気ままに自転車ツーリング♪

70代になり60代からの散歩が中心となりました。50代は健康維持のため何かスポーツをと、消去法でサイクリングでした。

リービッヒの最小律  「リン 酸 カリ の桶」

2014-09-21 21:24:01 | 心象風景・身辺雑記
ふと思い出したこと。
10代に習った事ってなぜか記憶から甦るものだ。
多分、理科の授業だったとおもう。

「リン 酸 カリ の桶」の例えはリービッヒの最小律、あるいはドベネックの桶と言うらしい。
WIKIでは、「一般に、バランスの悪さや一点豪華主義への皮肉・警告として、リービッヒの最小律を引き合いに出す場合がある。」とある。

※これってロジカルシンキングのいうボトルネックの探求と同じ。むしろ、ロジカルシンキングはこれと同じことを言っているような気がする。

昨日あたりからここ半年ほど常用しているビタミンB剤が無くなったので家内に買ってきてとお願いしている。
定期的な採血検査で赤血球(「せっけきゅう」で変換されないIMEって何?)が少ない、酒の飲み過ぎでしょう、と指摘される。
※「せっけっきゅう」で変換しないから、だと今更に気づくOrz

否定すべきもないので、貧血対策にビタミンBがいいらしいので一番安いのを見つけて買ってもらっている。
次の採血で数値の変化を指摘されそのことを伝える。診断に誤謬があってはならないので。
そのくせ指摘されないことには自ら告知はしない。姑息かもしれないが。

ところで、その「リン 酸 カリ の桶」だが、WIKIの通り何かの目的をもってすることに無駄、無意味なことが多い、と理解した。必要なことは不足を補うことだ、と。
私としてはこの例えは普遍性を持っている思う。
にも関わらずあれこれの効能(らしい、または、うまく回避している)宣伝などに人は翻弄されているように思われる。
何かに縋りつきたい、そういう切実な思いを逆手にとっているのではと思うわけだ。
何それに効くとあればそれに群がる。
売る側は、効いたというのは個人的な感想、としっかりと防衛線を張っている。
もう、そういう程度の宣伝には心を動かされぬ方が、否、財布をひも解くようなことをしない方がいいように思う。

効いたというのは、たまたま使用者にとってそれが「「リン 酸 カリ の桶」の一番低いモノだったのかも知れぬ。
それがその人に不足していたので効果があったということ、に過ぎない。
したがって誰にも効くとは限らない。

でも、今現在問題を抱えているならその効能に一縷の望みを託すも否定できない。

そうやって、商売、ビジネスが成りたっている面はある。

今夕のテレビ番組で(家内がときたま見ているが)棒読みのナレーションと意味もなく吹くラッパに私は嫌悪を覚える。
それを回避する薬はあるんだろうか。
人によりいろいろ試してみる薬剤があるのかも知れぬ。

結果的に私にとって、その手の番組を見ないのが一番効くようだ。
つまり、外に出かけてしまう。
なまじ一緒に見ている(聞こえている)から気になるだけのこと。

自分にとって何か心や体を穏やかにしないものがあるとすれば、何が不足しているのだろう、と考えることも必要。
サプリや健康食品もそういう観点で選択するのが望ましい気がする。
それ意外に原因を排除することがありやも知れぬ。

現今の諸課題も「リン 酸 カリ の桶」の不足をいかに見出すかが鍵だろう。

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