

 ■キューピー?キユーピー? ②

 《広報活動》 

 ▼テレビ・ラジオの提供番組

 ▶テレビ

 ・関西テレビ制作火曜夜10時枠の連続ドラマ(第2期)☆→関西テレビ制作火曜夜9時枠の連続ドラマ☆(フジテレビ系、一部の地域を除く):同枠が特番編成の場合フジテレビ送出になることもあった。
 2016年10月改編に伴うカンテレ制作全国ネット枠の見直しにより、現在に至る。
 2017年7月期については単発特番を除きクレジットを自粛していた。理由は後述。→関西テレビ制作月曜夜10時枠の連続ドラマ(第2期)

 ・臨場→警視庁捜査一課9係→相棒8→臨場(第2シリーズ)→新・警視庁捜査一課9係→相棒9→遺留捜査→新・警視庁捜査一課9係2ndシーズン→相棒10→Answer〜警視庁検証捜査官→警視庁捜査一課9係シーズン7→相棒11→遺留捜査第3シーズン→警視庁捜査一課9係シーズン8→相棒12など(テレビ朝日系、水曜21時枠の刑事ドラマ):2009年4月1日の「クイズ雑学王3時間スペシャル」より新規。
 ドラマ内において登場人物たちが使用する際にキユーピーマヨネーズなどの商品が登場している。

 ・土曜ワイド劇場(テレビ朝日系、22時台前半または後半の週替わり。
 レギュラー提供は2010年3月27日をもって降板したが、2012年4月14日より単発提供の形で提供再開。提供終了時期は不明)☆

 ・モーニングバード!☆(テレビ朝日系など、2012年4月より水曜・ネット前半枠での提供していたが、2013年3月27日をもって降板)

 ・おとなの教室☆(TBS系、中部日本放送制作、木曜のみ、2009年10月1日 - 11月):週によっては「キユーピー」表記ではなく「アヲハタ」表記の場合もあった。

 ・どうぶつ奇想天外!(TBS系、日曜20時へ移行後の番組後期 - 最終回まで)☆

 ・出没!アド街ック天国(テレビ東京系、2007年4月 - 2008年9月)

 ・ペット大集合!ポチたま(テレビ東京系、2008年10月 - 12月)

 ・ザ・ベストテン(TBS系)☆

 ・ザ!鉄腕!DASH!!(日本テレビ系)☆


 ・ごくせん第2シリーズ(日本テレビ系)☆

 ・1億人の大質問!?笑ってコラえて!(日本テレビ系)☆

 ・シューイチ(日本テレビ系)(2013年4月7日より新規。
 番組中半 - 後半に提供。
 週によっては「キユーピー」表記ではなく「アヲハタ」表記の週もあり。)

 ・さんまのSUPERからくりTV☆(TBS系、2013年3月で降板した「木曜9時ドラマ」から提供枠移動。
 日曜夜の番組提供は「ホンネ日和」終了以来1年ぶり。
 2013年9月で降板。番組は2014年9月で終了。)

 ・めざましどようび(フジテレビ系、かつて提供していた時期もあったが一旦降板し、2013年4月6日より提供を再開) 

 ・グッとラック!☆(TBS系、2019年9月 - 2020年3月)

 ・バナナマンのせっかくグルメ!!(TBS系、2021年10月 番組がある場合のみ提供)

 ・THE TIME,(TBS系、2022年4月1日 - 放送日は週に1・2曜日の不定期放送) など。

 ・秋田テレビ(フジテレビ系)では2000年代後半から月曜21時前のニュースあきたのスポンサーとなり、AKTこんやのニュース・ユアタイムクイックあきた・THE NEWSα Pickあきたへの改題をはさみ、2018年3月のスポットニュース枠廃止まで提供。
 その後は22時前の天気予報に移動し2019年春現在も提供継続中。

 ▶ラジオ

 ・日本フィルハーモニー新春特別演奏発表会(FM東海で1968年1月3日19:00 - 21:00(JST)に生放送)

 ・話題のアンテナ 日本全国8時です(TBSラジオ)

