=はじめに=
これから綴ってゆく易(周易)の現代解釈には、古典として現代人には馴染みにくい卦辞や爻辞そのものを省いています。それらの文章には吉凶悔吝といった成否や禍福を判断する語が入っており有用なのですが、それにこだわると現代での発展や応用に歯止めが掛かってしまうおそれがあると思うからです。そのため、僕はむしろそうした吉凶の概念を脱色する方向性で読解を試みています。
また、物事の吉凶や幸不幸などは一過性の出来事で判断できることは少なく、多くは長期的な展望が必要になるため、なかなかその帰結を得るのは難しいという理由もあります。少なくとも僕自身について言えば、それらの判断を適切に行う眼力を持ち合わせているとは到底思えません。こうしたことを背景に、今の僕は吉凶悔吝などによる卦辞・卦爻判断を保留にして、そうした内容に固着しない書き方を旨とするようになっています。読者の方には、まずこの辺の事情を予め了承して頂きたいと思います。
それでは、これから六十四卦の現代解釈に取り掛かろうと思います。
達成までは長い道程となりそうですが、お付き合いの程、宜しくお願い致します。
1.乾為天
乾は潜龍に始まり亢龍に至るまでの各段階があり、いわば人の成長と発展、そしてそれに付随する注意や警告が示されています。もちろん龍というのは比喩であって、神獣として描かれたりする龍そのものを表しているわけではありません。易経の中には龍の他にも牝牛や馬、牡羊、狐という風に何匹かの動物が出てきますが、それらも実際の動物としての意味ではなく、その動物の持つ性質を象徴させているわけです。簡単に言えばイメージ化されたもの。そして龍は、僕流に言えば巨大なエネルギーであり、乾為天としての総意は“ありのままの自分を表現・経験したい”という人間としての最も根源的な衝動と願望が形になったものだと考えています。
人はそれぞれ様々な経験をしていきますが、人生の節目節目、その時々で自分自身と向き合うという機会を与えられます。そうした時に、どれだけ真正面から自分自身と対話できるか、それが人生への取り組み方を変化させ、正直な自分を顕現させることに繋がっていきます。こうした試みを進めていくことによって、いつしか人は社会的な成功や失敗という規範に左右されない、より広大な意識や高い視野を獲得していくのだと思います。
乾(乾為天)という卦が純粋に象徴するものは宇宙であり、そしてそれは同時に一人ひとりの内に宿る無限大の心――ポテンシャルのことでもあります。私たちの内側には気がついていないか自分自身が認めていないだけで、宇宙にも匹敵するほどの果てしない可能性と創造的エネルギーが眠っています。易を作った古代の人々はそれを形容して「龍」と呼んだのではないかと僕は想像しています。
ただし、その潜在的資質を現実の能力として開花させられるかは各爻を適切に使いこなせるかどうかに掛かっているので、単に乾為天の卦を得ただけでは成否を判断できません。いかに眠れる獅子の如くパワーがあっても空回りするばかりでは卦の価値を失ってしまいます。この卦はその人の存在の本質を問うものなので、いい加減に自分自身を見ている人にとっては手厳しい面があります。しかし逆に、日々自分と正直に向き合っている人にとってはスカッとした晴れ晴れしさ抱かせるものになります。
ところで、乾は易の初め(A:あ)であり、同時に終わり(Z:ん)を象徴する卦です。易の64卦は全て乾の創造性(刺激)を契機として生まれてきますが、64卦の最後である火水未済が終着駅ではなく、螺旋階段を昇るように元の位置よりも高い視点を獲得した状態の乾として新生します。そして、坤(坤為地)の受容性によって育まれた後に再び屯(水雷屯)としての産道を通過していきます。
これは輪廻転生の概念と似ており、個々が全体性への理解を獲得していくための経験の過程として何度も用意されているシチュエーションだと言えるのでしょう。相対性の世界に生きる僕らにとっては、知識として知っているだけでは成長できず、それを感情や体験の中で噛み砕いて、消化・吸収していかなければならないことを意味しているのだと思います。
