With the I Ching

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どういう風に定義するかによって、人生が決まり、そして変わる――それが全ての起源。

2012-06-08 17:12:58 | 日記/随筆

前回の「最善を与え、最善を受け取る」の記事にコメントをいただいたので、それに対する返信をしようと書き始めていたら長くなってきたため、一つの記事にすることにしました(笑)
昨日の記事と重複する面も出てくるとは思いますが、考えを深めるために、良ければ参考にしてください。


まずマントラ――という言葉について。
僕も昔、チベット仏教のそれとか密教的な真言の観念があったので、そういう風にとらえていた時期がありました。
しかし今は、コメントの中でまるまるまるたさんが仰った「基準点」と同じように、「自分の定義(原点・初心)」という意味で考えています。どういう状態でありたいか、という表明もしくは宣言。これはずっと以前から、このブログでも書いてきていることです

周りの世界は自分を映し出す鏡(内面の反射)であり、同時に、他の人達との共同創造(co-creation)だということならば、野暮な定義はできませんよね。


それから、エコーというのは反響(こだま)という意味ですよね。
自分が送ったものを周りの世界が反射して返ってくるには時間差がある――タイムラグです。
つまり、デジタル的に瞬時に影響が切り替わるものではなく、アナログ的に漸進的に変わっていくもの。

「私は~~である」という再定義を行った時点でも内的な変化は生じているんだと思いますが、それが目に見える形で確認できるようになるには、現実世界という外側に投影されなくちゃわからない。

それで、「私はこうだよ!」という定義を送信しても、まだ状況が自分の変化に追いついていない場合、本人の想定や期待とのズレにぶつかって疑いが生まれ、「ああ、やっぱりダメなのかな」みたいに定義を否定、もしくは取り下げてしまうことがあると思うんです。

なので、そのタイムラグの期間にめげずに、自分が掲げた「基準点」や「定義」に立ち返ることによって、“ピント合わせ”ができるんじゃないか、ということです。場合によっては、何度も何度も照準を合わせ直す。


それと、思うに「エコー」とは違いますが、いわば「引きずり」みたいなこととして解釈できるかもしれませんね。

こちらが普段とは異なる対応をした時でも、相手や環境の反応がいつもと変わらなかった(ように見える)場合、それは習慣的な振る舞いの影響を引きずっているだけなのかもしれません。相手の内心では「ん? なんだろう? いつもと違うな」と思っていることは十分にあり得ることです。

でも、その変化がなかったように見えたことを受けて自分もまた以前のように振舞い始めたら、結局は元の木阿弥です。またスタートから出直さなくてはなりません。こう考えると、「エコー」でも「引きずり」でもどちらでも通じるようにも思えます。


次いで、先の記事で「執着を捨てる」とか「明け渡す」ということを書いていますが、それは再定義そのものを捨てるのではなくて、そこに色々くっつけちゃう“期待や想定を手放す”という意味です。

基準点や定義がその人のシード(種)とかソース(源)として機能するのは、余計な条件が付与されていないからだと思います。しかし、あれこれ枝葉をつけてしまうと、その実現に至るためのルートが意識的に狭められてしまう。ちょうど、肩が窮屈な服を着るような感じです。かといって、ダボダボすぎる服やユルユルのズボン(=定義が漠然として曖昧)でもうまく働かない。

例えば、「私はアーティストだ」という定義だと、どんなタイプのクリエイターでも当てはまるので、人によっては適当なところで妥協してしまうことにもなりかねません。もちろん「アーティスト」という定義自体は良いのですが、一般的には意味が広すぎるからです。まあその分、自主的な制限がないので本当にそれを疑わなければ可能性は無限大なわけですが、人によっては具体性の乏しさを覚えたり、もっと深み(専門性)が欲しいという風に思うかもしれません。

描く理想像の具体的なヴィジョンは“創造の種”として逞しいほうがいいけれども、その一方で、ベースとなる定義が自分を誤魔化すことになってもいけない。その辺の微妙な調整は自分自身で探りながら、その時々でぴったりくるものを見つけるしかないのかも。何が言いたいかというと、詰まる話、「自分が納得できる自分の言葉で、自分を定義する」ことが大切だと僕は思うのです。


ところで、定義付けということに関しては、バシャールも「豊かさの定義」というタイトルで話してます。
(他にもありますが、これが分かりやすいと思うので紹介します)

バシャール~『富と豊かさの定義』

バシャール - 豊かさと豊かさへの信頼

彼が示した豊かさの定義は、
「Abundance - The ability to do what you need to do when you need to do it.」
(する必要のあることをする必要のある時にする能力)

簡単に言えば、「必要な時にそれを満たせる能力」となるでしょうか。
ここでは「お金=豊かさ」のような図式はなく、定義としては無限大の広がりを持ちます。つまり、「人脈」とか「地位」とか「財力」とか「特別なスキル」というような条件はあえて付けられていないので、どんな方向にも根を伸ばすことが可能なわけです。

逆に、「お金さえあれば…」と考えていると、その方法に固執するあまり、解決のドアが一つしかなくなってしまう。
自分で「このルートしか通りません、他のドアは閉じました」と言っているわけです。

先にお金が来ないと何もできないというわけではないのに、そうやってルートを限定してしまうと、他の方法(リンク、アクセス、バイパス)を自分自身で遮断してしまい、もっと身動きが取れなくなって困り果てることになるかもしれません。だから、それよりは今できることを見つけて実行し、それを元手に一時的な助力を取りつけたり、別の方法も含めて解決できないかを探ってみるほうが遥かにいいはずです。

どういう風に定義するかによって、人生が決まり、そして変わる――それが全ての起源。

自分の生き方であれ、社会に対する見方であれ、今後の世界に対する展望であれ、まずはしっかり定義付けを行うこと。私はこういう生き方をする、こういう社会に生きる、こういう世界・地球に生きるということを宣言すること、それが大事だと考えます。

 

ところで、最近バシャールの動画ばかり紹介してて、バシャールかぶれですね、僕は(笑)。

でも、忘れないで。
バシャールをはじめ、多くのチャネラーを通じたメッセージも、そして僕の書くことも、全ては読み手・聞き手の参考にしてもらうためにあるのであって、その人達の意思を変えようとか、行動を強制したり干渉しようというつもりは全くないのだということを。

これを誤解されて、崇拝されたり、言説を鵜呑みにされることをメッセンジャー達は懸念しています。
もちろん、僕自身も読者の方々に役立つことを願ってブログを書いているだけで、皆さんにああしろ、こうしろと言っているわけではありません。それぞれの人には、それぞれに合ったペースとやり方で、その人自身を生きていくわけですから。

僕は、そのためのお手伝いができたらいいなと思っており、その状態であることが、自分という存在の定義なのです。


1 コメント

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引きずりは面白い (まるまるまるた)
2012-06-09 09:16:53
「引きずり」は面白い見方ですね。

人は自分の見たいものしか見ないので、自分の様相とは違う反応は無意識のうちに無視してしまうのかもしれません。
こちらが、変わって、いつもと違う行動を起こしたとしても、相手は、変わったという認識を持っていないので、こちらのいつもと同じ行動だけしか認識できず、変わった部分はなかったこととして認識できていないということもあるかもしれない。(心理学的にありそうです)
ゆえに最初は反応が変わらない。

鵜呑みにはしないのでご安心を(笑)。
参考になるところをうまく自分の中に取り入れていきます。

ご丁寧は返信ありがとうございました。
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