2月に入った頃、木星は「留」の状態でしたが、6日あたりから逆行し始めます。今日は、これをテーマにして書いてみようと思います。
実はこれ、2wordsでのコラムにしようと思って書いたのですが、先月28日の水瓶座の新月&火星の牡羊座入り、2月4日の金星の牡羊座入り、2月7日の水星の水瓶座入り、2月11日の獅子座の満月と占星術的イベントが多く、まだ期間内の手紙(メッセージ)がすぐに流れてしまってもよくないと思い、仕方なくこっちに載せることにしました。
みなさんに読んでいただいて、何か少しでも役立つことがあればいいなと思います。
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占星術での木星は、本人の善意、または社会的に広がっている善の観念を象徴します。
私たちは時々「こうするのがいいに決まってる」とか「それが常識じゃん」とか、「良かれと思ってやった」、「これはきっと、あなたのためになるわ」なんて言ったりしますが、そういったことです。自分が信じている「いいと思うこと」を拡張していく働き。無償の愛のような良心の塊としての現れ方をする時もあれば、余計なお世話(お節介)や善意の押し付けと受け取られてしまう場合もありますね。
星占いでは「幸運の星」とも称される木星ですが、自分が信じていることを発展させている時や、人々の善意に浴している間は確かにそう思えるでしょう。
でも、誰かの恩恵に甘えて依存的な生活を「発展・拡張」させていった結果、ついには自立的/自律的な意欲を失ってだらしなくなってしまうことだってあります。それは楽という点では幸せかもしれませんが、精神的に何か大事な芯や核を失ったかのようになってしまいます。
木星は射手座を司り、射手座は目標や高みに向かう意識を表しますから、安易に楽に流されず、できる範囲で向上心をもつことが実際的な意味での幸運を引き寄せることになる、と覚えておくといいと思います。
それで、その木星が今、見かけ上の後退を始めています。これを逆行と呼んでいます。別に珍しい現象ではなくて毎年起きることです。
木星は地球から見て、およそ一年間に一つの星座を動いていきますが、そのうちの3分の1(4か月)弱ほど逆行します。その後、また順行に転じ、結果的に星座一つ分を動く頃に一年が過ぎる、という具合です。
この木星の逆行の間、無意識か意識的かは人それぞれですが、「何が正しいのか」を自問自答する経験をどこかでしていると思ってください。それは、あなた自身の善意や良心が本当に人の役に立っているのか、ただの自己満足なのか、あるいは、本質的な意味で自分自身の成長につながっているのかなどを振り返るということです。
もっと大きなところでは、社会的な仕組みがヒューマニズムに沿ったものかどうか、見た目(宣伝)とは違って偽善的な活動になっていないか、といった問いかけにもなります。このへんは、一人ひとりがどんな立場・環境・状況にあるかによって変わってくるでしょう。
もっと個人的なところでは、自分が思っている常識と世間一般の常識をすり合わせたり、人間関係でのモラルが欠如していないかを考えたり、あの時あの人に言った/した行動の良し悪しについて思い巡らしたりするでしょう。
中にはどれだけ考えても答えが出ないものもあると思いますが、良心の呵責や恥や葛藤を抱き込んで、より大きな、より高度な視点でそれらをとらえることができるようになると、再び順行に変わっていく頃には、心の器が一段階広がったように感じられるはずです。こういうのを一種の「気づき」といってもいいんじゃないかと思いますが、いわばそういう自己内省的な側面をもっているのが、この木星の逆行期です。
今は天秤座での木星の逆行ですから、自分にとっての最適なスタイル(プロポーション、バランス、ベスト体重、ファッション性など)を取り戻すのにはいい時期のはず。誰かに何かを指摘されて、または自分でハッと気が付いたりして、周りに対する見方や考え方、生活習慣などを変えていく必要性を覚える人もいるでしょう。
家族との関係、友達との関係、付き合っている恋人との関係、上司や部下との関係、仕事や生活の仕方など、一日や二日ではすぐに変えていけないことが人それぞれあると思います。この110日ほどをかけて、焦らず少しずつ向き合ってみてください。
相手を優しく笑顔で受け入れるイメージを作るのも素敵なことですし、自分自身の過去の失敗や辛い記憶、誰かに対する憎しみなどを柔らかく包み込んで、大きな愛の光の中に溶かしていくイメージを作るのも良いと思います。
強引なポジティブ思考をするよりも、自然に変わっていく形でのニュートラルな柔軟さを心がけるほうが、心にゆとりや幅(自分や相手に対する理解力)が生まれやすいんじゃないでしょうか。
天秤座は人間関係――とくにパートナー(夫・妻など一対一の関係性)や協力関係/敵対関係にある相手に焦点が当たる傾向があります。なので、そうした実際に触れられる距離にあるような近しい関係を通じて自分を掘り下げ、内省し、時には相手を認めたり、許したり、折り合ったりすることを学ぶ姿勢が求められてくるんだろうと思います。
惑星が逆行することは一種のバネのようなものかもしれません。高くジャンプするためには、いったん膝を曲げなくてはならないように、私たちの意識も一度、折りたたまれた記憶や感情にアクセスして、それらを柔らかな風に乗せて調和と均衡の園に運んであげなくてはならないのです。
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追記的に。
例えば、よく親が子供に「ちゃんとしなさい!」って叱ったりしますが、その子にとっては「ちゃんと」ってどういうことなのか、そもそもの基準が分かっていない場合もあるように思います。
「周りの子もやってるし、なんでいけないの?」と理不尽に思い、反論してくることもある。親や先生が説く倫理観とか一般常識(マナー)、宗教的信条、暗黙のルールなどの外的な基準では納得できないことだってある。子供は子供なりに葛藤し、もちろん親は親で葛藤する。同じように、先生は先生で、生徒は生徒で、上司は上司で、部下は部下で、先輩は先輩で、後輩は後輩で(などなど)、それぞれに葛藤し、どうすればいいのかを考える。
葛藤する中で――それはいろいろと苦しいことだけれど――、譲歩の精神を学んだりして、自分の許容範囲をじりじりと広げていくこともできる。具体的な相手があることであればあるほど、それは「私」の中に愛を取り戻していく集中的な作業となる。
だから、この経験を乗り越えると、それまでよりも大きな視野を獲得して、もっとずっと広い心で世界を見て、人々と関わっていけるようになる。
ほんの数人、あるいは、たった一人だとしても、友達や親友と呼び合えるつながりが生まれたりもするし、過去の出来事を抱き込んで感謝することもできたりする。
以前は頭から拒否して撥ねつけていたことにも理解を示したり、歩み寄っていけるようにもなる。
これは、人類が火星に到達することよりも、遥かに偉大で大いなる進歩だと僕は思う。
そして、きっとこういうことを繰り返しながら、人は精神的な意味で「大人」になっていくんじゃないかな。
http://www.findyourfate.com/astrology/planets-signs.html