この乾と坤に共通するのは、予測できる範囲で次のステップへの準備を行っていることです。いわば半歩だけ新ステージに突っ込んでいる状態にあります。なので、当然ながら状況としてはこれまでの総括をしたり、今後のための身支度をするようなことになりやすいです。どちらも生活全体を見つめて自分自身や周りとの関係を総合的に捉える必要性が生じているので、それが上手くできたら次の展開をスムーズに始めやすくなります。
◇初九
この初九の潜龍は、まだ実力が備わっていない若い龍が水辺や地中に潜って力を養っているイメージです。大々的に世に出るにはまだ力不足ですが、先哲の知恵を学びつつ、将来の糧になりそうなアイデアや技能を自覚し始めています。それを日々連綿と温めながら、どこかに自分の才能を活かせる場所がないかと探している状態です。なかなか自分を確立することができず、鬱々とした思いを抱いているかもしれません。そんな中でもいつも身近にあって長年欠かさずしてきたことがありませんか? そして今になってようやく「自分にはこれしかない」と思い至るようなテーマを再確認するはずです。実はそれこそがあなたにとって最も自然で無理のない生き方なのです。この乾の初九の時に自覚する事柄は、その後の人生を背負って立つ大事な種であり苗ですから決して疎かにしてはいけません。これからしばらくの間、全身全霊で取り組むと自分に宣言しましょう。今まであれこれと変転して生きて来た人も、ここで自分本来の居場所や本分を見出すことが多く、以後は自覚的に生きられるようになります。なるべく時間を無駄にしないように心がけましょう。
◇九二
初九で再確認したテーマを追求することで実力を備えた者は、いよいよ世間に打って出るまでに成長します。龍は水辺を離れ、地上の人々にその姿を現すようになるわけです。社交的な場に出る機会も増え、自然と人脈にも縁ができやすいでしょう。特に時代の先端を行くような立場の人や、そうした関連の業種との繋がりが生まれやすい時です。他者からどう見られているかが気に掛かる心理が強いため、いつどんな時も自分を磨き上げようとします。少し表面的なスタイルに偏りがちな面はありますが、自己アピールするだけの自信も技量も、そしてプライドもあることから結果的にイベントやコンテストなどの場で注目と評価を得やすいでしょう。初九では新たな一歩を踏み出すために改めて自己発見をするのが課題でしたが、この九二では再確認した自分を携えて色々な考えを持つ人と関わりながら、自分自身を周囲に認めさせようと試みます。ただ、できれば特定の考え方に染まらずに柔軟性を持って多くの人を相手にしている先輩なり指導者を見つけてお手本にした方が良いです。そうした人との繋がりができれば、自然と自分を冷静に見ることができて生き方のバランスを取る術を学べるからです。
◇九三
初九で自分自身のテーマを再発見し、それを引っ提げて九二で世に打ち出してみたわけですが、現実には自分の想定した理想を押し込むだけでは広く受け入れてもらえないことに気がつきます。そこで、バランスを取るために一般的な方法論を学ぶことで総合力を身につけて浸透性を高めようと試みました。しかし一方で、期待される人材ではあるが未熟さが見え隠れする九二は、当然のなりゆきとして浮き沈みも経験します。ここ九三では、成功哲学を実践する人のように日々の生活において自己暗示を繰り返すなど自己管理に余念がありません。その日の反省点と評価点をリストアップし自分の状態を把握する、就寝前にポジティブな文言をつぶやく、一日の疲れやストレスから自分を解放して理想像をイメージする等です。仕事での失敗やイライラを引きずってネガティブ思考に陥っていると、疲れが取れない上に精神的な悪影響も出てしまいます。朝目覚めたら「また今日から頑張ろう」という気持ちになれるように、一日の終わりにはクヨクヨ考えずに意識的に問題を手放すように心がけましょう。日々が生まれ変わりです。性格自体は開放的なため、良いも悪いもひっくるめて公表することができます。そしてそれが生きた経験談として他者に貢献することも少なくないでしょう。
