ロイターの6日付けのニュースで「高度9100メートルの米航空機内で女性が出産」というのを読みました。
記事によると、無事に男の子を出産されたとのことで良かったヨカッタ・・・なんですが、占星術的には出生地の特定は難しそうだなーとも思いました。なにせ飛んでいる最中ですからね。以前にも同様のニュースを見たか聞いたかした記憶がありますが、こうしたケースのホロスコープって興味あります。
かつて南極?生まれの人の10何人かを紹介しているテレビ番組があったけれど、あいにく生年月日などは分からなかった。(言っていたのかもしれないけれどメモを取ってなかっただけかもしれない。ちょっと悔やまれます)
占星術だけではないけれど、高緯度地帯――特に極地方の人の命式やホロスコープって、あまり見たことありません。また、赤道直下の国の人のデータとか。まあ、調べようと思えばネットでデータを漁ることはできるかもしれませんが、実物と見比べて照合するということができないと、やっぱり身のある研究にはならないですし。
将来的には、必ず宇宙生まれ、たとえば月生まれの子供が出てくるでしょう?
こういう場合、今の地球中心の天動説的なチャートでは読めないので、必然的に地動説に基づいた(この場合は、月を中心に置いた)ホロスコープにしなくてはなりません。
でも、それはまだ「惑星(天体)」という着地点がある分いいほうです。例えば火星への宇宙旅行中に出産! なんてことが起きたら、それこそ、どこを基準に座標を取っていいのやら・・・という話になってしまいます
現在、占星術師の松村潔さんらをはじめ、セントリック・チャートで読み解こうとする試みがなされています。アストロマップのようなリロケーションの技法の発展として、実際の身体や意識体(!?)が別の惑星や恒星に飛んでいった時の様子を解釈したり、鳥瞰的な視点から地球に住む自分(私達)を見つめる、という練習になるようです。
そういえば、今朝の中日新聞のコラムに、「上位目標」があると、敵対し合うような関係の人たちでさえも「相互依存的に」手を取って協力する性質があるということが書かれていました。
その記事では、地球温暖化という「上位目標」を例にしていましたが、実際には人類が直面している問題は多岐にわたります。それぞれの分野で、いがみ合ったり批判している人達が、違いはそれ(個性)として認めつつも、互いを受け容れて手を結び合えるといいなー、と読みながら考えさせられました。
鳥の視点から見たら、人間はごみごみとした喧騒の中で慌しく動いているわけで、そう思うと、なんだか悲しくなってしまいます。でも、その一方で、「人間として生まれたからには、生きる土壌を提供してくれている地球のために、何かしなくちゃならないことがあるんだろうなー」という気もしてきます。
先ほどの地球温暖化の問題は、すでに末期的状況に近づいてきていることは「ホッキョクグマが共食い始める、気候変動の影響で」を見ても明らかなようです。とても残酷な写真ですが、異常事態に陥ってきていることを如実に物語っています。
僕は、映画や予言にあるような人類が滅びるとか、地球滅亡といような触れ込みを信じるタイプではありませんが、悪化している現状は認めなくてはならないとは思っています。
今放送中の「Jin-仁-」という日曜ドラマの中で、「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉が何度も出てきています。今の人類が地球のためにできること、あるいは、やらなくちゃいけないことというのは、多分に自業自得なところがあるけれど、同時に一種の試練でもあるのかもしれません。僕は、この危機を乗り越えてこそのニューワールド、ニューエイジなんじゃないかという気がします。
そうした全世界的な活動の一端にでも関われたら、あるいは間接的にでも関係しているという実感が得られるような生き方ができたら幸せだろうなーって、つい考えちゃいます。見返りを求めているというのではなくて、単純に、もっと意味とか意義のある人生を送りたいという欲求です。
具体的には、僕の易の解釈とかは、実際に誰かに貢献してたりするのかなーとか。小さなことかもしれないけれど、自分のすることが、どこかの誰かや地球環境に役立つことが分かったらすごく嬉しいし、生きがいを感じると思う。そうありたいって、最近、よく考えます。
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