 ・キユーピーラジオクッキング(CBCラジオ)

 ・JRN系ラジオ局早朝のニュース・天気予報。

 ・ハート・オブ・サンデー(TOKYO FM・JFN系 1989年4月 - 2016年3月)☆

 ・福山雅治 福のラジオ(TOKYO FM・JFN系 2015年12月 - 現在)

 ・キユーピーミュージックBOX→キユーピー・おはようミュージック(FM東京 1970年 - 1989年3月)☆

 ・朝日新聞ニュース(朝日放送)☆ - 平日7:00 - 7:15枠

 ・AOHATA WHOLES ONE MUSIC(J-WAVE)金曜のみ ※月 - 木曜は別タイトルで放送中。

 ・キユーピー・バックグラウンド・ミュージック(TBSラジオ)☆

 ・キユーピー・メロディホリデー(文化放送 年数回国民の祝日に放送)

 ・Saturday Amusic Islands Morning Edition内10時台コーナー(FM802)

 ▼長期間のCM自粛

 2004年6月8日、同社と三菱商事の合弁企業であるサラダクラブで不法就労が発覚したことを受け、翌日から1ヶ月半程度CMを自粛した。
 『3分クッキング』のCMも同年6月9日から7月17日にかけてACジャパン(当時:公共広告機構)に差し替えられた。
 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、当日15時以降長期間にわたりCM自粛が続いていた。
 同社の五霞工場と富士吉田工場に損傷があったため、この2工場の工場見学を一時中止する旨をホームページで告知している。
 物流面では五霞工場で製造している商品を挙母工場や伊丹工場・鳥栖工場へ生産を振り替えつつ2工場の修復作業を進め、在庫品の流通も数日後より再開した。
 しかしテレビ・ラジオのCM再開はまだ目処が立たないため、『3分クッキング』については急遽日テレとCBCの各番組ホームページに放送予定だった料理を動画で見られるように処置した。
 この他の各提供番組(特番で提供予定だった番組を含む)はCMをACジャパンなどに差し替えつつ再開時期を模索していた。

 その後『3分クッキング』は日テレ系18局が同年3月28日に放送再開するが、CBC発版は東北放送・テレビユー福島・IBC岩手放送の3局を除き系列10局で同年3月28日に放送再開、各提供番組も一部を除きCMを再開している。
 ただし一部の番組は提供クレジットを自粛していた。
 同年4月4日に東北放送・テレビユー福島・IBC岩手放送でもCM再開したが、この3局は震災被災地の食糧事情を配慮して、CMをキユーピーではなくACジャパンに差し替えて放送していた。
 同様にその他の各提供番組も福島県・宮城県・岩手県にある各放送局ではキユーピーのCMではなく、ACジャパンに差し替えてCMを流していた。
 なお「キユーピー ハート・オブ・サンデー」は、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)以降CMを自粛して放送していた。
 その後は震災被災地の食糧事情の回復を確認した上で、同年5月1日夜の「ホンネ日和」より順次『3分クッキング』以外の提供クレジットを再開、被災地でもキユーピーのCMが流れ始め、「ハート・オブ・サンデー」も同5月1日放送分より提供クレジット・CMを再開した。

 しかし、2011年8月4日の東海テレビのローカル番組『ぴーかんテレビ』における「セシウムさん騒動」を受け、東海テレビについては同年8月8日提供分より、キユーピーは抗議の意味をこめてCM自粛とした(ACジャパンのCMに差し替え)。  
 また同局発FNS系27局同時ネット番組である東海テレビ制作昼の帯ドラマの主要スポンサーでもあるため、テロップ問題の影響によりPT扱いに格下げして、ネット先ではCMを流し続けていた(CM送出の役割をテレビ静岡・新潟総合テレビ・長野放送以東の東日本・北日本はフジテレビから、富山テレビと石川テレビ・福井テレビと関西テレビ以西の西日本は関西テレビに変更)。
 その後は同年10月より東海テレビエリアでもCM送出を再開し(提供クレジットは自粛)、同年11月に提供クレジットを含めCM自粛が解除された。
 なお中京地区のその他の各テレビ局でのテレビCM提供番組については通常通りCMを流している。