◇九四
全ての卦の四爻は、その特性として卦の暗部の心理が表れます。そのため一時的にこれまでの勢いが萎んで流れが阻害されたように感じるかもしれません。しかしそれで能力が低下するわけではなく、むしろ今まで見えていなかった別の面に気がつくことで自分を補強することができるのです。言うなれば四爻は卦の影となる要素と融合する部位なのです。これは自分の弱点を理解し、昇華して力に変えていくプロセスなので重要です。今は少し落ち着いて自身の経験を振り返り、知恵を熟成させましょう。前進したいと気が逸りますが、その前に見落としがないか、改めるべき点はないかチェックし、もし気になる箇所があれば今の内に直しておきましょう。一旦バックステップして、次のアクションへの仕度を整えましょう。自分の力を存分に発揮するには、自分に適した環境を見出すことと、“これだけやってきたのだから思い残すことはない(内卦を振り返る必要はない)”という自信の構築が大切です。単に知識を入れるのではなく、具体的に書き物をしてデータ整理をしたりイメージトレーニングをすると方向性が定まって次の行動に出る際の支えになります。きちんと分析して理解を育めば、次第に知識や技能だけでなく人心の扱い方についても習熟するようになっていくでしょう。
◇九五
九四で自分の中の溝(ギャップ)としての弱点に直面し克服に努めてきた人は、九五に至る頃には相当に打たれ強くなっています。多くの五爻変は、それなりの責任や果たすべき役割を担っているので、決断を迫られたり衆目を集める立場になる等のプレッシャーにも晒されやすくなります。この時、四爻変で自分の弱点に自覚的になっていないと逆境に陥った時に潰れてしまいます。特に自らの驕りによって人々から酷評を受けている場合、それは自分の短所を否認しているということなので、結果的に自滅しがちです。一方で自分の本質的に強い部分を理解していれば、めげず、へこたれず、挫折せずで頑張り抜くことができます。さて、この乾の九五は、まさしく乾為天としての醍醐味を存分に発揮できる時機です。大勢の人の注目を集める場で自分が主役(目立つ役割)を務めることになりやすく、一種のカリスマ的な求心力も持ち合わせています。ただし、今は自分ひとりで活動する状況ではなく、周囲の人達と一緒に雰囲気を盛り上げていくべき時です。人々やスタッフ等と共に感動や情報を分かち合いましょう。高慢になったり、事を有利に運ぶために主導権を握ろうとは考えないことです。どんな時も虚栄や傲慢は人物評価の大敵。“名のある人ほど謙虚であれ”が易の哲学です。
◇上九
九五で晴舞台を経験して活躍した後は、自分の辿ってきた道を整理しながら静かにフェードアウトしていきます。少し気の抜けたような寂莫感を覚えるかもしれませんが、自身の体験を総括して後進のために何か役立つようなことをすると良いでしょう。実質的な権威からは退く意味のある爻なので、ことさら我を張って生きる理由はありません。すでに自分の時代は過ぎ去ったことを認めましょう。変に出しゃばって、実権を得ている人からの反発を食らうよりも、今は穏やかな生活の中で人生経験なり技術を伝えてゆく方がずっと楽しいはずです。本を書いたり講演をするのも意義があります。この時、一つ一つの経験の本質を抽出して情報の取捨選択を心がけると雑多にならずにポイントが絞れます。また、人によっては実務から離れて余裕ができたことで、別の生き方の予兆を感じ取るかもしれません。ただし現状を捨ててまで新しい環境や仕事に飛び込むほどの勢いはないので、単に次の目的への情報収集をしたりして温容するに止めましょう。あまり不穏な動きをしていると煙たがられます。いずれ時機が来れば必然的に事態は動きますから、何も無理をする必要はないのです。現状としてできることを見つけて、それで誰かに貢献できると分かれば気持ちは充たされるでしょう。
これから綴ってゆく易(周易)の現代解釈には、古典として現代人には馴染みにくい卦辞や爻辞そのものを省いています。それらの文章には吉凶悔吝といった成否や禍福を判断する語が入っており有用なのですが、それにこだわると現代での発展や応用に歯止めが掛かってしまうおそれがあると思うからです。そのため、僕はむしろそうした吉凶の概念を脱色する方向性で読解を試みています。
また、物事の吉凶や幸不幸などは一過性の出来事で判断できることは少なく、多くは長期的な展望が必要になるため、なかなかその帰結を得るのは難しいという理由もあります。少なくとも僕自身について言えば、それらの判断を適切に行う眼力を持ち合わせているとは到底思えません。こうしたことを背景に、今の僕は吉凶悔吝などによる卦辞・卦爻判断を保留にして、そうした内容に固着しない書き方を旨とするようになっています。読者の方には、まずこの辺の事情を予め了承して頂きたいと思います。
それでは、これから六十四卦の現代解釈に取り掛かろうと思います。
達成までは長い道程となりそうですが、お付き合いの程、宜しくお願い致します。
1.乾為天
乾は潜龍に始まり亢龍に至るまでの各段階があり、いわば人の成長と発展、そしてそれに付随する注意や警告が示されています。もちろん龍というのは比喩であって、神獣として描かれたりする龍そのものを表しているわけではありません。易経の中には龍の他にも牝牛や馬、牡羊、狐という風に何匹かの動物が出てきますが、それらも実際の動物としての意味ではなく、その動物の持つ性質を象徴させているわけです。簡単に言えばイメージ化されたもの。そして龍は、僕流に言えば巨大なエネルギーであり、乾為天としての総意は“ありのままの自分を表現・経験したい”という人間としての最も根源的な衝動と願望が形になったものだと考えています。
人はそれぞれ様々な経験をしていきますが、人生の節目節目、その時々で自分自身と向き合うという機会を与えられます。そうした時に、どれだけ真正面から自分自身と対話できるか、それが人生への取り組み方を変化させ、正直な自分を顕現させることに繋がっていきます。こうした試みを進めていくことによって、いつしか人は社会的な成功や失敗という規範に左右されない、より広大な意識や高い視野を獲得していくのだと思います。
乾(乾為天)という卦が純粋に象徴するものは宇宙であり、そしてそれは同時に一人ひとりの内に宿る無限大の心――ポテンシャルのことでもあります。私たちの内側には気がついていないか自分自身が認めていないだけで、宇宙にも匹敵するほどの果てしない可能性と創造的エネルギーが眠っています。易を作った古代の人々はそれを形容して「龍」と呼んだのではないかと僕は想像しています。
ただし、その潜在的資質を現実の能力として開花させられるかは各爻を適切に使いこなせるかどうかに掛かっているので、単に乾為天の卦を得ただけでは成否を判断できません。いかに眠れる獅子の如くパワーがあっても空回りするばかりでは卦の価値を失ってしまいます。この卦はその人の存在の本質を問うものなので、いい加減に自分自身を見ている人にとっては手厳しい面があります。しかし逆に、日々自分と正直に向き合っている人にとってはスカッとした晴れ晴れしさ抱かせるものになります。
ところで、乾は易の初め(A:あ)であり、同時に終わり(Z:ん)を象徴する卦です。易の64卦は全て乾の創造性(刺激)を契機として生まれてきますが、64卦の最後である火水未済が終着駅ではなく、螺旋階段を昇るように元の位置よりも高い視点を獲得した状態の乾として新生します。そして、坤(坤為地)の受容性によって育まれた後に再び屯(水雷屯)としての産道を通過していきます。
これは輪廻転生の概念と似ており、個々が全体性への理解を獲得していくための経験の過程として何度も用意されているシチュエーションだと言えるのでしょう。相対性の世界に生きる僕らにとっては、知識として知っているだけでは成長できず、それを感情や体験の中で噛み砕いて、消化・吸収していかなければならないことを意味しているのだと思います。