 CM再開後の東海テレビで、翌2012年11月〜12月に放送された昼ドラマ『幸せの時間』で、性表現の演出が放送時間にふさわしくないとBPOから指摘されたのを受けて、放送途中から最終回まで提供クレジットを自粛してCMを流した。
 同様に性表現の際どい連続ドラマについては放送期間中、単発特番を除き提供クレジットを自粛する判断をしている。
  2013年4月 - 6月放送の日本テレビ系水曜ドラマ『雲の階段』でも性表現の問題で提供クレジットを自粛していたが、2014年1月15日〜3月12日放送の同枠『明日、ママがいない』では、再び提供クレジットどころかCMまで自粛する事態が生じた。
 自粛によるCM休止分は一部同時刻裏番組の他局特番や他局単発特番に振り替えられて放送されていた。
 一部の未放送分休止振り替えは年度をまたいで春夏期編成の単発特番に回された。
 また、関西テレビ火曜22時枠連続ドラマでも、2013年4月期放送の『幽かな彼女』の主演俳優が他社のマヨネーズのCMに出演している関係で、提供クレジットを自粛してCMを流している。
 2017年に放送された関西テレビの火曜21時ドラマ第4作『僕たちがやりました』では、学園ドラマであるが性表現のシーンが度々出ることなどから提供クレジットを自粛してCMを流していた。
 なお、月曜22時枠連続ドラマ移行後は、クロスネット局を除いての放送となった。
 なお、短期間ではあるが報道系・情報系の提供番組を一時休止したケースもある。

 TBSテレビの『ひるおび!』内で2021年9月14日および15日放送分番組後半(番組構成上の区分けでは第3部または午後パート(11:55-13:55に当たるゾーン)で当日の専門家による解説で問題発言をし6回分の番組提供を見合わせた。
 その後問題発言の訂正放送および発言撤回と謝罪を受けて番組提供を再開させることに至ったケースが起きていた。
 同じくTBSテレビの『THE TIME,』の金曜のメインキャスターだった男性俳優の銀座のあるホステスとの不祥事が2022年8月下旬に一部週刊誌のスクープで発覚し、2022年8月26日と9月2日のスポンサーゾーンである7時台後半枠のクレジットを見合わせた。
 なお、その男性俳優は当初TBSが引き続きメインキャスターを継続と見解を示すもその後、9月1日になって見解を変更し8月いっぱいで番組降板と、9月2日放送分の同番組内にて謝罪VTRが流れた。 
 同番組の金曜メインは翌週の9月9日より江藤愛(TBSアナウンサー)に急遽変更されている。

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 関連項目 ー 中島董商店 ー

 株式会社中島董商店(なかしまとうしょうてん)

 東京都渋谷区に本社を置く食料品販売会社。
 キユーピーおよびアヲハタの関連会社であり、キユーピー・アヲハタグループの源流・中核企業である。

 《沿革》

 ・1918年2月 日本橋亀島町において中島董一郎が中島商店を設立。
 カニとサケの缶詰を販売開始。

 ・1919年11月 中島商店が中心となり食品工業株式会社(現キユーピー)を設立。

 ・1923年 食品工業株式会社の株式の大半を取得。

 ・1932年12月 株式会社旗道園(現アヲハタ)を設立。

 ・1938年12月 商号を株式会社中島董商店に変更。

 ・1968年3月 キユーピー新社屋を渋谷に竣工し、本社を新社屋内部に移転。


 ・1972年12月 キユーピー株式会社に中島董商店の販売部門を継承させる。

 《グループ会社》

 キユーピー・アヲハタグループという名称で下記の会社でグループを構成している。

 ・株式会社中島董商店
 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1-4-13

 各種瓶缶詰食料品の卸売及び酒類の輸入販売。 キユーピー・アヲハタグループの特許権や商標権など知的財産の管理

 ・キユーピー株式会社
 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1-4-13

 マヨネーズ他一般ソース類、各種瓶缶詰食料品、その他食料品の製造加工販売他。

 ・アヲハタ株式会社
 〒729-2392 広島県竹原市忠海中町1-1-25

 ジャム・果実・デザート等の瓶詰類、ソース・調理品等の製造。

 ・キユーピー醸造株式会社
 〒182-0002 東京都調布市仙川町2-5-7 仙川キユーポート

 各種ビネガー及び関連調味料の製造販売。

 ・株式会社nakato
 〒106-0045 東京都港区麻布十番1-5-30 十番董友ビル

 輸入酒類・食料品の販売。

 ・株式会社トウ・ソリューションズ
 〒182-0002 東京都調布市仙川町2-5-7 仙川キユーポート

 コンピュータソフトウェアの企画・設計・開発及び販売。
 コンピュータシステムの運営・管理。

 ・株式会社トウ・キユーピー
 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1-4-11 渋谷董友ビルannex

 キユーピーアヲハタネットショップ運営、広告代理業、食料品・雑貨の販売、通信販売業務、自動車の賃貸借。

 ・株式会社董花
 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1-4-13 

 不動産の売買及び賃貸、事務用情報機器のリース。

 ・株式会社キユーソー流通システム
 〒182-0021 東京都調布市調布ケ丘3-50-1

 製品、原材料の保管、運送。

   〔ウィキペディアより引用〕



銭の花《商魂》 ♯014ーC

2023-09-13 21:00:00 | 日記

 ■キューピー?キユーピー? ③

 中島董一郎

 中島 董一郎
(なかしま とういちろう)
1883年8月22日〜1973年12月19日)は、日本の実業家。キユーピー創業者。


 《来歴・人物》

 愛知県幡豆郡今川村(現・西尾市今川町)に生まれる。
 中島家は代々眼科医の家柄で、祖父も父も当地では名のある医者であった。
 祖父は郡の医師会の会長を務めていた。
 父も京都の医学校に出て祖父の医院を継ぎ、当時では大変繁盛した町医者になっている。
 ところがその父は世間事に疎く人の良い人だったようで、親戚に頼まれるままに借金の保証人になってしまい破産をしてしまうことになる。
 夜逃げのような状態で名古屋に引っ越すことになり、1893年(明治26年)には9歳で母を亡くし、弟二人と妹一人が親戚に貰われていった。
 同年末に上京し、明治29年(1896年)に東京府尋常中学校(のちの府立一中)入学。
 同期に鳥類学者の内田清之助など。明治35年(1902年)、府立一中を卒業し、明治37年(1904年)、水産講習所(現:東京海洋大学)へ入学。上級生に高碕達之助、林田甚八(ニチモウ創業者)らがいた。

 明治40年(1907年)、講習所卒業後、採掘工場の帳簿係などを経て近衛輜重兵大隊に一年間入隊。
 除隊後の明治42年(1909年)、缶詰会社の若狭商店へ入社。
 高碕の勧めで農商務省の海外実業実習生に応募し選ばれ、大正元年(1912年)、欧米に派遣される。
 この頃マヨネーズに出会い、当時日本の栄養不足の改善(特に野菜など)をしようと思い立つ。
 大正5年(1916年)、帰国し、大正7年(1918年)に缶詰販売業の中島商店(1938年に中島董商店と改称)を設立し食品業界に進出。
 大正8年(1919年)に食品工業株式会社(現キユーピー)を設立して各種食品を製造開始する(マヨネーズ製造自体は1925年に開始し、販売は1972年まで中島董商店が行っていた)。
 昭和3年(1928年)、高碕の意見を押し切ってみかん缶詰の販売に乗り出し成功させ、広島県に旗道園(現:アヲハタ)を設立する。
 なおアヲハタ(青旗)ブランドは中島が欧米に派遣されたときに見たボートレースを見てすがすがしいフェアプレーと青い旗に感動して「缶詰は中身が見えないからこそ製造するものは正直でなくてはならない」という理念を創業者の廿日出要之進が青い旗をブランドとして決めたことによる。