この乾と坤に共通するのは、予測できる範囲で次のステップへの準備を行っていることです。いわば半歩だけ新ステージに突っ込んでいる状態にあります。なので、当然ながら状況としてはこれまでの総括をしたり、今後のための身支度をするようなことになりやすいです。どちらも生活全体を見つめて自分自身や周りとの関係を総合的に捉える必要性が生じているので、それが上手くできたら次の展開をスムーズに始めやすくなります。
◇初九
この初九の潜龍は、まだ実力が備わっていない若い龍が水辺や地中に潜って力を養っているイメージです。大々的に世に出るにはまだ力不足ですが、先哲の知恵を学びつつ、将来の糧になりそうなアイデアや技能を自覚し始めています。それを日々連綿と温めながら、どこかに自分の才能を活かせる場所がないかと探している状態です。なかなか自分を確立することができず、鬱々とした思いを抱いているかもしれません。そんな中でもいつも身近にあって長年欠かさずしてきたことがありませんか? そして今になってようやく「自分にはこれしかない」と思い至るようなテーマを再確認するはずです。実はそれこそがあなたにとって最も自然で無理のない生き方なのです。この乾の初九の時に自覚する事柄は、その後の人生を背負って立つ大事な種であり苗ですから決して疎かにしてはいけません。これからしばらくの間、全身全霊で取り組むと自分に宣言しましょう。今まであれこれと変転して生きて来た人も、ここで自分本来の居場所や本分を見出すことが多く、以後は自覚的に生きられるようになります。なるべく時間を無駄にしないように心がけましょう。
◇九二
初九で再確認したテーマを追求することで実力を備えた者は、いよいよ世間に打って出るまでに成長します。龍は水辺を離れ、地上の人々にその姿を現すようになるわけです。社交的な場に出る機会も増え、自然と人脈にも縁ができやすいでしょう。特に時代の先端を行くような立場の人や、そうした関連の業種との繋がりが生まれやすい時です。他者からどう見られているかが気に掛かる心理が強いため、いつどんな時も自分を磨き上げようとします。少し表面的なスタイルに偏りがちな面はありますが、自己アピールするだけの自信も技量も、そしてプライドもあることから結果的にイベントやコンテストなどの場で注目と評価を得やすいでしょう。初九では新たな一歩を踏み出すために改めて自己発見をするのが課題でしたが、この九二では再確認した自分を携えて色々な考えを持つ人と関わりながら、自分自身を周囲に認めさせようと試みます。ただ、できれば特定の考え方に染まらずに柔軟性を持って多くの人を相手にしている先輩なり指導者を見つけてお手本にした方が良いです。そうした人との繋がりができれば、自然と自分を冷静に見ることができて生き方のバランスを取る術を学べるからです。
◇九三
初九で自分自身のテーマを再発見し、それを引っ提げて九二で世に打ち出してみたわけですが、現実には自分の想定した理想を押し込むだけでは広く受け入れてもらえないことに気がつきます。そこで、バランスを取るために一般的な方法論を学ぶことで総合力を身につけて浸透性を高めようと試みました。しかし一方で、期待される人材ではあるが未熟さが見え隠れする九二は、当然のなりゆきとして浮き沈みも経験します。ここ九三では、成功哲学を実践する人のように日々の生活において自己暗示を繰り返すなど自己管理に余念がありません。その日の反省点と評価点をリストアップし自分の状態を把握する、就寝前にポジティブな文言をつぶやく、一日の疲れやストレスから自分を解放して理想像をイメージする等です。仕事での失敗やイライラを引きずってネガティブ思考に陥っていると、疲れが取れない上に精神的な悪影響も出てしまいます。朝目覚めたら「また今日から頑張ろう」という気持ちになれるように、一日の終わりにはクヨクヨ考えずに意識的に問題を手放すように心がけましょう。日々が生まれ変わりです。性格自体は開放的なため、良いも悪いもひっくるめて公表することができます。そしてそれが生きた経験談として他者に貢献することも少なくないでしょう。