 水産講習所卒業の後は上記のように董一郎の先見の明のよさか運の良さか分からないが、とんとん拍子に事業が発展していく。
 会社が大きくなると同時に自分を育ててくれた地域(西尾市や幡豆郡など)に恩返しをしている。
 地域の若者のために奨学金制度を設け、多くの人材を育てている。
 昭和48年(1973年)12月19日死去。享年91(満90歳没)。
 菩提は西尾市今川町の養林寺[3]にある。
 なお董一郎の関係の先祖(本家)の係累は同じ市内の上道目記町にある不退院の過去帳に残っている。

 関連項目 ー アヲハタ ー

 アヲハタ株式会社(あをはた)
(英: AOHATA Corporation)

 広島県竹原市に本社を置く食品会社。「アヲハタ」ブランドで缶詰・ジャム類を製造している。
 東京証券取引所スタンダード市場に上場。


 《沿革》

 ・1932年(昭和7年)
 廿日出要之進が中島董商店の全額出資を得て株式会社旗道園として創業。

 ・1948年(昭和23年)
 地元企業出資の下、青旗缶詰株式会社として再度設立。

 ・1988年(昭和63年)
 アヲハタ株式会社に商号変更。

 ・1998年(平成10年)
 7月24日広島証券取引所に上場。

 ・2000年(平成12年)
 3月1日 - 広島証券取引所廃止により、東京証券取引所2部に上場。

 ・2008年(平成20年)
 6月 自社生産品の販売先を中島董商店からキユーピーに変更。

 ・2012年(平成24年)
 4月5日 ジャム工場敷地内に、体験施設「アヲハタジャムデッキ」開設。

 ・2014年(平成26年)
 12月1日 キユーピーの会社分割によりパン周り商品の販売事業を引き継ぎ、一部製品を主に自社で販売化。
 これに伴う株式移動などにより筆頭株主となったキユーピーが親会社となる。

 ・2018年(平成30年)
 12月3日 中島董商店からアヲハタの商標権を譲受すると同時に、中島董商店に対して第三者割当増資を実施。

 《「アヲハタ」のルーツ》

 中島董商店創業者である中島董一郎が、イギリス滞在時に、ロンドンのテムズ川でのケンブリッジとオックスフォード大学の伝統のボートレースのフェアプレーに感動して、両校の青い旗に強い印象を受けた。

 帰国直後の1918年(大正7年)に、「アオハタ」を商標登録したが、「オ」は頭が出てバランスが悪いと感じ、1928年に「アヲハタ」 で再出願した。

 1918年(大正7年)の出願時には、青以外に、緑、赤、黄色の旗マークを登録した。
 これは、中身が見えない缶詰だからこそ正直者たれという、中島の信念によるもので、カニ缶詰の特級品に青旗マーク、1級品に緑旗、2級品に赤旗を付し、格付けを明確にした。

 アヲハタの商標権は長年中島董商店が保有していたが、前述の通り2018年12月3日付でアヲハタへ譲渡された。

 関連項目 ー 廿日出要之進 ー

 廿日出 要之進
(はつかで ようのしん)
(1898年11月30日〜1973年9月26日)
 広島県出身の実業家。
 アヲハタ創業者。

 《来歴》

 広島県豊田郡大長村(現在の呉市豊町)生まれ。
 大長村は広島ミカン発祥の地で廿日出の実家も果物農家を営んでいた。
 旧制忠海中学校(現広島県立忠海高等学校)~農林省水産講習所(現・東京海洋大学)卒業(1923年)。
 同講習所の先輩で中島董一郎が創業した中島董商店に入社。
 大長村の同郷で、ミカン缶詰のアルカリ剥皮法で名を残す加島正人に協力して郷里でみかんの缶詰作りに取り組む。
 ところが加島が中島董商店を通さず、直接英国と取り引きを始めたことから、中島の全額出資を得て1932年、みかんの缶詰加工とオレンジママレードなどジャム類の製造を目的として広島県竹原市忠海に「旗道園株式会社」を創業した。
 「農産加工の美味しさは、その原料によって七割が決まる」の信念のもと、当時柑橘類の最優良産地であった瀬戸内に位置する場所を選んだといわれる。