◇九四
全ての卦の四爻は、その特性として卦の暗部の心理が表れます。そのため一時的にこれまでの勢いが萎んで流れが阻害されたように感じるかもしれません。しかしそれで能力が低下するわけではなく、むしろ今まで見えていなかった別の面に気がつくことで自分を補強することができるのです。言うなれば四爻は卦の影となる要素と融合する部位なのです。これは自分の弱点を理解し、昇華して力に変えていくプロセスなので重要です。今は少し落ち着いて自身の経験を振り返り、知恵を熟成させましょう。前進したいと気が逸りますが、その前に見落としがないか、改めるべき点はないかチェックし、もし気になる箇所があれば今の内に直しておきましょう。一旦バックステップして、次のアクションへの仕度を整えましょう。自分の力を存分に発揮するには、自分に適した環境を見出すことと、“これだけやってきたのだから思い残すことはない(内卦を振り返る必要はない)”という自信の構築が大切です。単に知識を入れるのではなく、具体的に書き物をしてデータ整理をしたりイメージトレーニングをすると方向性が定まって次の行動に出る際の支えになります。きちんと分析して理解を育めば、次第に知識や技能だけでなく人心の扱い方についても習熟するようになっていくでしょう。
◇九五
九四で自分の中の溝(ギャップ)としての弱点に直面し克服に努めてきた人は、九五に至る頃には相当に打たれ強くなっています。多くの五爻変は、それなりの責任や果たすべき役割を担っているので、決断を迫られたり衆目を集める立場になる等のプレッシャーにも晒されやすくなります。この時、四爻変で自分の弱点に自覚的になっていないと逆境に陥った時に潰れてしまいます。特に自らの驕りによって人々から酷評を受けている場合、それは自分の短所を否認しているということなので、結果的に自滅しがちです。一方で自分の本質的に強い部分を理解していれば、めげず、へこたれず、挫折せずで頑張り抜くことができます。さて、この乾の九五は、まさしく乾為天としての醍醐味を存分に発揮できる時機です。大勢の人の注目を集める場で自分が主役(目立つ役割)を務めることになりやすく、一種のカリスマ的な求心力も持ち合わせています。ただし、今は自分ひとりで活動する状況ではなく、周囲の人達と一緒に雰囲気を盛り上げていくべき時です。人々やスタッフ等と共に感動や情報を分かち合いましょう。高慢になったり、事を有利に運ぶために主導権を握ろうとは考えないことです。どんな時も虚栄や傲慢は人物評価の大敵。“名のある人ほど謙虚であれ”が易の哲学です。
◇上九
九五で晴舞台を経験して活躍した後は、自分の辿ってきた道を整理しながら静かにフェードアウトしていきます。少し気の抜けたような寂莫感を覚えるかもしれませんが、自身の体験を総括して後進のために何か役立つようなことをすると良いでしょう。実質的な権威からは退く意味のある爻なので、ことさら我を張って生きる理由はありません。すでに自分の時代は過ぎ去ったことを認めましょう。変に出しゃばって、実権を得ている人からの反発を食らうよりも、今は穏やかな生活の中で人生経験なり技術を伝えてゆく方がずっと楽しいはずです。本を書いたり講演をするのも意義があります。この時、一つ一つの経験の本質を抽出して情報の取捨選択を心がけると雑多にならずにポイントが絞れます。また、人によっては実務から離れて余裕ができたことで、別の生き方の予兆を感じ取るかもしれません。ただし現状を捨ててまで新しい環境や仕事に飛び込むほどの勢いはないので、単に次の目的への情報収集をしたりして温容するに止めましょう。あまり不穏な動きをしていると煙たがられます。いずれ時機が来れば必然的に事態は動きますから、何も無理をする必要はないのです。現状としてできることを見つけて、それで誰かに貢献できると分かれば気持ちは充たされるでしょう。
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