 太平洋戦争中に閉鎖を余儀なくされ、広島県合同缶詰に整理統合されるが戦後の1948年地元資本を導入して「青旗缶詰」として再スタート。
 この時、廿日出は中島に会社の返却を申し出たが、中島は廿日出に社を任せた。
 社名は中島が英国滞在中に、ケンブリッジ大学とオックスフォード大学の伝統のボートレースのフェアプレーに感動して、両校の「青い旗」に強い印象を受けたものといわれる。
 以降、廿日出は缶詰・ジャム類の製造に従事し、1980年代にジャム類缶、びん詰生産日本一になるなど、キユーピー・アヲハタグループの中核企業として成長させた。
 1972年、農産缶詰の品質、およびジャム類の品質向上の貢献により食品産業功労賞(技術部門)受賞。
 二男で二代目社長・廿日出多真夫も1999年に低糖度ジャムの商品化により同賞を受賞している。

 関連項目 ー レオン・イェッセル ー

 レオン・イェッセル
 (ドイツ語: Leon Jessel,)
 (1871年1月22日〜1942年1月4日)

 ドイツの作曲家である。
 とりわけオペレッタの作曲家として著名だが、日本では日本テレビ系列で放映される「キユーピー3分クッキング」のテーマ曲として有名な『おもちゃの兵隊の観兵式』(『おもちゃの兵隊の行進』、
 (ドイツ語: Parade der Zinnsoldaten)作品123の作曲家として知られる。

 《生涯》

 商人の息子としてシュテティーン(現在ポーランド領)に生まれる。
 1891年からゲルゼンキルヒェンやミュールハイム・アン・デア・ルールを振り出しに楽長としての活動に入り、その後フライベルクやキール、シュテティーン、ケムニッツを転々とする。
 1896年にクララ・ルイーゼ・グリューネヴァルトと結婚。
 1899年から1905年までリューベックのヴィルヘルム劇場の楽長を務めた後、リューベック通商連合声楽協会の総裁におさまる。
 1909年に娘エヴァ・マリアが誕生し、1911年よりベルリンに転居するも、1919年に離婚して1921年にアンナ夫人と再婚した。
 ベルリン時代の1911年からオペレッタ作曲家として精力的な活動に転向。イェッセルのオペレッタやジングシュピールは、ベルリンで初演された後、ミュンヘンやハンブルク、ケーニヒスベルクでも上演された。
 わけてもアウグスト・ナイトハルトの台本によるオペレッタ『シュヴァルツヴァルトの娘』
(ドイツ語: Das Schwarzwaldmädel)は最大の成功作で、1917年にベルリンのコーミッシェ・オーパーで初演された後、10年の間におよそ6000回もの公演を重ねたと見積もられており、海外では、たとえば1922年にブエノスアイレスのコリセオ劇場の舞台にもかけられた。
 1973年の映画化では、名ワーグナー歌手のヴォルフガング・ヴィントガッセンや、カラヤンとの共演で知られるジャネット・ペリーらが主演している。
 『シュヴァルツヴァルトの娘』に次ぐ成功作は、1921年に初演されたオペレッタ『女郵便局長』(ドイツ語: Die Postmeisterin)である。

 自らの愛国的な見解から、ナチスをさしあたって好意的に見ていたイェッセルは、ナチスの権力掌握の後で、アルフレート・ローゼンベルクのドイツ文化闘争同盟(ドイツ語: Kampfbund für deutsche Kultur (KfdK))に登録を求める。
 だがユダヤ系であることを根拠に入会を拒絶されたうえ、その後まもなく上演禁止の憂き目に遭う(イェッセル家は改宗ユダヤ人の家系であり、1894年にユダヤ教を棄教しキリスト教徒になっていた)。
 1941年12月15日にイェッセルは、ベルリン・ミッテ地区のゲシュタポ司令部に召喚されて、逮捕された。
 逮捕の理由は、1939年に家宅捜査の際に発見された、脚本家ヴィルヘルム・シュテルク宛てにウィーンに送られたイェッセルの私信から窺われる。
 「私はひとときたりとも働くことが出来ません。ユダヤ人嫌いの煽動家によって人間関係を壊されてしまったからです。
 おぞましい運命がいつどこで私の扉を叩くやら見当もつきません」。
 アレクサンダー広場の警察本部の地下牢に投獄されたイェッセルは、虐待を受けたために重体に陥り、1942年1月4日にベルリン・ユダヤ人病院で死去した。

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 食育コンテンツ「食生活アカデミー」に教員向けページを新設

 キユーピーは、同社公式サイト内の食育コンテンツ「食生活アカデミー」に、教員向けページ「教育関係者・保護者のみなさまへ」を新設したことを、3月22日に発表した。
 今回の「教育関係者・保護者のみなさまへ」の新設は、2022年に同社が開催した教員向け研修において、企業に求める食育活動を尋ねたところ、「Webコンテンツの充実」「出前授業の実施」「動画の制作」といった回答が寄せられたことを受けて、もっと食について考える機会の創出が必要であるとの考えから行われた。同ページでは「食生活アカデミー」を授業や自主学習で活用する方法についてまとめられている。

 「食生活アカデミー」は、小学校高学年から中学生を対象に、食の知識や体験を通して生活を豊かにして新たな関心や興味につなげ、将来に役立ててほしいという思いが込められた食育のためのコンテンツ。
 学習指導要領や小学校家庭科、中学校技術・家庭(家庭分野)の教科書に基づきつつ、キユーピー独自の知見を交えて制作された。

 子どもたちが食の大切さを理解し、生涯にわたって心身ともに健康な食生活を送るための情報を、「つくる・食べる」「からだと栄養素」「食生活のぎもん」「食べものとSDGs」「自由研究」の5つのテーマに分けて掲載しており、授業での活用や長期休暇時の自主学習などに適している。

 ◆食生活アカデミーとは?

 「食生活アカデミー」は、 おいしいごはんのレシピ、 食材のえらび方、からだをつくる栄養素えいようそ、 お料理の楽しさ、環境かんきょうや未来につながる 食生活など、 食とそれにまつわる生活のことを 学べるサイトです。
 知ることで考えるきっかけになる、 体験することでだれかに話したくなる。
 そんな食生活の情報じょうほうを、 読み物やレシピ、クイズなどで、知り、 体験してください。

 〔情報元 : キユーピー公式サイト内食育コンテンツ〕https://edtechzine.jp/article/detail/9089

 関連項目 ー 食育 ー

 食育(しょくいく)

 様々な経験を通じて、食に関する知識と食を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てることである。
 2005年に成立した食育基本法においては、「生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの」と位置づけられている。
 単なる料理教育ではなく、食に対する心構えや栄養学、伝統的な食文化についての総合的な教育のことである。
 この言葉を造語した石塚左玄は、食品の与える影響に関する独自の説によって、子どもに食べさせる食品の影響によって子どもの心身を養うという意味で用いた。

 《語源》

 「食育」という言葉は、石塚左玄(福井県)が1896年(明治29年)と1898年(明治31年)の著作(『化学的食養長寿論』、『通俗食物養生法』)で「体育智育才育は即ち食育なり」と造語し用いられている。
 1903年(明治36年)には報知新聞編集長・村井弦斎が、連載していた人気小説「食道楽」の中で「小児には徳育よりも、智育よりも、体育よりも、食育がさき。
 体育、徳育の根元も食育にある」と記述している。

 《経緯》

 小説家の村井弦斎が石塚の著書を読んで共感しており、1903年(明治36年)に著し、一大ブームを起こした『食道楽』秋の巻第252「食育論」で「食育」という言葉を使用した。
 村井弦斎の妻で料理研究家の村井多嘉子も著書『弦齋夫人の料理談』の中で食育の重要性を説いた。
 左玄の説を実践する団体として「帝國食育會」という団体があった。
 その後、政財界の援助により石塚の食物養生法を啓蒙する団体として「食養会」が結成された。食養会の関係者が「食育」を唱えていた。
 しかし、一般にはほとんど知られていなかった。
 戦後、食養会の会長にも就任したことのある桜沢如一の起したマクロビオティックや、玄米健康法の関係者、有機農業・自然食品業界に石塚説が伝承された。
 1970代に財団法人オルトビオス研究会(現日本ウエルネス協会)理事長であった蓬田康弘氏が食育を提唱し、77年にソニー創業者・井深大元会長が創立した財団法人幼児開発協会・機関誌『幼児開発』へ『食育のすすめ』を連載。
 83年、フジテレビの「テレビ寺子屋」でも食育について啓蒙した。
 2002年(平成14年)11月21日、自民党の政務調査会に「食育調査会」が設置された。
 その目的は、産地偽装など食の安全を揺るがす事件が多発したことから、食育で消費者の不安や不信感を取り除くことだった。
 だが一連の事件の多くは、消費者を蔑ろにした私利追求が原因だった。
 消費者の不安不信を取り除けば、事件の反省や再発防止策が不要になる上、一般人の知らない言葉をスローガンに掲げたことから、マスコミや研究者等が関心を抱き、語源を探した。
 この結果、歴史に埋もれていた石塚・村井が再び日の目を見る。
 翌15年に時の総理・小泉純一郎の施政方針演説に取り上げられて「食育」が一般化した。

 1988年(昭和63年)には、小泉純一郎が厚生省としては食が一番大事なのではないかと述べていた。
 1993年に厚生省監修で『食育時代の食を考える』という著書が出版されている。
 服部幸應は自分の書いた1998年出版の『食育のすすめ』を厚生大臣の頃の小泉純一郎が読んだからと説明している。
 またマクロビオティックの久司道夫は議員会館で講演を行っていた。
 多いときには議員が80人ぐらい集まるときもあった。

 《ファストフードへの批判》

 国会で、無国籍で脈絡のない料理では「ファストフード予備校」であり食育とはいえないのではという指摘がなされ、政府としても米食や日本型食生活を増やしたいとの意向が表明されている
 食育基本法の訂正に伴ってマクドナルドが食育に力を入れることを表明し、そして学校でハンバーガーの授業が行われるようになった。
 これに対して、「企業が社会貢献するのは結構だが、こうした食品では食育と矛盾するのではないのか」という批判も起こった。
 幕内秀夫は、食育基本法の制定に伴ってジャンクフードの販売業者が食育という言葉を利用して出張授業などを行うようになったことを自身のウェブサイト「フーズアンドヘルス研究所」で批判している。

 《関連法令》

 2005年(平成17年)6月10日、食育基本法が成立した。
 食育によって国民が生涯にわたって健全な心身を培い、豊かな人間性を育むことを目的としている。
 食育基本法は、総理大臣と12省庁の大臣と国家公安委員長までが参加した国家レベルで食事をどうにかしようと捉えた、世界的に例のない法律とされる。

 《関連政策》

 関連した政策としては、厚生省による21世紀における国民健康づくり運動において、病気を予防するために目標を設定して目標達成を目指す運動を行っているが、甘味料の特に砂糖が虫歯(う蝕)を発生させるとして、甘味料に関する正確な知識の普及と甘味食品・飲料の間食の摂取回数の減少を目標としている。
 また、10.7%いる児童・生徒の肥満児を7%以下にすることも目標とされている。

 《ビジネスとしての食育》

 関連法令の発令により、様々な企業や公共団体が食育をビジネスとして取り込んでいる。
 ビジネス方法としては、食育に関する商品の発売やセミナー、講演会の場を設けることにより収益を上げている。
 これら食育ビジネスに関し12省庁も非常に協力的であり、農林水産省は外食産業や中食産業、中小企業に対しての活動を推進するページをしている。
 また、厚生労働省は従業員や職員、住民に対して、生活習慣病の啓発、健康増進のための優れた取り組みをしている自治体、団体、企業の表彰を行う「健康寿命をのばそう!アワード」を開催した。
 健康ビジネスニュースを配信しているヘルスビズウォッチは、海外の食育ビジネスモデルに関して詳細に説明している。

 〔ウィキペディアより引用〕